19 「なかなか引っ掛からないものだな」 「いくらド素人集団とはいえ、人1人誘拐するのに勢いだけではどうにもならない事くらい分かっているのでしょう」 囮捜査も既に5日目。 さっさと事を起こしてくれれば良いものを、周囲を嗅ぎ回る輩の気配はあるのだが、決定打がないまま今日に至っていた。 連日のようにロイはホークアイと食事や買い物に出かけ、今回の作戦の為に借りたアパートへ彼女を送る、という事を繰り返している。 今日も「彼女の誕生日プレゼントを選びに宝石店にきた」という設定でセントラルの中心街へ出てきたのだが、目的の連中よりも街中の御婦人達に食い付かれ、表面上は穏やかに、だが内心辟易としながら似非テロリスト達が動き出すのを今か今かと待ち構えていた。 「しかし、連中の様子からしてそろそろではないかと思うのですが」 「うむ、確かに。気が逸っているのか、気配が殺しきれていないな」 「全く。びっくりするほどド素人ですね」 こんな輩に軍高官の恋人誘拐を企てられるなんて、軍も随分と舐められたものだ。 むしろ、この場合ロイ自身が舐められているという事だろうが、いずれにしても腹立たしい事に変わりはない。 そもそも己の力量も正しく量れない屑共が、ただでさえ忙しい時期に余計な仕事を増やしてくれやがって、とホークアイは苦々しく吐き捨てた。 「だが……どうやら動き出してくれそうじゃないか?」 ホークアイの肩を抱き、彼女の顰めっ面を周囲から隠すように引き寄せながら、ロイは小声でそっと呟いた。 さりげなく周囲に視線を巡らせれば、ホークアイもロイの意を汲んだように出来損ないのテロリスト達の気配を探る。 「……そのようですね。ざっと、10人前後ですか」 「誘拐事件を起こすにはちょっと人数が多すぎるようだが、まぁ素人だから仕方あるまい」 クスクスと、今や千載一遇のチャンスを窺っているテロリスト達を嘲笑うようにロイは笑う。 それは、傍目には仲睦まじく語らうカップルと映っただろうが、隠れて護衛の任に就いている部下達には「大佐、随分機嫌が悪いな」と思わせるには充分だった。 「では、早速作戦開始といこうか……中尉?」 漸く訪れた好機に逸る気持ちを抑えつつ、ロイはホークアイを促した……が。 不意に彼女の身体が強張ったような気がして、ロイはふと視線を落とした。 すると、ホークアイは任務中には決して見せない困惑した表情を浮かべ、ロイが聞き取れるかどうかという小さな声で呟く。 「エドワードちゃんが……」 「え?」 ロイは慌てて顔を上げ、ホークアイが見咎めた方向へと視線をやった。 「エディ……?」 車道を挟んだ向かい側の路地に佇む小さな影。 薄暗い中でも輝きを失わない金色の髪の少女。 目を疑ったのは一瞬。 だが、ロイが彼女を見間違える訳などない。 一体何故? 彼女はアームストロング邸にいるはずなのに、よりによってこんな時間に、こんな場所にいるのか。 動揺するロイの視線の先で、エドワードがくしゃりと顔を顰めた。 泣いているのだと、泣かせてしまったのだと認識した途端、ロイの頭の中は真っ白になる。 「……大佐」 「っ」 ホークアイの迷うような視線が向けられる。 ロイに「このままあの子を放っておいても良いのか」と問い質すような目だ。 作戦中の今、本来なら彼女は動揺するロイを嗜めなければいけない立場にあるはずだが、思わずエドワードを優先してしまうほど、ロイは絶望的な顔をしていたらしい。 「……いや。漸く巡ってきた好機をみすみす逃す訳にはいくまい?」 「ですが、」 「おそらく今日仕留めなければ、もっと面倒な事になる……行くぞ」 ロイはホークアイの腰に手を回すとエドワードに背を向けた。 本当は今すぐ走っていって涙を拭いてやりたかった。 これは囮捜査なのだと言ってやりたかった。 傷付けてしまった事を詫びたかった。 だが、今ロイがやらなければならない事はテロリストの逮捕だ。 漸く撒いた餌に食い付いてきた獲物をみすみす逃すような馬鹿な真似は出来ない。 何よりこのまま逮捕が遅れれば、いずれエドワードの存在に気付かれる恐れがある。 あの子を危険に晒す訳にはいかないのだ。 「今夜、片をつけるぞ」 「はい」 ロイはホークアイを促し、歩きだす。 大通りを外れた公園付近で一旦ホークアイと別れ、1人になったところを狙ってやってくるだろうテロリスト達を、そこで迎え撃つ構えだ。 ざわりと気配が動く。 それを背中越しに感じながら、ロイは迷いのない目で前を見据えた。 ホークアイもまた気を引き締めてそれに倣う。 「行くぞ」 「はい」 そうして2人は、エドワードを振り返る事はなかった。 「ねぇ、知ってた?マスタング大佐、とうとう結婚なさるみたいよ」 「え…そうなの?」 「今夜は結婚指輪を買いに行かれたんですって」 「えー…いつかはされると思ってたけど、随分急な話ね」 「あの2人が結婚しなかったのは軍の規則の所為なんでしょ?夫婦になると同じ部署で働けなくなるから、って」 「だからね。ホークアイ中尉、妊娠したんじゃないか、って専らの噂よ」 「そうなの?へぇー…最近仲睦まじくデート三昧だと思ったのよね」 中央司令部に足を踏み入れるなり聞こえてきた会話に、思わず足が竦んで、進む事も戻る事も出来ずに立ち竦む。 自分は何て間が悪いんだろうと我が身を呪っても、聞こえてしまったものは聞かなかった事には出来ない。 「…あら、エドワードちゃん。何かご用?」 立ち竦むエドワードに気付き、にこりと微笑みかけてくれたのは、先ほどまでロイの噂話に余念のなかった受付嬢だ。 エドワードは咄嗟に顔に笑みを貼りつけて、持っていた封筒を見せる。 「こんにちは。…ちょっと、父に資料を届けに」 「あ、先生ならついさっき大総統府へ行かれたわよ?今日はもうこちらには戻らないのですって」 「そうですか……では、そちらに伺います」 「あ、ねぇ、エドワードちゃん。マスタング大佐とホークアイ中尉の結婚の話、何か聞いてる?」 さっさとその場を立ち去りたかったのに、受付嬢はエドワードの手首を掴むとコソコソと問うてくる。 何やら詳しい話が聞きたくて仕方ないとでも言いたげな様子で。 「え、と…私は何も聞いてないです」 「あら、そうなの?」 「もしかしたら父は何か聞いてるかもしれないけど、私は何も。……じゃあ、私はこれで」 それだけを早口に言い放ち、まだ何か問いたそうにしている女性達を振り切ってエドワードは司令部を出た。 頭の中は真っ白だったが、有難い事に足は勝手に大総統府へと向かって走りだす。 ひたすら走って、走って、走って。 車も人もひらひらと躱しながら、エドワードは街の中を一目散に走り抜けた。 思わず力が入って、手の中で封筒がくしゃりと音を立てる。 大切な資料なのに、こんなに握りしめたら台無しになってしまうな、と頭の中の冷静な部分が指先から力を奪っていくが、足は惰性のまま止まらない。 「予定が狂っちゃったな」 やみくもに走り続けながらポツリと零した言葉は、街の喧騒に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。 華やかな通りを1組の男女が歩いている。 男は、見慣れないスーツを着たロイで、その隣に並ぶのは、エドワードも何度も会った事のあるロイの副官、ホークアイ中尉だ。 普段の格好から想像もつかないが、見間違うはずなどない。 美しい金色の長い髪を背に流し、上品なドレスに包まれた身体は服の上から見てもグラマラスだ。 ロイは仕事で帰れないのだと言った。 だけど、実際はホークアイと仲睦まじく身を寄せ合って街を歩いている。 優しげに微笑んで。 手を取り合って宝石店から出てきた2人は、とても幸せそうに見えた。 「嘘なんか、吐かなくて良いのに」 エドワードの頬を涙が零れ落ちる。 そんな2人をこんな物陰から覗き見している自分が、酷く惨めだと思った。 「ちゃんと言ってくれたら良いのに」 視線の先で、ホークアイがロイの耳元で何か囁いている。 一瞬ロイがこちらを向いたような気がしたけれど、2人はそのまま二言三言囁き合い、ロイはホークアイの腰に手を回して華やかな通りを歩きだした。 あっさりとエドワードに背を向けて。 それきり一度も振り向く事はなかった。 「何やってんだろうな、俺」 なんだか笑ってしまいそうだった。 もちろん他の誰でもなく愚かな自分に、だ。 だって、こうなる事は分かっていたのだ、最初から。 わざわざセントラルまで出てきて、押し掛け女房のような真似までして。 そんな事したところで無意味なのだと、自分が1番知っていた。 分かっていて、それでも確かめずにはいられなかった。 確かめないと前に進めないと思ったからだ。 それは、エドワードの強さだったのか弱さだったのか、今となってはもう、どちらでも良い事だ。 ただひとつ言える事は、もうこれ以上、エドワードがここにいる必要がないという事。 back |