前途多難は基本設定 「百聞は一見に如かず」という言葉がある。 人から何回も説明を聞くより、実際に一度目にした方がよく理解が出来る、という意味だ。 「つまり、百回の愛の言葉より一回の接触の方が効果があるという事だな」 「性犯罪者の理屈ですよ、それ」 あらぬところを見つめてうっとりと零したロイの言葉に、ホークアイはため息混じりに返した。 ロイ・マスタングの持論など、大概がそんなものだ。 大体、本気で殴ってやろうかと思った事は1度や2度ではない。 少なくとも今思ったのを入れれば、今月87度目だ。 “天下の色男”やら“百戦錬磨”果ては“マダムキラー”などと持て囃されている男だが、幸か不幸か身近にいすぎた為に、ホークアイはただの1回もロイに対して恋情を抱いた事はない。 もちろん逆も然り、であるが。 「やぁ、エドワード。今日も可愛いね」 「昨日も明日も、多分今日と同じ顔だと思うけど?」 「あぁ、だから君は毎日可愛いと…―――」 「こんにちは。エドワードちゃん」 ロイの言葉を遮り、にっこり笑って挨拶したホークアイは、エドワードをロイから庇うように間に割り込んだ。 エドワードの肩に触れようと伸ばしかけたロイの手は空を切り、ホークアイの肩に触れそうになって慌てて引っ込める。 とんだ自殺行為に及ぶところだった。 「…邪魔しないでくれないか」 「あら。私は性犯罪を未然に防いだだけですが」 「そうだぞ、セクハラ親父」 ただでさえエドワードはガードが固いのに、そこへホークアイの鉄壁の守りが加われば、ロイとて簡単には突破出来ないだろう。 全く、味方に付けたら心強いが敵に回すと恐ろしい事この上ない。 「というか、君は私のマネージャーだろう?私の為に尽力するのが当たり前であって、邪魔するとはどういう了見だ」 「もちろん尽力しております。今も、うちの看板俳優が性犯罪者にならないようにと、心を砕いておりますのに」 「……人聞きの悪い」 「いえ、悲しい事に事実です」 情け容赦のないホークアイの言葉に、ロイは何ひとつ言い返せずに息を詰めた。 彼女には口で勝てた例しがないのだ。 ヘタに口答えするより無言で通した方が選択としては賢い。 これも、長年の付き合いの中で学習した事だった。 ホークアイは、どうやら本気でエドワードをロイの魔の手から守ろうとしているらしい。 これは長期戦覚悟となるだろう。 ロイは、今日のところはここまでか、とため息を吐いた。 とにもかくにも仕事で来ているのだから、いつまでも口説いてばかりもいられない。 「では、私は控え室へ……」 「……エドワードちゃん?」 立ち去りかけたロイが、ホークアイの怪訝そうな声に振り向けば、ロイとホークアイの間を行き来していたらしいエドワードの視線がプイ、と不自然に逸らされた。 化粧をしていなくとも赤く艶やかな唇をツンと尖らせて、どことなく拗ねたような仕草で。 「アンタらって、付き合い長いの?」 「え?……あぁ……長いというか、」 「腐れ縁ですね」 「嫌な言い方だな」 「でも、事実ではないですか」 ポンポンと返される2人の言葉の応酬に、エドワードはきゅっと唇を噛んだかと思うと、 「随分と仲が良いんだな」 そんな不吉な言葉を残して、その場から立ち去ってしまった。 「君は誤解しているよ、エドワード」 「…………」 「彼女とは、確かに付き合いは長いが、そういう付き合いは一切ないんだ。彼女は有能な相棒ではあるが、それ以上でも以下でもない」 何やら浮気の言い訳みたいだ、と内心思いながら、ロイは必死にさっきの誤解を解こうとしていた。 ちなみに場所は、撮影現場のセットの陰だ。 以前、エドワードから「半径3メートル以内に近寄るな」と言われたが、それでは仕事にならないので、一応1メートル以内という事で手を打ってもらっている。 そして、撮影の待ち時間には、その距離を保ちつつ出来る限りの親睦を深めようと努力していた。 幸い撮影現場にはホークアイも入れないので。 「……もしもし?エドワード?」 「…………」 「エドワード…………ジゼル?」 「え?何?」 「……いや、何もないよ」 撮影が始まって今日で1週間になるが、エドワードには驚かされる事ばかりだった。 映画監督の娘とはいえ、エドワードは素人だ。 なので、ホーエンハイムをはじめロイも他の共演者達も、エドワードの演技に過大な期待はしていなかった。 演技指導の時間もスケジュール内に入れて、多少撮影期間に余裕を持たせたくらいだったのだ。 だがエドワードは、自分の台詞だけではなく台本の中身を全て暗記してきた。 そして、自分の中にジゼルという1人の人間を完璧に作り上げていた。 いざ撮影が始まってみれば、この子のどこが素人なんだ、とロイは舌を巻いた。 撮影現場にいたのは、エドワード・エルリックではなく、物語の主人公ジゼルそのものだったのだ。 ロイはぼんやりと椅子に座っているエドワードを見た。 エドワードは既に役に入り込んでいるらしく、今の彼女は「ジゼル」だ。 仮に「エドワード」に対して話しかけても、反応は返ってこない。 そう―――いくら邪魔者達のいないところでエドワードを口説こうとしても、エドワードがエドワードでない状態では無駄なのだ。 「前途多難だな……」 「……先生、どうしたの?」 「いや、何にもないよ、ジゼル」 にっこりと笑いかければ笑い返してくれる。 だが、悲しいかなそれは、エドワードではない。 これは、ある意味「二重人格」の状態といえば良いのだろうか。 「障害が多いほど燃えるものさ……」 なんて。 そんな台詞を吐いたのは、生徒の母親と不倫する高校教師をやった時だったか――― 「元気ないなぁ、先生。夜勤明け?」 思わず黄昏たロイに「ジゼル」はそう言って笑う。 ロイは口の端をひくりと引き攣らせて笑い返すしかなかった。 2010/05/27 拍手より移動 back |