ガラスの靴にくちづけを | ナノ


密かな進展

「この前、撮影現場覗かせてもらったけどよぅ……お前さんのアレ、すげぇな」
「アレ?」
「役に入り込んだ状態、っつーか、ジゼルの状態の時だよ。まるで別人じゃねーか」
「だって、俺じゃねーし」

撮影現場に向かう途中、ヒューズとあれこれ話しているエドワードを眺めながら、ロイはため息を吐いた。
彼女は簡単に言っているが、そこまで出来る事がどんなに凄い事なのか分かってないのだろうか。

「君ね…簡単に言うけど、それが難しいんだよ?」
「そうなの?」

ロイが堪りかねて言えば、エドワードは本気で驚いた風に問うた。
どうやら彼女は本当に自然体で役柄に入り込んでいるらしい。

「つーかさ、俺、お芝居なんてした事ねーし、どうやれば良いのかわかんねーし……んで、母さんに聞いたんだ。どうやれば良いんだ?って」
「で?何て?」
「あなたの中にジゼルの心を育ててみなさい、って。母さんもそうしてたんだって。だから、そうやってる」

エドワードのあっさりした言い方に、ロイもヒューズも口を開けて呆然とした。

「天才って、いるんだな……」
「あぁ……」
「は?何言ってんだ?」
「感心してんだよ。まぁ、トリシャ・エルリックといえば名女優の代名詞みたいなもんだしな。あの人に憧れて俳優目指したヤツも結構いるんだぜ?」
「ほんと!?」

ヒューズが母親の話題を振れば、エドワードは目をキラキラさせて食い付いた。
母親が大好きなのだと言っていたから、他人の口から誉められる事が単純に嬉しいのだろう。

「たった2年で引退だもんなぁ……あれは今でも伝説だって。なぁ、ロイ?」
「あぁ、人気の絶頂期で引退だからかなり惜しまれてたな。そういえば昔一度だけ会った事があるが、目も眩むような美人だったよ。今も変わらないんだろう?」

そう言って、ロイがエドワードに話を振れば、先ほどまでニコニコ話していたはずのエドワードが口を尖らせていた。

「エドワード?」
「っ……アンタが、母さんの話すんな!」

不機嫌な顔を隠そうともせずそれだけ吐き捨てると、呆然とする2人を置いてエドワードはさっさと現場に走っていってしまった。

「……お前、嫌われてんなー……」
「煩い。ほっとけ」

ニヤニヤしながら呟いたヒューズの言葉に、残念ながらロイにも言い返す言葉が見つからなかった。










撮影開始から1ヶ月が過ぎ、撮影は順調に進んでいた。
だが、撮影の順調さに比べ、ロイとエドワードの間は一向に進展していなかった。
アプローチに悉く失敗しているのは、常に目を光らせているホークアイと、今日のように不意に特攻してくるヒューズの所為だ。
彼らは、自分の愛娘や愛犬を連れてきてはエドワードの気を引いて、ロイの傍(といっても、半径1メートル以内には近付けないが)から引き離そうと躍起になっている。
何が彼らをそうさせるのか―――と、ロイは首を傾げるが、自分の手癖の悪さの所為だと思わないところがロイのロイたる所以だ。

現場に入ってしまうと邪魔者はいなくなるが、肝心のエドワード自身が役に入り込んでしまって口説くに口説けない。
それに、昔ちょっとだけ付き合った女優がエドワードの母親役で出演しているというのも面倒臭い事情のひとつでもあった。



「あら、ロイ」

次の出演シーンまでの待ち時間を本を読んで潰していると、隣にしなだれかかるように身を寄せてきた女優は艶やかに笑う。
昼間に似つかわしくない空気を纏わせて、明らかに空気の違う空間にすげ替えられた事に、ロイは笑いを噛み殺した。

「久しぶりね、ロイ。あの頃より男っぷりも上がったようね」
「あなたも変わらずお綺麗ですよ、ジーン」
「でも、母親役なんかが回ってくるなんて……年は取りたくないものね」

ふふふ、と笑った顔は確かに年を重ねていた。
付き合っていた頃はまだ駆け出しだったロイに対し、彼女は売れっ子女優の名を欲しいままにしていた。
「一度寝てみない?」と誘ったのも「別れましょうか」と言ったのも彼女の方だった。
だが、年を重ね盛りの過ぎた今、その名声も若手に譲らざるをえないのだろう。
懐かしさに混じる媚びた色が煩わしいと思った。

「ねぇ……久しぶりに遊ばない?あの頃よく行ったラウンジも、まだ健在よ」
「残念ながら、この後は予定がありまして」
「誰と?まさか、あのヴァネッサとかいう女?あの子はダメよ。レベルが低すぎて合わないでしょう?どうしてあんな子と付き合ってるの?」

何やら勘違いも甚だしい勢いで独占欲を発揮し始めた女に、ロイはため息を吐いた。
呆れた風を隠し切れなかったが、そんな事は構わなかった。
むしろ、あからさまに拒絶の意思を示したかった。

「もう、とうの昔に終わった事ですよ?あなたが終わらせたんじゃないですか」
「だけど、」
「なら、思い出は美しいままで。私はあなたの気高さが好きでしたよ」

だから、みっともなく縋ってくるな、と言外に告げて突き放す。
元々プライドの高い女だ。
これでしつこくされる事はないだろう、と踏んで。

あの頃だって「駆け出しの若手俳優を遊んでやっている」といったスタンスを崩さなかったし、何かとロイを支配したがった。
実際遊ばれていたのは自分の方だったとは、思いもしない事だろう。
仮に、この女に昔の事をバラされたとしても、ロイには全くと言って良いほど害はない。
むしろ、今になって昔の事を引き摺っている女の方が惨めだ。


ふと、視線の先にエドワードの姿が見えた。
撮影の区切りがついたのか、こちらを向いて立っている。
その顔は、不機嫌さ丸出しで眉間に皺を寄せていた。

「ほら“お母さん”。ジゼルが怒ってますよ?」
「あら。ほんと」

ジーンは慌てて立ち上がると、エドワードの下へと近付いていった。
何やら話しかけ、そっと髪を撫でるジーンに照れ臭そうに俯いたエドワードは、一言二言話した後こちらに歩いてきた。

「やぁ、ジゼル。ご機嫌斜めだね」
「“俺”だっつーの。今日はもう終わり」
「え……?」
「なんだよ?」
「いや、別に……」

てっきり母親と主治医がいちゃついている事に「ジゼル」が臍を曲げたのだと思ったのに。
あの目は、嫉妬する者の目だったと思ったのに。

「…現場でまで女といちゃついてんじゃねーよ」
「え、あ……エドワード?」

何を言われたのかと咀嚼するより先に、エドワードはさっさと背中を向けて行ってしまった。
どんな表情をしていたのか確認出来なかったが、あれではまるで―――


「……まるで、やきもちを焼いたみたいじゃないか?」


ポツリと呟いて、ロイは頭を抱えた。
まさかそんな都合の良い事、とは思う。
だが、エドワードが先ほど見せた目や態度が、そんな風にしか受け取れなくて―――


「…期待してしまうぞ?」


そう小さく呟いた言葉は、誰の耳に入る事なく消えた。



2010/06/03 拍手より移動

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