OH MY LITTLE GIRL | ナノ


09

「大佐!一体どちらへ……エドワードちゃん?」
「こんにちはー」

ロイが司令室のドアを開けるなり目をつり上げて怒鳴った副官は、ロイの背後からひょっこり顔を出したエドワードを見た途端、打って変わって表情を和らげた。
とても同一人物とは思えない凄まじい表情の変化だったが、賢明なロイは黙っていた。
言ったら最後、「誰の所為だ」と銃口を向けられる事は間違いないのだから。

「途中で会えたのね。行き違いにならなくて良かったわ」
「焦ったんスよ〜姫さんが来るってのに、何も言わずに飛び出していくんスから!」

エドワードには安堵したように、一方ロイには不満気に、それぞれため息混じりに零された言葉。
どうやらその口振りからして、2人はエドワードが弁当を持って来る事を知っていたらしい。
おそらくエドワードが前以て連絡してきていたのだろう。
乱暴な口調や粗雑な態度とは裏腹に、基本的に礼儀正しい子供である。
初めて訪ねてきた時は不意打ちだったが、今のようにすぐ連絡が取れる状態であれば、こちらの都合を無視して押し掛けるような真似などする訳がないのだ。

だとすると、副官もヘビースモーカーの部下も、行き違いにならないかとさぞかしやきもきしていた事だろう。
何しろ女性に会う為に飛び出していったのだ。
確かにロイ自身は「女性に会いに行く」とは言わなかったが、数えきれない前科があるので部下達にはお見通しだっただろう。
これで本当に行き違いになっていたら、想像もつかないような恐ろしい制裁が待っていたに違いない。
この2人に限らずロイの部下という部下は皆、エドワードを気に入っているのだ。

「なぁ。ロイは、俺を迎えに来てくれたんだろ?行き違いになった訳じゃないし、中尉も少尉もなんで怒ってるんだ?」
「え……?」
「弁当重かったし、ロイが来てくれて助かったぞ?」

そう言って、エドワードは可愛らしく首を傾げた。
それに戸惑った声を出したのはロイだ。
エドワードは、ロイが女性と会っているのをその目でしっかりと見たはずだし、何よりロイはエドワードに「どこへ行くんだ?」と聞いた。
あれが迎えなどではない事は、エドワードが1番分かっているはずなのに。

「あー…うん。…いや、黙って出て行ったからさ…心配したんだよ。本来、大佐が外に出る時には護衛を付けなければならないんだ。だから、」
「そっか。それなら急に来た俺が悪かった。ごめんなさい」
「いやいや、姫さんが謝る事じゃねーって!」

しゅんとするエドワードをハボックが慌てて宥めているのを横目に、副官は「どうやって誤魔化したんですか?」という目で睨んできた。
もちろんエドワードから見えない角度で。
それにはロイも困ったように首を傾げるしかなかった。
決して察しの悪い子供ではない上に、誤魔化しも出来ない状況だったのだ。
どう考えても自ら誤魔化されてくれたとしか思えない。

―――では、何故?


「なぁなぁ!多めに作ってきたからみんなの分もあるんだぜ!」


微妙な空気を断ち切るようなエドワードの声に、ロイや部下達はエドワードへ振り返った。
部屋の隅にある応接セットのテーブルに持ってきたバスケットを乗せ、エドワードはにこやかにバスケットの蓋を開ける。
途端に何やら美味しそうな匂いが鼻腔を擽り、ロイは空腹を思い出した。

「俺らのも?」
「うん!」
「おお、すげー!」

次々とテーブルに並べられるランチボックスには、戻ってくる道すがらに聞いたメニュー以外にもいろいろな物が詰まっている。
どれもこれも手間隙をかけた力作ばかりだ。
侘しい独り者の部下達からは感嘆の声があがる。
おそらく彼らは、このような心尽くしの家庭料理など久しく口にしていないだろう。

「あ!ロイが先なんだから、まだ触んなよ!」

食い意地の張った部下達の魔の手を小さな掌でピシャリと制し、エドワードは「早く」とロイを手招きする。
それに少し擽ったい気持ちでソファに腰を下ろせば、ロイの横に座ったエドワードがお皿に次々と取り分けてくれる。
出来たてをすぐに持ってきたのか、仄かに温かい。

「美味いな」
「だろ?ほら、もっと一杯食べろよ」
「ありがとう。…君は?」
「俺は、味見で腹一杯になったから」

エドワードが照れ臭そうに口を尖らせて言うのを微笑ましげに眺め、ロイは知らず笑みを零した。
その笑顔がデレデレに甘かった事は、その場に居合わせた部下達すべての目にも明らかだった。

「何なんスかねぇ〜…あのベタ甘な空気」
「範疇外とか言いながらあんな目で見るか?」
「おそらく無意識なのではないでしょうか」
「天性のタラシ体質ですからね」
「天罰が下れば良いのに……」

部下達が思い思いに上司への愚痴だか呪咀だか分からない言葉を吐くのも気付かず、ロイは終始ご機嫌な様子で昼食を摂っていた。
とにかく美味しかったのだ。
男を落とすにはまず胃袋から、とはよく言うが、そういう意味ではロイは完全に落ちている。

「あ、みんなもどうぞ!」
「待ってました!」

待ちかねたエドワードの言葉に、部下達は歓声を上げわらわらと弁当に群がる。
紙皿を片手に立食パーティー状態だ。
実際のところそんな優雅なものではなく、鬼気迫るものがあったが。
ひとしきりロイが食べた後とはいえ充分すぎる量がまだ残っていたので、醜い争いは起きなかったのがせめてもの救いだった。










「なぁなぁ。今日は残業とかある?」

食事も終わり追い立てられるようにして執務室に戻ったロイは、エドワードにそう問われ思わず副官を見た。
ロイの業務内容は全て彼女に仕切られていると言っても過言ではない。
彼女が残業だと言えば残業だし、定時だと言えば定時だ。

「朝から精力的にこなしていただきましたので、今日は定時でご帰宅されても結構ですよ」
「そうか。…だ、そうだよ」

副官のお許しがないと帰れないとは些か格好悪い話だが、ここではこれが当たり前の光景だ。
ロイが肩を竦めてそう言えば、エドワードは何やら少し考えるような素振りをした後「待ってても良い?」と聞いた。

「それは構わないが……退屈ではないか?」
「本読んでるから大丈夫」

最初からそのつもりだったのか、エドワードはそう言って肩にかけていた鞄から分厚い本を取り出すと、ソファに座った。
随分と準備が良いな、とぼんやり考えて、ロイはふと気付く。
昨日は休みだったから相手をしてやれたが、自分が仕事をしている間はエドワードを1人きりにしてしまうのだという事に。
ここにいたいと言うところからして、家に1人でいるのが寂しいのだろうと知れる。
父親であるホーエンハイムはセントラルにいるが、毎日学会に顔を出しているらしく、娘の相手はしてやれないのだと嘆いていた。
ロイだって、次の休みがいつ取れるのか分からない。
エドワードとて本来活発な少女なのだ。
いくらなんでも退屈だろうに。

黙って文字を追いかけている小さな少女を見やり、ロイはどうすべきかと頭を悩ませる。

いっそヒューズにでも頼んでみようか。
あの男の家には娘がいるし、ちょうど良い遊び相手になるのではないだろうか……。

そこまで考えて、ロイははた、と気付いた。
エドワードはそこまで幼くはないのだと。
ヒューズの娘は、確か3歳だ。

「え、と……やっぱり俺、邪魔か?」
「え?」
「なんか、こっちばっか気にしてるみたいで仕事進んでないし……邪魔なら、外で待ってるけど」
「いや、邪魔ではないよ。そうではなくて……エディが退屈しないで済む方法はないかな、と考えていたんだ」

言葉はするりと出た。
別に取り繕うつもりなど端からないのだから、これは本心だ。
僅かにソファから腰を浮かせたエドワードに座り直すように勧めると、何やら迷うような素振りで腰を下ろし、落ち着かなさげに視線を彷徨わせる。
どうも様子がおかしい。

「エディ?」
「俺…は、ロイの傍にいるの…退屈じゃないよ」
「そうか」
「それに、セントラルには大学の友達とかいるし、しようと思えばそれなりに暇潰し出来るんだ」
「なら良いが……」

それでも尚拭いきれない違和感に首を傾げていると、決裁済みの書類を持って退室していた副官がお茶を淹れて戻ってきた。
給湯室に備え付けの物とは明らかに違う可愛らしいマグカップには、少女の為のミルクティー。
それに、本を読む彼女の手が汚れないようにという配慮からか、セロファンに包まれたチョコレートやクッキーを添えて。

「エドワードちゃん。良かったらお菓子もどうぞ」
「え……俺に?」
「ええ。あんなに美味しい昼食をご馳走になったのに、こんな物で申し訳ないけど」
「ううん、ありがとう」

元気にお礼を言い、機嫌良くお菓子を頬張ったエドワードは、ソファの上に小さく丸まって本を読み始めた途端、類い稀なる集中力を発揮し始める。
こうなると、キリの良い箇所に到達するまで時間も物音も気にせず読み耽る事だろう。
おそらく呼びかけても聞こえない。
ロイは密かに苦笑を零し、再び書類に目を落とした。

エドワードの為にも、1分でも1秒でも早く仕事を終えなければならない。
そう考えると、自然とロイの集中力も増していく。


そうして、いつしか部屋の中は静寂に包まれ、ペンを走らせる音と紙を捲る音に支配されていった。



2011/07/11 拍手より移動

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