内緒の話 「なんつーか、見上げた根性だよなぁ……さすがエド」 「なんだ、いきなり」 久しぶりのオフを自宅のリビングで満喫していたロイは、酒瓶片手に突然やってきた悪友の意味不明な台詞に首を傾げ、眉間に皺を寄せた。 いくら付き合いが長いとはいえ、主語を飛ばして話されては理解も出来まい。 あからさまに不機嫌な表情を浮かべたロイに、しかし、諸悪の根源であるところのヒューズは気にする素振りも見せずガハハと笑うと、楽しくて仕方ないとばかりに口火を切った。 「カットされてたシーンだよ、例の。あれ、どうやら嫌がってたのは監督の方で、エドは“やる”っつって啖呵切ったらしいぞ」 「……は?」 「何やらエドの台本にも細工してあったらしくてな。エドはあのシーンの存在自体知らなかったんだと」 「…そうなのか?」 何事もなかったかのように飛ばされたキスシーンの撮影。 ロイはてっきりエドワードが嫌がってカットされたのだと思っていた。 何しろホーエンハイムときたら、娘の事に関しては狭量を絵に描いたような男なのだ。 出来れば娘のキスシーンなど撮りたくないだろうし、エドワードが一言「嫌だ」と言えば、喜んでカットでも何でもするだろう、と。 だが、昨日になって急に「残りのシーンを撮影するから」と連絡を受け、ロイは驚いた。 実際のところ、クライマックスともいえるあのシーンをカットするとイマイチ盛り上がりに欠ける映画になってしまう事は明白だが、監督の力技で意地でも編集するのだろうと思っていたのだ。 「なんつーか、半ば強引に出演させたようなもんだろ?でも、あんだけ嫌がってたのに、やると決めた限りはやるってさ。やっぱあの両親の子だよ」 誰からどんな話を聞いてきたのか知らないが、ヒューズは甚く感心したように頷き、しみじみと語る。 話好きで聞き上手なヒューズは昔から情報通だったのだが、今回の情報源は一体誰なのだろう。 凡そ身内しか知りえないような内情を(それも下手をすると監督の株を落としかねない暴露話だ)簡単に部外者に漏らすとは、とんだ不届き者もいたものだ。 「しかし、勿体ねぇよなぁ……この映画が最初で最後かも知んねぇ訳だろ?」 「お前は、本当にそう思うか?」 そう言ってニヤリと笑うと、ヒューズが怪訝そうに眉根を寄せた。 「だって、そうだろ?…あんだけ嫌がってたじゃねぇか」 「だが、彼女にとってこの仕事は天職だ。エドワード自身もそう思ってるはずだ」 だから、これっきりなんてあり得ない、と含ませて言えば、ヒューズは目を瞬かせて意外なものを見るような目でロイを見た。 「何故そう言い切れる?」 「事実、甘えた事を言わずにきちんとやり遂げようとしているじゃないか。あの子はきっと生まれついての女優なんだよ。妥協が出来ないのさ」 「はあ?」 意外なものを見るような目が、憐れなものを見るような目に変化したかと思うと、ヒューズはロイの肩をポンポンと叩き「そんなにあの子に骨抜きにされてんのか」と些か呆れ気味に言った。 まさかここまで盲目になれるとは、と。 「そんな目で見てくれるな。実際一緒に仕事をしてみた上での感想だから、お前には分からないかもしれんが」 そう呟いて、ロイは笑った。 それも意識してではなく、自然と浮かんだ柔らかい笑みだ。 久しく見る事のなかった感情を伴った笑顔を目の当たりにして、ヒューズは息を呑んだ。 だが、次の瞬間その笑みは自嘲を含んだものに変わる。 「例え演技だとしても、彼女とキス出来る事に悦びを感じるのだと言ったら、お前は笑うか?」 「いや、お前のその顔見たら笑えねぇ……マジかよ」 「そうだな……昔から骨抜きにされっぱなしだ」 エドワードを思う時、今のエドワードの姿に幼い頃の姿が重なって浮かぶ。 あの事件の時の、腕の中から見上げてきた綺麗な金色の宝石。 それを思い出すたび、決して手に入れられないものに執着する己の愚かさに笑いたくなるのだ。 「昔から、って……お前、この仕事の前にエドと会った事あったのか?」 ロイの言葉尻を受けてヒューズの眼鏡の奥が光ったのを、ロイは我が友人ながら忌々しく思う。 味方に付けるならこの上ないヒューズの細かな洞察力だが、隠し事がある時には厄介なものでしかない。 ヒューズは信用に値する人物だが、むやみやたらと過去の話をしたくはなかった。 「お前、一時妙な噂があったよなぁ……まさかその頃か?」 「あれは事実無根だ。……ほら、監督が初めて賞を獲った時の、あれだ」 とあるテレビ番組に出演したホーエンハイム一家のVTRは、その当時エドワードの愛らしさが話題になり、幾度となく繰り返し放送された。 巷ではエドワードを「金色の天使」と呼び、ネット上では未だにその映像が流され続けている。 …犯罪擬いのコメントと共に。 その後の数々の事件の元になったそれを、ロイは誘拐事件の後になって見たのだが、万更嘘でもない。 その時のエドワードの姿が頭から消えないのは事実なのだから。 「あの時のエドに惚れたんなら、ますますヤバいんじゃねぇか……2歳児だぞ?」 「さすがにそれは……惚れたのは今回の仕事で会ってからだ」 苦笑混じりにそう言えば、ヒューズはニヤリと笑いながら「そういえば」と切り出した。 「ハボックのヤツが感動してたぞ」 「何を?」 ふと長身の金髪男を思い浮かべ、ロイは眉間に皺を寄せた。 そんな関係ではないとはいえ、何かにつけエドワードの1番身近にいる男だ。 少々恨みがましい気持ちになっても罰は当たるまい。 「この前、スタジオにヴァネッサが乗り込んできた時の、」 「あぁ、聞かれてたのか……」 「……わざと聞かせたんじゃなくて?」 「そんな小細工出来るか」 何しろ、件の記事を知ったその足で本人自ら乗り込んできたのだ。それも単身で。 バカな女だとは思っていたが、知れば知るほどレベルが低すぎて、呆れて物も言えなかった。 厚顔無恥にも問い質してきたヴァネッサに返した言葉は、驚くほど冷たかった。 意識的にそうしたのではなく、無意識に出た声がそれだったのだから、自分でも相当腹が立っているのだな、と冷静な頭の片隅で考えた―――のだが。 「しかし……そうか」 諸々の情報源は、金髪ノッポか。 ロイは件の男の顔を思い出し、スタジオでの会話には気を付けないといけないな、と小さく呟く。 ただ、上手くすればエドワードの情報を聞き出せるかも、と思ったのは、内緒だ。 2010/08/09 拍手より移動 back |