08 「相変わらず金髪のねーちゃんが好きだよなぁ」 中央図書館を出ると、まず口を開いたのはヒューズだった。 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、あからさまに面白がっているのが分かる。 「煩い。人聞きの悪い事を言うな」 ―――どうしてこの男は、こうタイミング悪く現れるのか…………いや、待てよ。 そう考えて、ロイは瞬時に思い直した。 もしもこの男が現れなかったら、ロイはあのままナタリーを食事に誘い、剰え恋人のように振る舞い、人目のない場所でキスをしただろう。 あわよくばホテルへと縺れ込んだかもしれない。 そんな決定的瞬間を、知らぬ事とはいえエドワードに目撃されてしまうところだったのだ。 危ないところだった。 やはりこの男には感謝せねばなるまい。 「だってお前、昔から金髪好きだろ?今までの彼女だって…―――」 「は!?…待て待て待て待て!」 「あ、ブルネットもいたっけ?」 「ではなくて!…良いから黙れ!」 前言撤回。 やはりこの男は危険だ。 ロイのろくでもない過去を知りすぎている上にお喋りとは、厄介な事この上ない。 そもそもヒューズは、エドワードがロイの下にいる理由を知らない。 おそらく先ほどエドワードが話した内容をそのまま信じているのだろう。 そうでなければ、子供好きなこの男が、みすみすエドワードを傷付けるような事を言うはずがないのだ。 こんな事なら、からかわれるのを覚悟でこれまでの経緯を話しておけば良かった。 だが、今となっては後悔先に立たずである。 いつもは察しの良い男だが、今日は期待出来ないだろう。 どう見たって、エドワードがロイの恋愛対象の範疇外である事は疑いようのない事実だ。 このままだとエドワードのウケを狙って過去のあれこれを洗い浚い喋り出すかもしれない。 「今はそんな話がしたい訳ではない。…分かっているよな?」 「お?…っおう……」 発火布を目の前に突き付けて凄めば、さすがのヒューズも身の危険を感じたのか口を噤んだ。 首を傾げているところを見ると理由までは分かっていないようだが、黙ってくれたのでよしとする。 何しろ過去の話がろくな話ではない事は自覚済みなのだ。 ロイだって別に彼女を傷付けたい訳ではないのだから。 ふと視線をやれば、エドワードはぼんやりとした目で道行く人達を見ていた。 話は聞こえているだろうに、素知らぬ様子なのが気に懸かる。 それが、本当に気にしていないのか、ただ単に強がっているだけなのか、ロイには判断出来なかった。 その目が涙で潤んでいない事にひとまず安堵して、ロイはヒューズに向き直る。 「で?何か用だったのか?」 「いんや。ちょっと早めの昼飯に出てただけだ。さっきも言った通り、ただの通りすがり」 「そうか。じゃあ、早く戻れ」 「お前こそ、サボりも大概にしろよー。リザちゃんに怒られるぞ」 「……分かってる」 ―――そうだった。 仕事を放り出し、ついでにハボックの前髪を燃やして出てきたのだ。 戻ったら絶対エライ目に遭わされる自信がある。 そう思ったら、背中を冷たい物にするりと撫でられた気がした。 「ケケケ。お前も懲りねぇ野郎だよなぁ。マゾか?そんなにリザちゃんに怒られたいのか?」 「……何故そうなる」 「てっきり構われたくてやってんのかと。まぁ、いい加減長い付き合いじゃねぇか。早く結婚しろよ。良いぞー良く出来た嫁さんで!」 「ヒューズ!」 「おっと、そろそろ時間だ。じゃあな、ロイ。また呑みに行こうぜ」 ロイの苛立ちが臨界点まで達したところで、ヒューズは話を切り上げた。 付き合いが長いだけに引き際は心得ている。 言ってる事は悪気のない冗談のつもりだろうが、ロイを限界まで苛立たせるこの行為自体には悪気がないとはいえまい。 いっそ1度燃やしてやろうか。 そんな不穏な事を、何事もなく去っていこうとする背中に思った時、「あ」と言ってヒューズは振り返った。 「…と。エドもまたな!」 「!」 不意に名前を呼ばれ、驚いて振り向いたエドワードは、愛想よく手を振るヒューズに圧倒されたように躊躇いがちに手を振り返した。 それに満足気に笑ったヒューズは、さっさと踵を返して行ってしまう。 どうやら本当に、ただの通りすがりだったらしい。 鼻歌を歌いながら遠ざかる背中を2人して呆然と見送り、やがてどちらからともなくため息を吐いて顔を見合せた。 「友達?」 「あぁ、士官学校時代からのね」 「そっか」 そう言って、未だどこか気まずそうに笑うエドワードに、ロイは戸惑う。 明らかに何某かの関係がありそうな女性と会っているところに出くわし、友人だという男からは過去の恋愛遍歴を聞かされたのだ。 この場合、もっと怒るなり拗ねるなり泣くなりするものだと思うのだが、あまりにも控えめな反応にどうすれば良いのか分からない。 一瞬、怒りが行きすぎて無の境地に達してしまったのかとも思ったが、彼女には元からそんな様子はなかった。 そう、ただ冷静に事の成り行きを観察しているような――― 「じゃあ、俺はここで……」 「エディ?」 エドワードはロイの声にも振り向かず、真っ直ぐ前を向いて歩き出した。 どこへ向かっているのか分からないが、こんな事があった直後で放っておくのも気が引けて、とりあえずロイはエドワードの後を追ってみる事にした。 「ちょっと待ちなさい。君はどこへ行くんだ?…その荷物は?」 そう言ってロイが指差したのは、彼女の手に抱えられた大きなバスケット。 さっき図書館の玄関付近で大きな物音を立てたのはこれだ。 「あ、お弁当。…司令部に持っていこうと思ってたんだけど……」 「私に?」 「うん。…でも、出かけるとこなんだろ?…なら、…―――」 「では、司令部に戻るか。昼食はまだなんだ」 「あ…!」 持って帰ると言いかけたエドワードを遮り、ロイはその手からバスケットを取り上げると、司令部へ向けて踵を返した。 こうなったら街中をぶらぶらする理由もないし、何だかエドワードの顔を見たら、条件反射のようにお腹が空いてきた。 たった2日ほどですっかり胃袋を掴まれてしまったらしい。 そんな風に考えながらのんびりと歩を進めれば、背後からは何やら慌てたような気配と共に小さな足音が追いかけてくる。 「ロイ!でも…さっきの女の人は?」 「あぁ。ちょっとお詫びに寄っただけだ。別に約束があった訳じゃないから良いんだよ」 そう言って振り向き、ロイはエドワードの手を取った。 反射的に逃げようとする手をしっかりと握り、そのまま歩きだす。 自分より少し体温の高い小さな手は、子供以外の何者でもない。 そんな子供と軍服を着た大人が手を繋いで歩いている姿は人目を引いた。 傍から見れば、どんな組み合わせに見えるのだろうか。 滑稽だろうか、それとも微笑ましいのだろうか。 ぎゅっと握り返してくる掌を愛しいと思う。 だけど、それはやはり庇護すべき子供に向ける感情に他ならないのだ。 ふと、ナタリーを想う。 彼女と、本気の恋をしようと思っていた。 軽い気持ちで付き合っている女性はたくさんいたが、心から誰かを想う事はなかった。 そんなロイの前に現れた彼女は、ロイの理想を具現化したかのような女性だった。 だからこそ、あれこれ手を尽くして口説き落としたのに、意外な1面を知った途端急激に冷めたのだ。 結局自分は、ただ単に見せかけの理想像に捉われていただけで、本気で彼女を愛していた訳ではなかったのだと思い知らされた。 本気の恋愛が聞いて呆れる。 これでは、憧れを恋と勘違いしているエドワードと大差はない。 ちらりとエドワードを見やると、繋いだ手をぶんぶん振りながら元気に歩いている。 機嫌を損ねている様子がない事に胸を撫で下ろし、赤いワンピースの裾が風にそよいで揺れているのを微笑ましい気持ちで眺めた。 「お弁当の中身は何だい?」 「ん、と……ハムとチーズと野菜たっぷりのサンドイッチと、チキンと野菜のグリル、グリーンサラダ…それと、コーンスープ。デザートのオレンジゼリーも俺特製!」 「そんなに?それは楽しみだ」 「おう!」 ニカッと笑って顔を上げたエドワードの金色のポニーテールが、光を弾いて揺れる。 その眩しさに目を細め、何よりエドワードに笑顔が戻った事に安堵してロイが微笑むと、彼女は更に笑みを深くした。 「早く行こう!いくらポットに入れててもスープが冷めちまう」 「それは大変だ」 そうして、2人は手を繋いだまま司令部までの道を足早に歩いた。 2011/07/11 拍手より移動 back |