OH MY LITTLE GIRL | ナノ


18

「泊まり込み?」
『あぁ、そうなんだ。早急に洗い出さなければならないテログループがあってね。しばらく帰れそうにないんだ』
「そっか……うん、分かった。着替えとか、司令部に届ける物ある?」
『いや、仮眠室に大体の物は揃ってるから大丈夫だよ……それよりも、』
「ん?」
『その間エディを1人にしてしまう事が気がかりなんだが……』

執務室からの電話だろうか。
申し訳なさそうなロイの声の他にはこれといった物音や人の話し声が感じられなかった。
時折紙を捲るような音がするのは、こうして電話しながらも何か書類仕事をしているのだろう。

「うーん……じゃあ、アレックス兄のとこに行ってる。それで良い?」
『あぁ、そうしてくれると安心だ』

あからさまにホッとしたように言われ、エドワードは苦笑を零した。
この人は、自分を一体いくつの子供だと思っているのだろうか。
おそらく街中にいるエドワードと同年代の少女相手にだって、ここまで過保護な子供扱いはしないはずだ。
エドワードはそんな風に考えながら、努めて明るく「心配性だなぁ」とだけ答えた。

『先生達が出発した後には落ち着くだろうから、そうしたらどこかへ遊びに行こう』
「……うん」
『では、すまないな』

良いから気にしないで、と言って、エドワードは受話器を握りしめた。
電話の向こうのロイの姿を思い浮かべるように、エドワードは受話器を耳にあてたまま目を閉じる。
せめて通話が切れるまで。
ロイが通話を切ってしまうまで。
女々しいと思いながらも、あともう少しロイの気配を感じていたかった。

ふ、と小さな吐息が受話器越しの耳を掠め、ロイの気配が遠ざかる。
エドワードは息を詰めたまま回線が切れる瞬間を待つ。


『―――中尉、』


通話が切れる瞬間に聞こえたその呼び掛けに、エドワードは息を呑んだ。
受話器を握る手が震える。

「そっか……中尉が傍にいたんだ」

先ほどから聞こえていた紙を捲る音は、ホークアイが書類の整理をしていたのかもしれない。
ずっと、ロイの傍で。

何を今更、と自嘲気味に笑い、エドワードは受話器を戻しキッチンを振り返った。
コンロにかけた鍋では牛塊肉の赤ワイン煮がほぼ完成し、最後の仕上げを待っている。

「あと、もう少しなのになぁ……」

切なげに呟いた言葉は、当然誰にも聞き咎められる事はなく、その言葉の意味も、思わず浮かべた表情の訳さえも、誰にも問われる事はなかった。
それだけがエドワードには救いだった。










「エドワードちゃんの様子はどうでした?」
「あぁ、あの子も今の忙しさは理解しているからね……私が帰らない間はアームストロング少佐のところへ行くと言ってるから、まずは安心だろう」
「そうですか」

それにはホークアイも安心したようにホッと息を吐いた。
それからおもむろに書類の束を差し出すと、にこりと背筋も凍るような笑顔で言い放つ。

「さぁ、今夜から囮捜査を始めるのでしょう?その為にも、定時までにはこの書類の山を片付けていただかなくては」
「……こんなに?」
「はい。敵がすぐに釣れれば良いのですが、いつまでかかるか分かりませんし、出来る時に出来るだけの事をしておくべきかと」
「まったく、君は優秀すぎるな」

いつにも増して気合いの入る副官を眺め、ロイは肩を竦めた。
おそらくはエドワードに被害が及ばないうちにさっさと始末をつけてしまいたいのだろう。
何やらこの副官は、エドワードに初めて会った瞬間から彼女を随分と気に入ったようだったので。
…ただ単に、ロイとの噂を早く否定して回りたいだけかもしれないが。

「…早速取りかかるとするか」
「はい、お願いします。では、私は今夜のレストランの予約を入れてきます」
「すまないね。本来なら私が完璧なお膳立てをするところだが」
「いえ、仕事ですから」

暗に「仕事じゃなければ、あなたと食事になんか行きません」と言われ、ロイは苦笑を零した。
街には、ロイが誘えば喜んでついてくる女性がたくさんいるのに、彼女は昔からこうだ。
ヒューズ辺りはロイとホークアイの仲を熟年夫婦みたいだなどというが、実際は兄妹のようなものだろう。
互いに近すぎて、異性として意識する事は皆無だったのだ。
だからこそ、こうして気の置けない信頼出来る仲間として一緒に仕事が出来る。
今回のような囮捜査も、彼女以外が相手ならやらなかった。
恋人らしく振る舞う事で本気になられても困るし、何より咄嗟の動きが読めないのは互いに身の危険が付き纏う。
犯人確保にも支障を来すだろう。
その点彼女なら、本気になられる事はまずないし、意識せずともロイの思った通りに動いてくれる。
本当に理想の部下だ。

「では、頼むよ」
「はい」

颯爽と執務室を出ていくピンと伸びた背中を見送り、ロイは手元の書類に目を落とす。
それは、いよいよ2週間後に控えたシンへの出発式の警備計画書だ。
ホーエンハイムをはじめ同行する研究員達の氏名と年齢の一覧表が添付されており、それらと人数を考慮して最終的な警備の人員の選出や配備を決めるのだ。
さらりと一覧表に目を通せば、意識的だったのか無意識だったのか、ロイはその末尾にリックの名前を見つけた。

彼は今、ホーエンハイムや他の同行者と同様に軍が警備する指定の施設にいる。
随分と不自由な生活を強いられているそうだが、元々は己の不用意な発言の所為なのだから自業自得だ。
どちらかというと、本来予定のなかった警備の人員を割く事になり、その所為で休日返上になっているこちらの方が犠牲者である。
ましてや最後尾に名前を連ねるような優先順位の低い若造だと思うと、余計に腹立たしい。
そして、いくらか不愉快な気持ちでそこに記された年齢を確認し―――ロイは目を瞬かせた。

「19……?」

容姿や物腰から判断してもっと上かと思っていたが、思いの外若くて驚いたのだ。
隣に並んでいたのがエドワードだったからだろうか。
実年齢より幼い彼女を基準にすると、誰でもいくらか年上に見えるかもしれない。
そう考えて、ロイは知らずため息を吐いた。

元より年の差がある自分など、エドワードの傍にいると親子のようにしか見えないのではないだろうか。
エドワードが言うように、婚約だの結婚だのという言葉が2人の間では如何に不釣り合いであるか、考えずとも明確だ。
それほどまでに14歳もの年の差は大きい。

だが、もしもエドワードがあと少し歳をとっていたら……もしくは、自分がもう少し若ければ―――

「……いや、だからどうだというんだ?」

思わず自分でツッコミを入れてしまうほど、ロイの胸中は複雑な思いで一杯だった。
今までそんな風に考えた事はなかった、はずだ。
なのに、まるで呼吸をするように自然に、思考はそこへと辿り着いてしまった。

そう、だからどうだというのだ。
エドワードは愛すべき子供で、妹と呼ぶには歳が離れすぎているが、家族のように大切な少女だ。
それは間違いない。
けれど、今回のような事がなければ二度と会う事などなかったはずの、自分とは住む世界が違う少女なのだ。
もしも、などという仮定など持ち出さなくても、そんな未来は決してあり得ない。

自嘲するようにため息を吐き、ロイは手元の資料に向き直った。
やる事はたくさんある。
ひとつひとつ着実にこなし、エドワードとの約束を果たさねばならない。
彼女の夢を叶えてやる事は出来ないが、せめて無駄に傷付ける事のないように。
彼女の心に僅かな疵も残さないように。
楽しい思い出でいっぱいになるように。


「…………?」

何故か、ふと目に留まった名前。
手違いか、ただ単に公表していないだけなのか、そこには年齢の表記がない。
一覧表の上位に名前が記載されているところを見ると、今回のプロジェクトの主要メンバーだと思われるのだが。

その名前には、ロイの記憶にひっかかる何かがあった。
ファーストネームがよく見知った人物と同じだからか、それとも、


「エルリック……?」


そのファミリーネームにどことなく聞き覚えがあったからなのか。


ロイは首を傾げながらも、すぐに思考を仕事へと戻した。
そして、それ以上深く考える事はなかった。

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