OH MY LITTLE GIRL | ナノ


06

カーテンの隙間から射し込む光に誘われて目を覚ませば、隣のベッドは既にもぬけの殻だった。
ベッドの上にはきちんと折り畳まれたパジャマがあり、気配に聡いはずの自分がそれに気付かずに眠り続けていた事に驚きは隠せない。
熟睡なんて、ここ数年した事なかったのに。

一体何時だろうか、と周囲を見回したが、時計が見当たらない。
そういえば時計を置いていたサイドテーブルは廊下に放り出されていたな、と思い至り、ロイは漸く起き上がった。
些か寝過ぎてぼんやりした頭を抱え寝室を出ると、食欲をそそられる香ばしい匂いとカチャカチャという物音がしている。
時計を確認すれば、午前7時だ。

「エディ?」
「あ…ロイ、おはよう。朝食出来てるから、顔洗ってきて」
「…おはよう。随分早起きだな」

一体何時に起き出したのか、リビングのテーブルの上には所狭しとお皿が並んでいる。
カリカリに焼いたベーコンと、とろとろのチーズオムレツ、トマトのサラダ、オニオンスープ、厚切りトーストにはバターと蜂蜜。
ロイには些か立派すぎる朝食だ。

「だって、せっかくの休みなのに、ぐずぐずしてたら時間が勿体ないだろ?俺、ロイとやりたい事いっぱいあるんだからな!」

あまりにも楽しそうに言われ、ロイの頬も思わず緩む。

そういえば、この子は昔からそうだった。
師匠であるホーエンハイムが学会などで外出した際、実質的に暇になるロイは子供達の恰好の遊び相手で、彼女も彼女の弟もロイの自由になる僅かな時間を惜しむように襲撃してきたものだ。
野山を走り回り、川で魚を釣り、時には原っぱで昼寝をした。
クタクタになるまで遊んで、眠ってしまった幼子2人を抱えて帰った事もある。

目を閉じれば、目蓋の裏に浮かぶ懐かしい景色。
長い間思い出しもしなかったくせに、思い出そうとすると途端に鮮やかに蘇る記憶。
もう戻れない日々を惜しむように、切なく胸の奥が痛んだけれど。

「ほら、早く!顔洗う!」
「あ、あぁ」

半ば追い立てられるように洗面所へ行けば、ロイはそこでもまた驚かされた。
風呂場は綺麗に清掃され、昨夜脱いだ衣類が全て洗濯されていたのだ。
朝食の用意だけでも大変なものなのに、ここまで完璧に家事をこなされるとは思ってもみなかった。

「なるほど……普通の花嫁修業もちゃんとしたんだな」

あのお転婆娘が、ロイの為に。
そう思うと、いじらしさに胸が熱くなる。
たとえそれが、憧れが長じた勘違いの恋だとしても、彼女の健気な気持ちを踏み躙る事は出来そうもない。

「なぁなぁ、今日は買い物に行こうな!」

そう言って笑ったエドワードに、「そうだね」と微笑み返す事以外に選択肢はなかった。










「はぁー…良い買い物が出来た……」
「買い物だと言うから、てっきり洋服か何かだと思ったら……」
「だって、セントラルの古書店は希少本の宝庫なんだぜ?どんな掘り出し物があるか分かんないじゃん!」

カフェのテラス席に座りホクホクとご満悦のエドワードの手には年代物の錬金術の本。
錬金術師であるロイにはその希少さが理解出来るが、到底普通の少女が欲しがる物ではない。
普通の少女が興味を引かれるものといえば、洋服やアクセサリーに靴や化粧品などの類だろう。
さすがにエドワードくらいの年頃の少女と付き合った事はないが、女性という性別を持つものは、いくつであっても皆女性なのだ。

「それに……」

そう言って、エドワードは何やら言い淀み眉間に皺を寄せた。
一体どうしたのかと首を捻れば、今度はエドワードの頬がぷうっと膨らむ。

「…洋服は、親父やブラッドレイのおっちゃんが山ほど買ってくるから……余ってんだ」

ヒラヒラのワンピースの裾を握りしめ、エドワードは不満そうに呟く。
些か少女趣味なデザインのワンピースは、見た目の幼いエドワードによく似合っていた。
どうやら本人は気に入らないらしいが。

「なるほど。閣下や先生はエディの魅力をよく熟知している」
「どこが!?」
「とても可愛らしいじゃないか。よく似合っているよ」

にっこり笑ってそう言えば、エドワードはピクリと肩を震わせて俯いてしまった。
ポニーテールに結われた金色の髪がさらりと肩を滑り、光を弾く。
耳が赤いところを見ると、どうやら照れているらしい。

「……ロイはすぐそうやって俺をからかう」

―――訂正。
どうやらからかわれたと思って怒っているらしい。
本当に可愛いと思うからこそ言った言葉なのに、この年頃というのは難しいものだな、とロイは密かにため息を押し殺す。

「ほら、お茶が冷めてしまうよ?」
「分かってるよ!」

ロイの言葉にムッとした表情のまま顔を上げたエドワードの頬は真っ赤だった。
尖らせた唇は、彼女の怒りを如実に語っているのだろうが、ロイには可愛らしいだけだ。
先ほどより更に膨らみを増した頬を突きたい衝動をどうにか抑え、エドワードの前に自分の分のケーキを押しやる。
一瞬、不思議そうに目を瞬かせて、エドワードはロイとケーキを交互に見比べた。

「それもどうぞ?」
「良いの?」
「最初からそのつもりだったからね」

笑って頷いてやれば、先ほどまでの不機嫌を忘れたエドワードが目を輝かせた。
その無邪気な笑顔にホッと胸を撫で下ろして、ロイは紅茶を1口飲み、通りへと目をやった。


―――あ。


何気なく見た通りの向こうに、ロイは本来のデートの相手であったはずのナタリーの姿を見つけた。
金色の艶やかな髪をなびかせ颯爽と歩く姿は美しく、すれ違う男という男は皆見惚れている。
中には身の程知らずにも声をかける者もいるが、ナタリーはサラリと躱してしまう。
それはそうだろう。
あんな平凡な男、才媛と誉れ高いナタリーには釣り合わない。
彼女のような素晴らしい女性と釣り合うのは―――

「私しかいないな……」
「何が?」

ハッと我に返り振り返れば、エドワードが首を傾げてロイを眺めていた。
気まずい思いをそっと胸の内に隠し、ロイは「なんでもないよ」と目を逸らす。

「?…変なの」

そう言ってエドワードがまたケーキに視線を落としたのを確認し、ロイは再度視線をナタリーに移した。

金色の髪が風になびき光を反射している。
その美しさに目を細め小さくため息を吐いた。
すぐにでも追いかけて昨日のお詫びを言いたいが、さすがにエドワードを放置する訳にもいくまい。
明日、昼間にでも仕事を抜け出して彼女に会いに行こうか。
そう思い直し、未練がましく眺めていたナタリーから視線を外してエドワードに向き直ると、そういえばこの子の金色の髪もとても美しかったのだったと改めて思った。
ナタリーよりエドワードの髪の方が濃い蜜色で、よりしっとりと艶やかだ。

「……ロイ?」
「あぁ、すまない。綺麗な髪だと思って」

怪訝そうに名を呼ばれ、無意識のうちに手を伸ばしエドワードの髪に触れていた事に初めて気付いた。
さらさらとした感触を楽しむように指先を滑らせば、エドワードの目が剣呑な色を浮かべる。

「…またからかってる」
「まさか。さっきも含めてからかってなどいないよ。可愛いから“可愛い”と、綺麗だから“綺麗だ”と言っただけだ」

さも当然と言わんばかりにそう言えば、エドワードはポカンとした顔をした後狼狽えるように視線を彷徨わせた。
「信じらんねー」などと言いながら、両手で髪を掻き毟りそうな勢いだ。
さすがに出先でぐしゃぐしゃにするほど我を忘れた訳ではなかったようだが。

「エディ?」
「ロイは、もうちょっと言葉を選んだ方が良い、と思う」
「何がだね?」
「自覚ないのか……厄介だなぁ」

何やら呆れたように呟かれた言葉に、ロイは首を傾げた。
何か不味い事を言っただろうか、と。
琥珀と見紛うばかりの大きな金色の目がロイを射貫き、少しの居心地の悪さに肩を竦める。
続きがあるのかとしばらく黙って待っていたが、エドワードがまたケーキにフォークを突き立てたので、ロイの疑問は解消される事はないらしい。
聞こうかとも思ったが、また臍を曲げられるのも困るので止めた。
何しろエドワードときたら、ロイに対する態度は基本的に昔と変わらないのに、ロイが昔と同じように扱うと、変なタイミングで拗ねたり怒ったり照れたりするので、ロイも調子が狂わされっぱなしなのだ。
面倒だとは思わないが、難しいなとは思う。
嫌われても構わないなら、どうとでも出来るのだ。
だけど、嫌われるのは嫌なのだから、どうにも大変だ。

ロイは諦めたように通りへと視線を投げ、こちらに気付く事なく遠ざかっていくナタリーの背中をさりげなく見送り―――ふと、違和感に首を傾げた。


「あれ……?」


初めて出会った時に真っ先に気に入ったはずの彼女の金髪が―――何故か急に色褪せて見えたのだ。



2011/06/04 拍手より移動

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