01 それは、事件のない穏やかな日の午後の事だった。 「暇だな」 「良い事ではないですか平和で。…お陰で書類仕事も捗りますし」 「これなら、ちょっとくらい視察に出ても…」 「ダメですよ。どうせその辺の女性を引っかけようと思ってるんでしょう?サボりは厳禁です」 「……だが、」 「ダメです」 中央司令部勤務の国軍大佐ロイ・マスタングは、書類仕事に飽きて執務室からの脱出を企てていた。 …残念ながら副官によって一刀両断されていたが。 「しかしだね……こんな日は珍しいのだよ?こんな日に外に出ずして、いつ出るのかね?」 「事件が起これば嫌でも書類が増えるんですよ?こんな日に書類を捌かなくてどうするんです?」 「う……」 いつだって副官は正しい。 そして、いつだってロイは書類仕事が嫌いだった。 この平行線はきっと一生交わる事はないのだろう。 ―――と、そこで。 ロイの執務机の上の電話がけたたましく鳴りだした。 何か事件だろうか、と俄かに室内は色めき立つ。 ロイは、今日のデートの予定を思い描き、「凶悪犯罪じゃなければ良いなぁ」などと、どこか呑気な頭の中で考えていた。 何しろ今日の相手は、セントラルでも知的美人と名高い中央図書館司書のナタリーだ。 ロイ自ら彼女の下へ足繁く通い、漸く口説き落としたのだ。 つまらない事でせっかくのデートがキャンセルになるのは避けたい。 自然と口から出た声はおそろしく冷たい声だった。 「―――マスタングだが?」 「あ、マスタング大佐!…あの!…大佐に面会だと、…その、いらしている方が……!」 電話の向こうの門衛が何やら慌てたような声でそう言うと、ガサガサという雑音と共に何か叫んでいるような声が聞こえてくる。 面会人と聞いて先ず思い浮かぶのは街の綺麗なお嬢さん達なのだが、これはどうやら違うらしい、とロイの眉間に皺が寄る。 「誰だ?名前は?」 「あ、すみません!…名前、は……エドワード、と言ってまして……そう言えば分かる、と」 「エドワード?…ファミリーネームは?」 「それが……訳があってファミリーネームは明かせないと……金髪金目の、小さな……っぎゃあああああ!」 「おい!どうした!?」 門衛の尋常じゃない悲鳴が聞こえたと同時、電話は切れた。 これはただ事ではない。 ロイは副官やその他の部下達を引き連れると、大慌てで軍用門へと走った。 「てめぇ…今チビっつったか?ああ?この俺様をチビっつったか!?」 「ちょっと、やめなさい…!言ってない!言ってないから!」 「嘘吐くんじゃねー!!」 「ぎゃあああああ!」 「……なんだ、アレは」 「私にも分かりかねますが……」 辿り着いた軍用門付近は大騒ぎだった。 門衛達が団子のように固まり、小さな何かと揉めている。 「ロイ・マスタングを呼んでくれって言ってんのに、呼んでくれないばかりか俺をチビ呼ばわりとは良い度胸してんじゃねぇか!もう良い、どけ!」 「身元のはっきりしない者を通す訳には…!」 「エドワードだって言えば分かる、っつってんだろ!」 「では…せめて君のファミリーネームを…」 「だから、それは言えねーっつってんだろ!?」 どうやらあれが自分に面会に来たという客人らしい。 遠目だとよく分からないが、目測で12か13歳くらいの子供だとあたりをつけた。 金色の髪をみつ編みにして、赤いコートを着ている。 どうにも見覚えがないし、あんな口汚い子供の知人はいないが…と、ロイは首を傾げる。 「……何事だ、これは?」 「た…っ、大佐!すみません!この少年が…!」 「てめぇ、どんだけ失礼なんだよ!俺は女だ!!」 そう言うなり門衛を殴り飛ばした子供は、新たな敵かと言わんばかりにロイへ振り返った。 怒りの為か大きな琥珀のような目は潤み、頬はほんのりと赤く染まっている。 所々みつ編みがほつれているのは暴れた所為だろうか。 その小さな身体は躍動感に満ち、生命力に溢れている。 まだまだ幼いが見目麗しいと評しても良い容姿だ。 「君がエドワード?」 「ロイ……?」 ぱちりと大きな目が瞬き、先ほどまで門衛を口汚く罵倒していた口で大切そうにロイの名前を呼ぶ。 どうやらこの少女は自分を知っているらしいが、自分には心当たりがない。 これはアレだろうか。 所謂ところのファンというやつだろうか。 そう自己完結したロイは、うら若き女性達に受けの良い笑顔を少女に向けると、話の先を促した。 「いかにもそうだが……君は、」 「ロイ!会いたかった!!」 少女は満面の笑みを浮かべ、ロイの胸に飛び込んでくる。 実に可愛らしい。 年端もいかない子供だが、それでも後数年もすれば美人と呼ばれるような素材の良さは窺えるのだ。 ぎゅっとしがみ付かれて嫌な気はしない。 「私もお会い出来て光栄ですよ…レディ」 「ほんと?」 ぱあっと少女の頬が更に色づき、花のような笑みは、至上の幸いを手にしたかのように一気に綻ぶ。 実に良い目の保養になった。 後はこの薔薇色の頬にそっと口付けを落としてやれば、満足して帰ってくれるだろう。 そう考えて、ロイは少女の頬に唇を寄せ…――― 「……ん?エドワード……?」 一度触れかけた唇を離し、ロイはしげしげと少女の顔を見た。 さっきから頭の隅で何かが引っ掛かっていたのだが……というか、よく見ればこの顔にはどことなく見覚えがある。 はて、どこかで出会った事があっただろうか。 そもそも「エドワード」という名前は女の子に付ける名前ではない。 男名前の女の子なんて、会った事があれば覚えているはず…――― 「昔みたいに“エディ”って呼んでも良いぞ?」 「“エディ”…?」 その名前を口にした途端、ロイの心の中に溢れてきたのは、懐かしさと温かな愛しさ。 そうだ……確かに自分は、この名前を口にした事がある。 ずっと昔、士官学校に入る前の――― 「君は……」 シンと静まり返った空間にロイの声がポツリと落ちる。 門衛や部下達はロイのその様子から「どうやら知り合いらしい」とあたりをつけ、黙って成り行きを見守っていると、 「エディ〜!やっと見つけた!」 何やら髪を振り乱し一目散に走ってくる男に、その場にいた皆(エドワード除く)は、ギョッと目を剥いた。 その男が、この国では知らない者はいないと言われるほどの有名な人物だったからだ。 「私を置いて先に行くなんて酷いじゃないか!」 「親父がおっせぇんだよ!つか、エディって呼ぶな!」 「良いじゃないか!私はお前のパパだろう?」 「うっさい。エディって呼んで良いのはロイだけなの!」 「ケチ!」 「いい加減黙れ、クソ親父!」 「あの……とりあえず落ち着いてもらえますか」 ゼェゼェと肩で息をしながら言い争っている2人に、ロイは躊躇いがちに声をかけた。 呆気にとられている者達の中で1番に我に返ったのは、ひとえにこの2人を見知っているからに過ぎない。 ロイは痛む頭を抱えながら、とにかく事態の収拾に取りかからなければ、と男に向き直る。 何しろここは軍用門付近である。 口喧しい古狸達が、何事かと遠目に眺めているのが煩わしい。 「ご無沙汰してます…ホーエンハイム先生」 「やぁ、本当に久しぶりだ。すっかり立派になって」 固い握手を交わす2人に周囲の空気は騒つく。 会話からして2人は古くからの知り合いなのだと理解したからだろう。 何しろ彼―ヴァン・ホーエンハイム氏とは、アメストリスの頭脳と呼ばれる科学者であり国宝級と称される錬金術師である。 変り者として有名で、今はリゼンブールという東の田舎町で暮らしている。 この国のトップ、大総統のキング・ブラッドレイとは友人であり、ブラッドレイが何度となく「セントラルに来てはどうか」と誘ったのにも「都会は嫌い」の一言で断ったというのは有名な話だ。 異例の昇進を遂げているとはいえ、ロイはまだ大佐だ。 そのロイとの意外な繋がりに興味深そうな視線を寄越す者は多かった。 「立ち話も何ですから……部屋へご案内します」 「いや〜すまないね。正直、君には忘れられてないかと不安だったんだが……」 「そんな、とんでもない」 「そうだぞ、親父!ロイはすぐ分かってくれたし、会いたかったって言ってくれたんだぞ!」 さて、そんな事は言っただろうか、としがみ付いたままのエドワードにロイが苦笑していると、エドワードは父親に向かって得意気に言い放った。 「約束どおり、俺はロイのお嫁さんになるからな!」 「は?」 ざわざわと周囲が騒つく。 ロイが呆然とホーエンハイムへ向き直ると、彼は少し寂しそうに笑い、ロイの肩を叩いた。 「あんな昔の約束を覚えていてくれたのか……ありがとう」 「あ、いや……」 約束って何だろう。 ロイの頭の中は疑問符で一杯だったが、ホーエンハイムは涙ながらに言葉を続ける。 はっきり言って、ロイに口を挟む隙はなかった。 「君の本気、確かに見せてもらったよ…私は安心した。エディをよろしく頼む」 「え?」 「よろしくな、ロイ!」 「ええ?」 「「よし!婚約成立!」」 満面の笑みで声高らかに宣言した親子の勢いに呑まれ、その場は祝福の拍手喝采に包まれる。 「ええええええ?」 呆然とするのは、ロイただ1人だけだった。 2011/05/07 拍手より移動 back |