ガラスの靴にくちづけを | ナノ


2歩下がる

「あら、ロイ。お久しぶりね」
「やぁ、マリアンヌ。これから撮影かい?」
「打ち合わせよ。フランチェスカの、秋冬コレクションの」
「さすが、ファッション業界は早いな……漸く夏らしくなったところなのに、もう秋冬物か」
「あら、フランチェスカは今、再来年の春物を作ってるわよ」
「先取りしすぎて季節感も皆無だな」

会話の内容からして、この女性はファッションモデルなのだな、とエドワードはあたりをつけた。
それでなくても背の高い女性なのだ。
ロイと同じくらいか、ヒールを履いていると少し高いくらいで、エドワードの目線の真っ正面には華やかなワンピースを押し上げる形の良い胸がある。
いや、胸に限らずスタイル自体素晴らしく、思わず目を瞠るものがあった。

「…………」

頭上で続く会話に、何故自分はこんなところにいるんだろう、とエドワードは本気で思った。
食事に誘われたのは自分の方なのに、今の状況では自分は邪魔者にしか見えないだろう。
先ほどから周囲の目は目立つ2人に釘付けだ。

どうしてこんな往来の真ん中で、こんな辱めを受けなければならないのか。
エドワードの腹の中はぐるぐると渦巻く不快な何かで一杯になった。

「……俺、帰る」
「あ、エドワード……食事は?」
「煩い。黙れ」

自分の物言いにマリアンヌとかいう女性が驚いた顔をしたのを視界の隅に捉えたが、いちいち愛想を振りまく義理もない。
何やらロイが声を上げていたが、エドワードはさっさと背中を向けて歩きだした。
なんかもう、こんな場所には1秒たりともいたくなかったのだ。










「くっそ……人の事、バカにしやがって……」

アイツが、いつになく真剣な顔をするから、危うく騙されるところだった。
あれがアイツの手だとしたら、これからも気を付けなければならない。
全く気の抜けない事だ。

ブツブツと文句を並べながら、両手はカタカタとパソコンのキーボードを叩く。
検索語句は「ロイ・マスタング」「マリアンヌ」「モデル」「フランチェスカ」だ。
エンターキーを力任せに叩けば、ディスプレイにはずらりと数々の検索結果が並んだ。
「ロイ・マスタング深夜のドライブ、お相手はスーパーモデルのマリアンヌ」から始まり、「ロイ・マスタング、マリアンヌとの熱い一夜」やら「ロイとマリアンヌ、お忍び旅行へ」など大賑わいだ。
2人でホテルへ入るところや、互いのマンションへ出入りしているのを激写されていたり、しまいには雑誌のインタビューでは堂々と身体の関係がある事を認めている。

「なんだ……これ……」

ずっと腹の底で蠢いていた不快な何かが、一気に膨らんで胸の辺りまでせり上がってきた気がして、エドワードはぎゅっと胸を押さえた。
息が詰まるような、おかしな感じだ。
エドワードは下唇を噛みしめると、もう一度キーボードを叩いた。
「ロイ・マスタング」「恋人」と打ち込みエンターキーを叩けば、目では追いきれないほどの醜聞の数々がディスプレイ一杯に並ぶ。
相手は、女優・モデル・デザイナー…と、どの女性達も綺麗な人ばかりだ。

確かにハボックから話は聞いていたが、タラシだなんだと言われてもどの話も漠然としていて、今ひとつ実感を伴った理解はしていなかった。
だが、こうやって具体的に目にしてしまうと、嫌でも理解してしまう。
あの男は、遊びで簡単に複数の女性と付き合えるのだ。
実際、宣伝の為に付き合っていた女性もいると言っていた。
あの男は、そういう事が平気で出来る人間なのだ。
それは、エドワードには到底理解の出来ない事だった。

「あ〜ヤベ……胃がムカムカする……」
「……エド、何してるの?」
「うわぁあああ!?」

真後ろから聞こえた声に慌てて振り向けば、些か呆れ顔のトリシャが立っていた。
視線は、たった今検索しまくったロイのゴシップだらけのディスプレイに止まっている。
完全に油断していた為に取り繕う暇など一切なかった。

「……こういうの、良くないわね」
「……何が」
「これも、全部が事実とは限らないし、そもそもあなたは、そんなもので人を判断しないでしょう?」
「そりゃ……そう、だけど……」
「自分の目で、ちゃんと見極めなさい。それに……あなたはもう少し素直にならなきゃダメだわ」

トリシャの言葉に、エドワードはぱちりと瞬きを返した。
何を言われているのか分からなかったのだ。

「マスタングさんの事が、気になるのでしょう?」
「っ、……だって……」

あんな出会い方をしたのだ。
気にするな、という方が無理だし、何より無視しようにも勝手に視界に飛び込んでくるのだ。
漆黒を纏ったあの男が。

「癇癪ばかり起こさないで、ゆっくり考えてみなさい」
「…………」

トリシャはそうとだけ言うと、パソコンの電源を切った。
黙ったまま俯くエドワードの背中に気付かれないように小さくため息を吐いて、トリシャは「しばらくパソコンを隠すべきかしら」と考える。
エドワード自身はまだそこまで思い至っていないようだが、自分達家族だって与り知らないところでどのように書かれているか分かったものじゃないのだ。

特にエドワードなどは、ネット上で飛び交う自分の話題を知ったら怖くて表を歩けなくなるだろう。
犯罪擬いの書き込みも少なくないのだ。
事実、エドワード本人は憶えていないだろうが、誘拐されかけた事も一度や二度ではない。
ホーエンハイムがただの過保護でない事は、トリシャが一番よく分かっていた。










「考えろ、って言ったって……」

確かにアイツの前では癇癪を起こしてばかりだ。
悔しいけれど、自分は子供で、アイツは大人で、今まで自分の周りにはいなかったタイプの人間なのだ。

他の誰かがこんなに気になる事なんて、今までなかった。
こんなに心が揺すぶられる事なんて、今までなかった。


―――こんなの知らない。


「なんだよ……訳わかんないよ……」


目を閉じれば、1枚の絵画のようにロイとその横に寄り添うように立っていた女性の姿が浮かんだ。


無性にイライラして、ムカムカして―――胸のどこかが痛かった。



2010/06/14 拍手より移動

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