お眼鏡に適いましたか? 「監督の話とは何だったんですか?」 日付もすっかり変わった真夜中。 漸く仕事を終えたロイが車に乗り込めば、開口一番ホークアイにそう問われた。 些か神妙な表情で。 「…別に、何も心配されるような話ではないが……」 「そう、ですか……私はてっきり、エドちゃんへのセクハラ行為で訴えられたのかと」 「…私はそんなに信用がないのかい?」 「そんなもの、ある訳ないじゃないですか」 しれっとした顔で言い放たれ、ロイはがっくりと肩を落とした。 付き合いが長いだけにロイの長所も短所も知り尽くしている彼女は、ロイを過小評価も過大評価もしない。 ある意味彼女の評価は公正だ。 その彼女が言うのだから、まさしく自分は信用に値しない男なのだろう。 「どうすれば私の気持ちが本気だと分かってもらえるんだろうね?」 「エドちゃんに、ですか?」 「あぁ。どうやら全く相手にされていないらしいからな。…それと、監督には“本当に本気なのか”と念を押されたよ」 「まぁ」 「本気なのか」と「何があってもあの子を守ってくれるのか」と、まるでロイの心の奥底に問い質すように、ホーエンハイムは口にした。 いきなりすぎるその言葉の真意をロイが問おうとした時、目の前に差し出されたのは、ヴァネッサの記事が載ったあの写真週刊誌だった。 「では、この記事は?」 「彼女とは、頼まれて何度か食事に行っただけで、そこに書かれているような事実はありません。…狂言擬いな言動があまりに酷いので、そろそろ手を打とうとしていたところですが」 先日、ホークアイに手渡された時に記事には目を通していた。 ありもしない関係を、身に覚えのない寝室事情を、まるで三文小説以下の下世話な文章で書き立てられ、妄想もここまでくると病的だな、とため息しか出なかった。 こちらにその気がない事くらい彼女にも分かっているだろうに、どこまでもロイに執着しているのは、彼女のプライドが許さないからなのだろう。 全く、大した実力もなく人気だけで成り上がったくせに、プライドだけは一人前な女だ。 いちいち否定するのも面倒だし、わざわざ恥を掻かせるのもどうかと思い、細やかな仏心で放っておいたのだが、ここまでされるといい加減鬱陶しい。 我慢も限界だ。 ロイのそんな心情を酌んだのか、ホーエンハイムは何やら考えるようにして頷いた。 この件に関しては、とりあえず納得してもらえたらしい。 「じゃあ、もうひとつ質問だ。…“あの話”を、誰かにした事はあるかい?」 「あの話?」 「12年前の、“あの話”だよ」 12年前と言われて、ロイには真っ先に思い浮かぶひとつの記憶があった。 それは、普段特に思い出す事はないが、かといって忘れられるようなものではない記憶。 ―――12年前、ロイは誘拐されかけた少女を助けた事がある。 暴漢の腕に抱えられ、酷く泣きじゃくっていた金色の小さな子供を。 それを何の脈絡もなく12年も経った今になって問われた事に、ロイは妙な胸騒ぎを覚えた。 「いえ、誰にも話した事はありませんが……まさか、何かあったのですか?」 「……どこで何を聞き付けたのか、厄介なパパラッチに狙われてるんだ」 ロイの問いにホーエンハイムは曖昧に笑って、そう零した。 ロイは軽く息を呑むと、先ほどからの会話を頭の中で反芻する。 100%こちらの話が本題だろう。 そして、前振りのように問われたヴァネッサの事――― 「ヴァネッサの仕業……ですか?」 「恐らくな。…あぁ、君を疑った訳ではないんだ。ただ、確認をね」 「はい……」 「真実はたったひとつだ。だが、想像は無限だからなぁ。いずれあの子の耳に入るのも時間の問題だ……その時、君はあの子を守ってくれるかい?」 ホーエンハイムは娘を案じる父親の目でそう言った。 この世界に身を置く以上、家族を犠牲にしてきた事も多々あるのだろう。 娘を守ってやりたいと、その目は言っていたけれど、何もかもから守ってやる事は難しいのだ。 「もちろんです」 「君も、昔の話をほじくり返されるよ?」 「私は構いませんが……でも、奥様には申し訳ないです」 「それこそ事実無根だから問題ないさ。ただ、君、エドワードに殴られる覚悟はしておいた方が良いよ」 「……それは……怖い、ですね……」 口ではそう言いながら、自分を殴ってエドワードの気が晴れるなら殴られてやっても良い、と本気で思っている自分がいる。 出来れば、映画の撮影が終わってからお願いしたいものだが―――と、そこまで考えて、もうすぐこの撮影も終わりなのだと気付いた。 撮影が終われば、エドワードとも、もう――― 「本当に本気なら、監督は認めてくださるという事ですか?」 「…いや、認めてくれはしないだろうが……ただ、あの子を守ってくれと言われたよ」 「守る、って何からですか?……私からすればあなたが1番危険だと思いますが」 辛辣な言葉を吐きながら首を傾げるホークアイに、ロイは先ほどのホーエンハイムのように曖昧に笑うしかなかった。 いずれ明らかになる事かもしれないが、だからといって闇雲に人に話すのも気が引ける。 「何やら質の悪いパパラッチに狙われているそうだよ」 「エドちゃんが、ですか?」 「あぁ。……それと、ヴァネッサの件でブレダに連絡を」 「やはり“アメストリス・タイムス”ですか?」 「1番信憑性が高いだろう?」 所詮B級のタブロイド誌にしか取り上げられないような妄想話だ。 ならば、こちらは信憑性が売りの雑誌で対抗してやる。 まずはヴァネッサとの交際の否定記事を手始めに、しばらくあの女にはこの業界で仕事が出来ないようにしてやろう。 自分だけに止まらずエドワードまで巻き添えにした事は許せない。 そしてその次に持ち上がってくるであろう騒動を、如何に手早く処理出来るかに考えを巡らせる。 出来る事ならエドワードに知られずにケリをつけたいところだが、それは無理だろう。 ならば、極力早く片付けて、エドワードの笑顔を守ってやりたいと思う。 「ですが、パパラッチですか……だから、エドちゃんはホテルに匿われてるんですね……可哀想に」 「……そうなのか?」 「はい。先ほどエドちゃんを連れて帰った男性と一緒に。もう3日目だとか」 「…………は?」 何か物凄く聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしてホークアイへ視線を寄越せば、彼女はしれっとした表情でハンドルを切った。 2010/07/14 拍手より移動 back |