OH MY LITTLE GIRL | ナノ


16

あなたの好きなようになさい。

そう言ったのは、母親のトリシャだった。
いつも笑顔を絶やさない優しい母は、そう言って、いつだってエドワードのやりたいようにやらせてくれた。
錬金術の修行に出ると決めた時も、アームストロング家に行儀見習いに行く時も、ブリッグズ山で山籠りすると言った時も、セントラルの大学に通うのだと言った時も、トリシャは何ひとつ反対する事なく笑って見送ってくれた。

そして、今回も。





「あら、エドワード。そちらはどう?ロイ君に迷惑かけてない?」
「迷惑なんかかけてないよ。家事だって完璧だし、それに、母さんに教えてもらったシチュー作ったら喜んでくれたもん」
「上手に作れた?」
「うん。ロイが、懐かしい味がするって言ってた」
「そう……覚えてくれていたのね」

電話の向こうで柔らかく微笑んでいるだろう母親の、その表情を思い浮かべ、エドワードはふわりと笑った。

「アルは?」
「学校へ行ってるわ。…あなたがセントラルに行った事、まだ怒ってるみたい」
「しつこいなぁ……確かに内緒にしてた俺が悪いんだけどさ……」
「でもね、怒ってる以上に心配してるのよ?学校が休みならセントラルまで追いかけていきそうだわ」

口喧しい弟を思い浮かべ肩を竦めれば、そんな状況など手に取るようにお見通しなのかクスクスと楽しそうに笑う声。

「そんな事になったら、とりあえず止めて。…俺、1回帰るし」
「ねぇ……もしかして迷ってるの?」
「え……?」
「あなたがこうして電話をかけてくるのは、何かに迷って背中を押してもらいたい時、でしょう?」

労るように紡がれる声に、エドワードの肩から力が抜ける。
詳しい事などひとつも聞かないのに、トリシャはいつもさらりとエドワードの心に触れ、あっさりと宥めてしまうのだ。

「父さんは、やっぱり反対してるの?」
「うん……ていうか、親父は昔から俺の決めた事に賛成してくれた事ないじゃん」
「ふふ…そうね。でもね、私の可愛いエドワード。あなたはあなたのやりたいようになさい。よく考えて、決して後悔のないように。あなたはあなたの信じる道を進みなさい」

まるで託宣のようなその言葉に、エドワードの表情がキリリと引き締まる。

そうだ。
いつだってエドワードは心のままに進むべき道を選んできたのだ。
やらずに悔やむくらいなら、例え失敗したとしても、やって悔やむ方が良い。
ずっとそうしてきた事を今更迷うなんておかしな事ではないか。

「うん。なんか吹っ切れた…ありがとう」

お礼を言って電話を切り、おもむろに背伸びをする。
そうすれば、縮まっていた背中と一緒に心まで伸びやかに軽くなったような気がして、エドワードは久しぶりに笑った。


その目にはもう、先ほどまでの不安げな色はなかった。











「あら、エドワードちゃん。大佐にお弁当?」
「うん。…あ、お客さん?」

ロイの執務室に向かう途中で出会ったホークアイがコーヒーカップを2つ乗せたトレーを持っている事に気付き、エドワードは足を止めた。
やっぱり先に予定を確認すべきだったか、と今更思っても遅い。
久しぶりにロイの家に戻ったので、早くちゃんとした手料理を食べさせてやりたかったのだが、相手は軍の高官で、いつも当たり前に会える訳ではないのだという事をうっかり失念していた。

「ええ。でも、エドワードちゃんなら構わないと思うわ」
「え?でも……」
「良いのよ。むしろこのまま帰してしまった方が問題だわ」

にこりと微笑みで促され、エドワードは少し居心地の悪い気持ちに肩を竦めた。
正直なところ自分は、この副官はじめロイの部下達にどう思われているのだろうか。
彼らは皆優しい人達ばかりで、エドワードを邪険に扱ったりはしないけれど…―――

そんな風に不安になるのは、エドワードが密かに胸に秘めた決意の所為だ。









「リザ、って……ホークアイ中尉の事だったんだ……」

ロイの執務室を辞した後、とぼとぼと研究所までの道を歩きながらエドワードはポツリと呟いた。
先日、図書館の前でヒューズが言った「リザちゃん」が「ホークアイ中尉」の事だと知って、胸の中には鉛の塊でも飲み込んだかのような重たいものが沈んでいる。

「そっか……うん、そうだよな」

綺麗で仕事が出来て、ロイの1番近くにいて、ロイが無条件の信頼を寄せている人。
なるほど、今まで見た事や聞いた事などいろんな事が納得出来るような気がした。
そしてそれは、エドワードの決意を更に強固にさせるには充分な事実だった。


こうなったら早く準備に取りかからなくては―――


「あら、あなた」
「え……?」

不意に呼び止められ驚いて振り向くと、あの時図書館で会った女性が笑いながら手を振っていた。
どうしてロイの周りには綺麗な女の人しかいないんだろうか、と思わず眉間に皺が寄る。

「また会えて良かったわ。この前はごめんなさい。娘さんの前で不謹慎な事を言って」
「いや、別にそんな……」
「ねぇ、少し時間ある?お詫びにお茶をご馳走したいわ」
「え、そんな…」
「そこね、シフォンケーキが美味しいの。ぜひ食べてもらいたくて。…ね?」

綺麗に手入れされた指先でお洒落なカフェを示され手首を掴まれてしまえば、エドワードには頷く事しか出来ない。
結局、満足な抵抗も出来ないまま店内へと案内され、エドワードは彼女と向き合って椅子に腰掛けた。

「ホーエンハイム先生ってすごい愛妻家で子煩悩だって有名だけど……こんな可愛らしい娘さんがいるんだもの当然ね」

ふふふ、と艶やかな唇が弧を描き慕わしげな目が向けられ、エドワードはどう返事をすれば良いのか悩んで、とりあえず曖昧に笑った。
綺麗な人に見つめられるのは何となく居心地が悪い。
それは少なからずエドワードが自分の容姿にコンプレックスを抱いているからだ。
皆がよく褒めてくれる金髪金目も父親に似たのだと思うと腹立たしいだけだし、可愛げのない吊り目も気に食わない。
何より、歳より幼く見える小柄で細身な身体には忌々しさしか感じない。
なれるものならもっとたおやかな、誰の目から見ても美しい人になりたかった。

つらつらと考えれば考えるほど気分は重くなる…が、とりあえずは運ばれてきたシフォンケーキに誤魔化される事にして、エドワードはずっと疑問に思っていた事を口にした。

「この前は、何故あんな事を言ったんですか?」
「あんな事?」
「あれ、わざと言ったんでしょう?」

主語を飛ばしたところで、彼女がエドワードの前で話した事など先日の図書館での1件しかない。
確信したように問えば、ナタリーは目を瞬かせた後ニコリと笑った。
心なしか楽しそうだ。

「……あら、分かった?」
「はい。え、と……何となく、ですけど」

ロイが気付いたかどうかは分からないが、エドワードにはあの時彼女が何かしらロイの反応を窺っていたような気がしたのだ。

「私ね、学者肌のお堅い人って好きなの。ストイックで一途な人。だから、ホーエンハイム先生に憧れてるのは本当よ?」
「娘バカで結構変な人ですよ」

そう言ってエドワードが苦笑を零せば、ナタリーは「そこが良いんじゃない?」と楽しそうにクスクス笑う。
それから紅茶をひと口飲み、改めてエドワードに向き直った彼女の口元には、自嘲を含んだ笑みが浮かんでいた。

「マスタングさんはいろんな噂のある方だから、初めは誘われたところで本気にはしていなかったんだけど、あまりに熱心に誘ってくださるからちょっと期待したのよ。そしたら、誘いに応じた途端に約束をキャンセルされたんだもの。やっぱり遊びだったのかしらって、疑っちゃうわよね」
「だからあんな事を?」
「ええ。でも、やっぱり遊びだったみたいよ?その後誘ってこないもの。…ほんと、危うく遊ばれるところだったわ」

ナタリーは肩を竦めると、またひと口、紅茶を飲む。
その表情は彼女の言葉通りさっぱりとしたもので、彼女が並の女性ではない事を窺わせた。
なるほどロイの選んだ相手だ、と感心してしまうほどに。

「……でも、どのみち結婚したいタイプじゃないわね」
「どうして?」
「ああいう遊んでる人は、いざ結婚するとなると相手に癒しを求めるのよ。例えば、自分が帰ったら妻は必ず家にいて出迎えてくれなきゃ嫌だとか、家事は完璧にこなしてくれなきゃ嫌だとか言うに決まってるわ」

話を聞きながら、なるほどと頷く。
確かにロイはそんな感じだ。
自分では一切家事はやらないし、エドワードに世話を焼かれる事を楽しんでいる節がある。
決して男尊女卑の思想がある訳ではないが、基本的に女性は護られるものだと思っているし、男女の役割分担に於ける基準も古典的なのだろう。

「私は仕事に誇りを持ってるし、これからは女性も社会進出すべきだと思うのよ。だから、結婚しても共働きで互いに支え合える人が理想なの」

「まぁ、家事が苦手な言い訳なんだけどね?」とナタリーは笑い、エドワードもつられて笑う。
彼女の考え方はエドワードとも似通ったところがあり、また、キャリアウーマンとしてバリバリ活躍している彼女の生き方はエドワードに新鮮な感動を与えた。

因って、会話は途切れる事なく続き、結局ナタリーとは1時間ほど話し込んで別れた。
エドワードはその後再び研究所へと足を向けたが、その足取りは、先ほどまでよりずっと軽くなっていた。



2012/06/30UP

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