恋はもどかしいもの ホーエンハイム監督には、時間軸にそって順番に撮る、という撮影方法に拘りがあるらしい。 同じ場所で撮影するシーンもまとめて一度に撮影してしまわずに、時間の流れに忠実に撮影していく。 たとえワンシーンでも撮影場所を移動する事を厭わない。 その分、手間も暇もかかり出演者の拘束時間も長くなるのだが、演じる方からすれば作中の心情の移り変わりを順番に演じる為、よりリアルな表情を無理なく出せるという利点があった。 ロイは出演シーンのカメラチェックをしながら、納得した面持ちで頷いた。 この映画の撮影が始まってから、演じる事が心地好いと思っていたが、気負わずとも自然体で演じられるような環境が整っているからなのだ、と今更ながら気付いてしまったのだ。 映像美には定評のあるホーエンハイムだが、それはセットや小道具に「本物」を求めるのと同時に、演じる側にも「本物の表情」を求めているのだという事に他ならない。 自分は試されているのだ、と思う。 そしてそれは決して不愉快な事ではなく、自分はどこまでそれに応える事が出来るのか、ロイ自身も試してみたいと思わされているのだ。 今までホーエンハイムの監督作品に出演した俳優達が、何故挙って「また出たい」と言っていたのかがよく分かる。 撮影中のセットへ視線を向ければ、エドワードが演じるジゼルが母親と口論の途中で倒れてしまう、というシーンの撮影をしていた。 本来なら夕方には撮影が終わっているはずのシーンだったが、エキストラのNG連発で撮影時間がずれ込み、時刻は午後11時になろうとしている。 白熱した演技を見せるエドワードの、その横顔が青白いような気がして、ロイはふと眉根を寄せた。 物語は佳境に入り主人公のジゼルの病状は進行している訳だが、エドワード自身は全くの健康体にも関わらず、ジゼルを演じている時は本当に儚げに見えた。 演技だと分かっていても、思わず支えてあげたくなるような気持ちが湧き上がるのを止められない。 きっと共演している他の俳優達もそうなのだろう。 母親役の女優の、あんな母性的な表情を引き出す事なんて、エドワード以外では無理だったに違いない。 そこまでぼんやりと考えて、ロイは思わず息を呑んだ。 エドワードの身体が、まるで糸が切れたように後ろへひっくり返ったからだ。 その場の誰もが息を呑み、母親役の女優は金切り声で「ジゼル」と娘の名前を呼んで、悲鳴を上げた。 「はい、カット!」 監督の声で我に返り、これは撮影なのだと思い出したロイは、ホッと胸を撫で下ろした。 一瞬、本気で演技だという事を忘れていた。 それはロイに限らず、その場に居合わせた人間全てに言える事であったが。 「はぁ……お前は思い切りが良すぎてハラハラするよ」 「なんだよ、顔色も変えずに撮ってたんだろ」 「そんな訳ないだろう?思わず“大丈夫か”と叫んでしまうところだった!」 「叫んでたら、俺、親父を殴ってたぜ」 OKの声がかかった途端に何事もなかったかのように起き上がったエドワードは、ホーエンハイムと普段通りの会話をしながら、カメラチェックの為にロイのいる方へと近付いてきた。 口調がエドワードに戻っているから、今日はこれで終わりなのだろう。 「エドワード、頭は打たなかったかい?」 「んー…受身とったから大丈夫」 心配して聞けば、エドワードは何やら微妙な顔をした後素っ気なく答えた。 普段からあまり友好的に接してもらえている訳ではないが、普段にも増してエドワードの態度に朿があるような気がして、ロイは首を傾げた。 ―――やっぱり、この前の事を気にしているのだろうか。 彼女がある一定以上の感情を持っている上で嫉妬してくれたのなら万々歳なのだが、ただ単に女にだらしないと幻滅されただけなら前途多難だ。 ただでさえ、なかなかスタートラインにすら立たせてもらえてないのに。 ちらりと横顔を覗き見れば、エドワードは眠いのか目を擦りながら映像をチェックしていた。 その表情は真剣そのもので、とても今作品がデビュー作の新人とは思えない。 「……よし!」 しばらく見惚れていると、エドワードは満足気に笑ってソファに身を沈めた。 どうやら納得のいく演技だったらしい。 ホーエンハイムも満足の出来だったのか「お疲れさん」と一言告げると、そのまま次のシーンの準備を始める為にその場を離れた。 「この前はすまなかったね」 「……何が?」 2人っきりになったのを待ちかねて言えば、エドワードは怪訝そうな顔で問うてきた。 どことなく不機嫌とも面倒臭そうとも言える表情に少し気力を削られながら、ロイは更に口を開いた。 「こちらから誘ったのに、君に不愉快な思いをさせてしまって……」 「あぁ、…別に不愉快なんてねぇし……噂通りなんだ、とは思ったけど?」 「いや、彼女は、……」 「だから、いちいち説明なんて要らねぇって。…俺には関係ない事じゃん」 エドワードの口から吐き捨てられた言葉に、ロイの心臓は一瞬動きを止めたんじゃないかというくらいの衝撃を受けた。 他の誰に同じ言葉を言われても、きっとこんなにショックを受けたりしないだろう。 拒絶される事を初めて怖いと思った。 「…また誘わせてくれないか?君の都合の良い時にでも……」 「…………」 「……迷惑かな?」 情けなくも目も合わせられずに問えば、沈黙が返される。 まるで死刑宣告を待つような気持ちでしばらく俯いていたが、あまりにも無言が続く事に若干ヘコみながら顔を上げれば――― 「……え?」 ソファに埋もれるように丸くなって眠っているエドワードの姿があった。 2010/07/01 拍手より移動 back |