02 「エディ、大きくなったら、ロイ兄とけっこんする!」 「エディが大人になったら、俺はおじさんになってるよ?それでも良いのかい?」 「いいよ。だってエディね、ロイ兄がすきだもん!」 だから、約束だよ。 そう言って差し出された小さな小指に自分の小指を絡め指切りをした。 あれはまだ士官学校に入る前―――純粋な気持ちで夢を追い、未来を語れた頃の事だ。 「という訳で、ロイの婚約者のエドワードです。よろしく」 そう言ってロイの部下達に小さな金色の頭をペコリと下げると、少女は満面の笑みでロイの膝の上に座り、すりすりと頬を胸に擦り寄せた。 彼女自身はとても幸せそうだが、何しろロイが若干青醒めているので、部下達も反応に困ってしまう。 何よりその上司の碌でもない素行を重々存じ上げているので尚更だ。 このままでは、まだ年若い(というか、幼い)少女をみすみす不幸にしてしまうかもしれない。 「あの……大佐。少し説明をいただけますか?私共はそのような話を一切聞いた事がありませんが…」 「……誰?」 部下を代表して副官が問えば、どうやらロイに夢中で周りの人間の存在を忘れていたらしい少女が、ロイの胸元に懐いたまま視線だけを寄越した。 琥珀と見紛う大きな目が真っ直ぐに副官へと向けられる。 穢れのない視線に射抜かれ、副官は思わず息を呑んだ。 その自分を見る目に嫉妬の色が混ざっている事に気付き、内心驚いたのだ。 幼く見えるが、もしかしたら見た目ほど幼くないのかもしれないと思い至る。 「彼女はホークアイ中尉だ。私の部下だよ」 「部下?ほんとに?浮気してない?」 少女の問いにロイは一瞬気まずそうな顔をした。 当然この副官とは上司と部下以上の関係はないが、それ以外の女性となら両手足の指では足りないくらいの人数と付き合った事はある(ちなみに現在進行形だ)。 決して清廉潔白とは言えない己の身の上を恥じ入る隙がロイにもあったという事だろう。 だが、実際のところそれを浮気かどうかと言われたら、甚だ疑問を感じるところである。 そもそも幼い子供に付き合ってした、ただの口約束に過ぎないのだ。 実際のところロイ自身すっかり忘れていたのだから。 「ロイ?」 とはいえ、自分との結婚を夢見ていたという幼い少女に縋るように見つめられては、そのままを答えるのは憚れた。 一瞬のうちにその顔に鉄面皮を張り付け、気が付けば、胡散臭い笑顔で「エディがいるのに浮気などするものか」とこれまた墓穴を掘りそうな言葉を吐いていた。 全くもって口八丁手八丁な男である。 幼くとも女性である少女に、上司の口は滑りっぱなしだ。 部下達は呆れてものも言えなかったが、少女にはてき面だったらしい。 パァッと頬を薔薇色に染めると、ますますロイにしがみ付いた。 「俺も浮気してないぞ!アーロンにもジョーイにもリックにもフィルにもマークにも、ちゃんと“婚約者がいるから”って全部断ったし!」 少女のその言葉で、どうやら自分の知らないところで1人の少女の人生の選択を左右していたらしいと改めて気付いたロイは、ますます青醒めた。 この子はどこまで本気なんだろうか、と今更ながら考える。 果たして自分はどうするべきなのか、と。 ちらりと胸元に懐いたままのエドワードに視線を落とす。 先ほども思ったが、まだまだ女性と呼ぶには程遠い子供だ。 結婚どころか恋愛相手の範疇にも入るとも思えないほどの。 実際エドワードを膝の上に抱えていても、湧き上がるのは劣情ではなく庇護欲だ。 それは、随分昔に彼女と過ごした日々の中で感じた感情と寸分変わらない。 とてもじゃないが、彼女を結婚相手として見る事は出来そうになかった。 これは正直に言うべきだろう……例え泣かれたとしても。 「エディ…―――」 「邪魔するよ」 突然割って入った聞き覚えのある声に驚いて振り向けば、本来ここにいるはずのない人物、大総統キング・ブラッドレイが巨漢の男を供に連れて立っていた。 「だ、大総統閣下!?」 「あ、ブラッドレイのおっちゃん!…と、アレックス兄だ!」 慌てて立ち上がったロイ達を余所に、エドワードは無邪気な笑顔でブラッドレイに飛び付いた。 デレデレと相好を崩すブラッドレイは、とてもこの国の最高権力者には見えない。 背後に佇む巨漢…もとい、アームストロング少佐も、頭から花でも咲かしていそうな上機嫌さでエドワードを見守っている。 「エドワードが来てくれないから自分から来てしまったよ。元気だったかね?」 「うん!俺、元気!」 「それは良かった。どうかね?ケーキを買ってきたのだが、あちらで食わんか?」 「我が輩がブレンドした美味しいお茶も用意してありますぞ」 「行く!」 エドワードは輝かんばかりの笑顔で答えると、ロイに「ちょっと行ってくるけど、浮気しちゃダメだぞ!」と言い残し、部屋を出て行ってしまった。 どうやら僅かなりとも食欲の方に軍配が上がったようだった。 「……変わりませんね」 「だが、あの子も15になったよ」 そう言って黙り込んだホーエンハイムに、ロイは迷うような視線を向けた。 「あれから12年だね。順調に昇進して……いやいや、君も随分立派になった」 しばらく無言でロイを眺めていたホーエンハイムはしみじみとした口調でそう言うと、何やら意味あり気な視線を寄越した。 値踏みするような、と言えば聞こえは悪いが、彼は昔からそうやって人を観察するところがある。 自分は何か彼から試されている、と感じた。 「まだまだですよ、私など」 「君の夢は、あの頃のままかい?」 「え……―――」 謎掛けのようなホーエンハイムの言葉に、ロイは一瞬言葉を失った。 夢とは、昔彼に語った子供染みた「夢」の事だろう。 錬金術をこの国の平和の為に、人々の幸福な生活の為に使いたいのだと言った、ロイの夢。 それまで弟子は取らないと言っていたホーエンハイムが、ロイのその言葉で弟子入りを認めてくれたのだ。 それが今では軍人になり、錬金術を戦いの道具にしている。 少なくともロイにはホーエンハイムに対する負い目があった。 「先生の教えを忘れた訳ではありません。現状を見れば真逆の事をしているように見えると思いますが…」 「大方、負い目でも感じていたんだろう?音信不通の理由はそれか?」 「…………」 沈黙は肯定だ。 ホーエンハイムは大袈裟なため息を吐くと、何やら考えるような素振りをしてロイを見た。 「ところで。君は、エドワードとの約束など忘れていたのだろう?」 「…すみません……」 「いや、普通忘れるだろう。あんな小さな子供とのままごとみたいな約束なんて」 ホーエンハイムはそう言うと、苦笑ともとれる表情でロイを見た。 「だが、見ての通りあの子は至って本気でね……あの歳で大学も既に卒業している」 「は?」 「何しろ君のお嫁さんになるのだからと言って聞かなくてね。10歳で高等教育を修了した後、アームストロング家に行儀見習いに行ったり、南部の方へ錬金術の修行にも出た。しまいには軍高官の妻になるには大卒の肩書きが必要だと言い出して、つい先日セントラル大学を2年で卒業したよ」 「…………」 あまりの事にロイは呆然とした。 彼女の人生そのものがロイの為に捧げられているも同然だ。 これでは断るに断れないではないか。 「とはいえ、君にその気がないのに無理矢理という訳にもいくまい。それではあの子も可哀想だ」 「はあ」 「という訳で!」 ホーエンハイムの目がキラリと光る。 何だかとても嫌な予感がして、ロイは身体を震わせた。 なんだろう、背中が寒い。 「ロイ君!」 「は、はい」 「君、ひと月かけてエドワードを諦めさせてくれないか?」 「…………はあ?」 てっきり「今すぐにでもエドワードを好きになって結婚しろ」などと無理難題を押し付けられるのかと思いきや、真逆の要求にロイは唖然とした。 「さっきはあの子の手前言えなかったんだが……私はね、元々あまり賛成ではなかったのだよ。年の差をとやかく言うつもりはないが、何しろ君ときたらたくさんの女性達と浮き名を流しているそうじゃないか。そんな不実な男にうちの娘はやれん!認めてたまるか!」 ―――あぁ、これを言いたいが為にエドワードを退室させたのか。 ロイは唐突に理解した。 そして、目の前のこの男が、びっくりするくらい娘を溺愛していたという事実を今更ながら思い出した。 という事は、キング・ブラッドレイ大総統閣下も1枚噛んでいるという事だろう。 無理矢理結婚しろと言われても困るが、下手な断り方をしてエドワードを泣かせた場合、途撤もなく恐ろしい事が待っている気がする。 「とにかく、あの子はこのひと月、君のところに泊まり込むつもりらしいから、絶対に諦めさせてくれよ。間違っても手など出さないように」 「は?何故うちに!?」 「あの子が花嫁修業の成果を君に見せたいと言うのだから仕方なかろう?…くれぐれも頼んだよ?」 サラリと告げられた言葉に刃向かえるはずなどなく―――ロイはただ項垂れるしかなかった。 2011/05/07 拍手より移動 back |