03 「しかし、実際のところどうだ?」 「何が、ですか?」 「エドワードの事だよ。昔から可愛かったが、更に可愛くなっただろう?心が動いたりせんか?」 ホークアイが淹れたお茶を飲みながら、ふと思い付いたようにホーエンハイムはロイに問うた。 幾分疑わしげに、どこかそわそわした様子で。 ちなみに、ケーキに釣られて出ていったエドワードはまだ戻ってきていない。 「いえ。間違っても変な気は起こしませんから、そのようなご心配は要りませんよ」 そんなに心配なら、こちらに寄越さず自分で諦めさせれば良いのに。 どうせ、下手に反対してエドワードに嫌われるのが嫌で、全ての責をロイに負わせるつもりに違いないのだ。 ロイはますますうなだれると、そんな気持ちを込めて言い放った。 若干冷たい言い方になったのは致し方のない事だろう。 そもそも子供に手を出すほど飢えていない。 ロイは今日のデートの予定を思い浮かべ、困った事になったと表情を曇らせた。 中央図書館司書のナタリーは、稀にみる才女だった。 彼女の知識に裏打ちされた豊富な話題とウィットに富んだ会話は楽しく、ロイを飽きさせないものだった。 放っておいても群がってくる女性達とは違い、なかなか誘いに乗ってこない身持ちの堅さと知的な瞳、それに艶やかな金色の髪が、ロイのお気に入りだった。 その彼女を漸く口説き落とし、今日の初デートの為にセントラル1のホテルでディナー&お泊りの予定を立てていたのだ。 …なのに。 このままだと今日のデートの予定がパーになるばかりか、せっかく取った明日の休みが子守りになってしまう。 「うむ……君は、エドワードを侮辱するというのかね?」 「は?」 「だって、そうだろう?あんなに可愛いエドワードに見向きもしないとは、君の周りにいるという女性達はそんなに素晴らしいのかね?あの子以上だとでも?」 「ちょっと待ってください」 ロイはガクリと肩を落とすと、盛大なため息を吐いた。 手を出すな、とか、諦めさせろ、とか言ってたくせに、こちらが見向きもしないのが気に食わないとは、親バカを通り越してバカ親だ。 恩師に対して失礼な態度だと思うが、何事にも我慢の限界はある。 今やこの男は師匠である以前に、人の恋路を邪魔する元凶だった。 「比べろという方がおかしいでしょう?あの子は、まだ子供じゃないですか」 「だが、可愛いだろう!」 「ええ、可愛いです。可愛いのは分かってますよ。…ですが、可愛くても子供です!範疇外にも程があるでしょう?」 「範疇外…うむ……そう、か」 ピシャリと言い放ったロイの言葉に、ホーエンハイムは少し残念そうな顔をした…ように見えた。 ここは安心するところではないかと思うのだが、どうにも掴み所のない御人だ。 だが、ここで怯んでいては話が進まない。 「とにかく、今付き合っている女性もいるんです。しばらくあの子を預かれと言うのでしたら預かりますが、場合によってはエディより彼女を優先しますよ」 ロイは「最初が肝心」と言わんばかりに言葉を続けた。 このままこの親子のペースに巻き込まれる訳にはいかない。 そんな気持ちの現れだった。 …のだが。 「大佐。そのような言い方は酷いではありませんか」 「中尉……?」 「そうですよー。あの子、あんなに大佐の事を好きなのに」 「大佐の為に頑張ってたんでしょう?健気じゃないですか」 「まさしく女性の鑑と言えるかと」 「見た感じ明るくて良い子ですし」 「お前達……」 自分達の仕事をしながらもそれとなくこちらを窺っていたらしい部下達は、どうした事か一斉にロイを批判し始めた。 これにはロイのみならずホーエンハイムも驚いたように目を瞬かせた。 「あのような健気で一途な少女が、万が一にも大佐の毒牙にかかるなんて事はあってはならない事です。何が何でも阻止すべきです」 「だから私は…」 「ですが!だからと言って、彼女を傷付けるような事があって良いとは思いません!」 滔滔と語られる副官の言葉に、他の部下達は皆頷き拍手が湧き起こった。 見れば、ホーエンハイムもちゃっかり仲間に加わり「そうだそうだ」とヤジを飛ばしている。 どうやら彼は副官を最大の味方だと判断したらしく、さっさと彼女の背後に隠れてロイの反撃を躱すと、次々と暴言を吐きまくっていた。 賢者だ人間国宝だと崇められているが、案外みみっちい男である。 「どうか彼女を傷付ける事なく穏便に、且つ円満に、彼女の明るい未来を後押しするような対応をお願いします」 「……善処しよう」 射殺さんばかりに睨まれては、ロイもそう答えるしかなかった。 別に、ロイだってエドワードを傷付けたい訳ではないのだ。 結婚しろと言われたら困るが、それでも妹のように大切にしていた子供だ。 出来れば昔の関係のまま、彼女の成長や幸せな行く末を見守ってやりたい。 だがしかし、ナタリーとのデートを諦めるには未練がありすぎる。 今夜訪れるであろう甘く濃密な夜を糧に、この1週間仕事をしてきたのだから。 「とりあえず、今夜と明日1日は彼女と過ごす予定がありますので、エドワードを預かるのはそれ以降にしてください」 「えー?」 「先生……“えー”じゃないです。先に連絡をくださらないのが悪いんですから」 先に連絡があってもきっと上手い事を言って断ったと思うが、ロイはひとまず正論を述べてみた。 それにはさすがのホーエンハイムも口をつぐむ。 突然すぎた自覚はあるのだろう。 部下達は何か言いたげな顔をしていたが、ロイは無視する事にした。 今日のデートの為、愛しのナタリーとの甘い夜の為だ。 後々彼らに人でなし上司と呼ばれようが、せっかくの夜をふいにしたくはない。 「うむ……では、仕方ないな」 「申し訳ありません」 神妙な顔で頭を下げながらも、勝った、とロイは思った。 初めからホーエンハイム親子に振り回されているようでは、先が思いやられるというものだ。 何せ長いひと月になりそうなのだ。 この1勝はロイにとって大きなものとなるだろう。 「では、私は仕事がありますので…―――」 「ロイ!戻ったぞ!」 バーン、とドアをぶち抜く勢いで開けたエドワードは、部屋へ飛び込んでくるなりロイに抱きついた。 細い腕を首に回し、肩口にぐりぐりとおでこを擦り付けるように甘えるエドワードからはケーキの甘い匂いがする。 「あのな、ブラッドレイのおっちゃんすげーの!ケーキ屋のケーキ、全種類買ってきたんだぞ?俺、10個も食っちゃった!」 「あ、あぁ……それは良かったね」 「でな?残りはお土産にくれるって!ロイの分もあるからな?」 「あ、いや……エディ」 「ロイ、鍵貸して!」 「鍵?」 膝の上に乗り上がったまま掌を突き出され、あまりの勢いにロイは思わず怯んだ。 …思えばこの時、うっかり隙を見せたのが良くなかったのだ。 「鍵って言ったら家の鍵だろ?ほら、早く!」 「いや、だから……鍵をどうするんだね?」 「決まってんだろ?俺、先に帰ってご飯の用意するから!だから鍵!」 「…―――」 満面の笑みで言われ、ロイは言葉を失った。 先に言うべきだったのだ。 今夜は用があるのだ、と。 だが、こんな嬉しそうに幸せそうな表情を見せられてしまえば、今更言う事も躊躇われる。 「エドワードちゃん。鍵なら、ここに」 「あ、ありがとう!」 壁に掛けてあったロイのコートのポケットから勝手に取り出したそれを、副官はエドワードに渡した。 にっこりと優しい微笑み付きで。 ロイには止める暇もなかった。 「じゃあ、ご飯作って待ってるから!早く帰ってこいよ?」 「待ちなさい、エディ!」 「あ、ロイん家にはアレックス兄が送ってくれるから大丈夫だぞ!じゃあな!」 ぎゅっと鍵を握りしめ、エドワードは颯爽と執務室を出ていった。 残されたロイは呆然とその背中を見送り、深い深いため息を吐く事しか出来ず――― 「大佐。残業にならないようにしませんと、エドワードちゃんが待ちくたびれてしまいますよ?」 「あぁ……そうだね……」 有無を言わせぬ副官の言葉に、ロイは泣く泣くレストランとスイートルームの予約をキャンセルしたのだった。 2011/05/07 拍手より移動 back |