OH MY LITTLE GIRL | ナノ


20

「エド、大きくなったら、ロイ兄とけっこんする!」
「エディが大人になったら、俺はおじさんになってるよ?それでも良いのかい?」
「いいよ。だって、エディね、ロイ兄が好きだもん」

そう言って、そっと差し出した小さな小指に絡められたのは、少年の域を越えつつある男の武骨な指。
そこにあったのは、14もの明確な歳の差だった。

彼にとってそれは、幼いエドワードを宥める為の他愛のない口約束でしかなかったのだろう。
なのに、まるで宝物のように後生大切に信じていた自分は、とんでもなく子供だった。
だけど、それでも。
幼いながらも好きだったのだ。
「またね」と言って別れたあの日以降、1度も会いに来てくれなかったあの男が。
軍人になって功績を上げ、どんどん遠くなっていくあの男が。
顔なんて、新聞でしか見れなくなったあの男が。

だけど、男は違った。
エドワードだって、そんな事は分かっていた。

ロイの華々しい功績や女性遍歴は、セントラルでは知らない人はいないくらい有名な話だ。
エドワードも大学に在籍中に数えきれないほどの噂話を聞いた。
それまで「ロイのお嫁さんになる」という目的の為にがむしゃらに突き進んできたエドワードも、残酷なまでの現実を目の当たりにすれば、さすがに冷静にならざるをえなかった。

そんな時、リックに言われたのだ。
そんな子供騙しの口約束など婚約でも何でもない。
幼い頃の憧憬を履き違えているだけじゃないか、と。

何も言い返せなかった。
もしかしたらそうかもしれないと、エドワード自身も感じ始めていたからだ。

だから、確かめてみようと思った。
自分のこの思いは恋なのか、はたまたただの憧れだったのか。
確かめて、自分の気持ちに踏ん切りをつけたかった。
愚かな夢を捨て、新たな一歩を踏み出す為に。








一睡も出来ずに朝を迎えたエドワードは、意を決したようにぎゅっと唇を噛みしめ立ち上がった。
手には、この家に押し掛けた時に持ってきた大きなトランクがひとつ。

「早く…行かなくちゃ……」

とにかく、この場所にいる1分1秒が辛くて堪らなかった。
早く立ち去ってしまいたかった。
自分はもう、ここにはいられないのだ。


『あの2人が結婚しなかったのは軍の規則の所為なんでしょ?夫婦になると同じ部署で働けなくなるから、って』
『だからね。ホークアイ中尉、妊娠したんじゃないか、って専らの噂よ』
『そうなの?へぇー…最近仲睦まじくデート三昧だと思ったのよね』


不意に、昨日うっかり聞いてしまった女性達の会話が蘇る。
ロイは、あの強くて綺麗な大人の女の人と結婚するのだという。
エドワードがいてもいなくても、ロイは既にあの人を選んでいたのだ。

本当は、最初に会った時、すぐに分かった。
あの人はロイが信頼して1番近くに置いている人だから、きっとロイの特別なんだろう、と。

「ちゃんと言ってくれれば良かったのに……」

そうならそうと、最初からはっきり言ってほしかった。
エドワードだって、本気でロイのお嫁さんになれるなんて思ってなかったのだ。
ただ、今まで頑張ってきた事を見てもらいたくて、褒めてもらいたくて、一途な気持ちを知ってもらいたかった。
自分のしてきた事が無駄だと思いたくなかった。
それだけだった。

だけど、共に過ごすうちに、1度は薄らいでいた幼い恋心が再び芽吹いてしまった。
こんなはずじゃなかったのに。



「アレックス兄……お待たせ」
「うむ。このまま行くのか?」
「うん。さすがに笑って挨拶出来る気がしないから」
「そうか……」

優しく促され、荷物と共に乗り込むと、エドワードの気持ちを酌んだように素早く車が動き出す。
ひとつ目の角を曲がれば、家はあっという間に見えなくなった。
それにちょっとホッとして、小さく息を吐く。

家の中は、自分が持ち込んだ物は全て片付け、来る前の状態に戻しておいた。
何もかも元通りに。
まるで初めからエドワードなどいなかったかのように。

「清々した、って思うかな……」

これでロイは漸く子守りから解放されるのだ。
やれやれと思いこそすれ、いなくなった事を憂いたりしないだろう。
もしかしたら少しくらいの罪悪感を感じるかもしれないが、だからといってわざわざエドワードを追いかけてなど来ないに違いない。
だからせめて、ロイが容易く迎えに来れない場所へ行って、それを追いかけて来ない理由にしようと思った。
この上なく臆病で惨めな選択だが、エドワードはこれ以上傷付くのが怖かった。
ロイの目が自分に向かない事が、ロイが他の誰かのものになる事が、ただ怖かったのだ。











ロイの婚約者を狙った誘拐未遂事件は無事解決した。
エドワードを泣かせてしまったあの後、ロイ達は計画通りにテロリスト達を一網打尽にしたのだ。
そのあまりの呆気なさに、「こんなにあっさり捕まるなら、さっさと事を起こして捕まっていれば良いものを」と、ほぼ八つ当たりのように連中の頭を燃やしてやった。
そもそもぐずぐずと5日もかけたりするから、エドワードに見つかる羽目になってしまったのだ。
少々の手荒い仕打ちも許されるだろう。

「エドワードちゃん、きっと誤解してますよ。早く迎えに行ってあげてください」
「しかし、事後処理を放って帰る訳にもいくまい」

若干気の毒そうな表情をしている副官にそう言い、ロイは気を取り直したように書類へと視線を落とした。
シンへの出発式を目前に控え、仕事はいくらでもあるのだ。
あと数日のうちに書類に追いかけられる生活になるだろう。
ならば、出来るだけ前倒しで片付けておきたい。

―――なんて、もっともらしい事を言いつつも。
結局は、エドワードの顔を見るのが怖いのだ。
あんな切なげな泣き顔を見てしまっては、どのように言い繕っても彼女を傷付けるような気がして、また泣かせてしまうような気がして、それが恐ろしいのだ。

あの子を悲しませたのが他ならぬ自分自身だなんて、どれほど我が身を恨んでも恨みきれない。
あの子にはいつだって幸せそうに笑っていてほしいのに。
誰よりも幸せに。

「あ、大佐。アームストロング少佐から預かった物があるのですが」
「アームストロング少佐から?」
「はい。先ほど廊下ですれ違いまして」

そう言ってフュリーが差し出した封筒の中から転がり出てきたのは、エドワードに渡してあった自宅の合鍵だった。
何故これを、エドワードではなくアームストロング少佐が返してきたのか。
いや、では、エドワードはどうしているのか。
この鍵を返してきたという事は、エドワードは―――

「どうやら私は愛想を尽かされたようだな」

冗談めかしてそう言えば、その場の空気が一気に重くなった。
誰1人笑わない。
自分自身だって、驚くほど笑えていなかった。
元々諦めさせるつもりだったのだし、ひと月の猶予があったとはいえ、いずれは決着をつけなければならなかった事だ。
だが、出来ればもっと上手く、あの子を悲しませる事なく終わらせてやりたかった。

「せめて誤解を解かれては?」
「…いや。そうしたところで、諦めてもらわなければならない事に変わりないのだからな……」

不可抗力ではあったが、エドワードを傷付けてしまった事は事実で、それでもロイには謝る事すら出来ない。
謝ったところで、誤解を解いたところで、ロイはエドワードと結婚など出来ないのだ。
下手な言い訳などしては、もう1度傷付けるだけだ。
ならば、もうこのままにしておいた方が、エドワードの為には良いだろう。
酷く消極的な考えだが、ロイにはそれが最善に思えた。


「ロイ君!」


―――と、そこへ。
重苦しい空気を割り、血相を変えて飛び込んできたのはホーエンハイムだった。
何故か旅支度を整えた格好で、目は半分据わっている。

「その格好はどうされたんですか?…出発式は来週で……」
「シンには行かん!俺はリゼンブールに帰る!」
「は!?何を仰ってるんですか!?」

プロジェクトの代表者であるホーエンハイムがシン行きをボイコットするなど、許される事ではない。
一体何を血迷っているのかと詰め寄れば、ホーエンハイムは恨みの籠もった目でロイを睨み付け、この世の終わりだと言わんばかりに叫んだ。

「うるさい!君を信じた俺がバカだった!」

何を、と聞くまでもない。
エドワードの事だ。

「今朝、あの子から電話があった。リゼンブールに帰る、と。だから俺も帰る!」
「先生、ちょっと待ってください!もう出発まで日がありませんし、護衛の手配も…、」
「あぁ、そうだ!出発まで後少しだ!…だから俺は、“1ヶ月かけて”諦めさせてくれと頼んだだろう!?」
「え……?」

今更ながら、ホーエンハイムが提示した1ヶ月の期限の意味を考える。
そもそも1ヶ月という期限は何の為のものなのか。
エドワードがやってきたあの日から1ヶ月という事は、つまり―――?

冷静に考えようと試みるが、謎解きに重要なパズルのピースが欠けていて、上手く思考がまとまらない。
そもそもあの子は、本当にロイと結婚するつもりだったのだろうか?
今になってエドワードの数々の言動にそんな疑問が湧いてくる。


「あの子はいつから諦めてたんだろうなぁ……」


ロイの困惑を余所に、ポツリとホーエンハイムが呟いた。
表情は窺えないが、その声は諦めの色を帯びている。
力をなくした手からはトランクが滑り落ち、床の上でゴトリと音を立てた。

「先生……?」
「…いや、すまん。つい取り乱してしまった」
「いえ……私が至らなかった為に、エディを傷付けたのは事実です」
「うん。それに関しては一生君を恨むから」

それには反論せずに頷いた。
どんなに恨まれても仕方のない事だ。
1人の女の子の12年間を無惨にも踏み躙ったのだから。

だから、どうか1日でも早く、こんな男の事は忘れて幸せになってほしい。
そう願う事だけは許してほしいな、と、ロイは思う。

「…だが、こうなった以上、俺も覚悟を決めなきゃならないな……」
「覚悟……?」


―――それは何に対して?


そう問いたかったロイの言葉はホーエンハイムの手によって制され、最後まで口にする事は叶わず。
ただ黙ってその背中を見送る事しか出来なかった。


胸の中にいくつか腑に落ちないものを抱えたまま。

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