15 「いよぅ!元気か、ロイ!」 「ヒューズ……」 執務室のドアがノックもなしに開いたかと思うと、無駄に傍迷惑な元気を振り撒きながら悪友が顔を出した。 見るからに仕事の邪魔をしに来たと思われ、ロイは未決裁の書類を手にため息を吐く。 「お?なんだなんだ。辛気臭い顔しやがって」 「お前……いきなり来て、それか」 こちらは外へ出ていく暇もないというのに、と些か不機嫌に言い放てば、ヒューズは可哀想なものを見るような目でロイを見た。 何というか、どしゃ降りの中で捨て犬を見つけてしまったような目だ。 実際に構っている時間も惜しいのだが、そんな目をされてはロイとて黙ってはいられない。 きっと碌でもない想像しかされていない事は明白なのだ。 「なんだその目は」 「また司書のおねーちゃんに会いにいくつもりか?ったく、女の事しか頭にねぇのかお前」 「違う。昼食だ、昼食!」 「はぁ?デートならともかく普段は無頓着な食生活のくせに……昼飯はいつも司令部の食堂で済ましてたじゃねぇか」 「私は今!猛烈に!美味い家庭料理が食べたいんだ!!」 「なんだお前……もしかして愛情に飢えてんのか?だからあれほど早く結婚しろと…」 ヒューズの目が、ますます憐れむような色を含ませてロイを見る。 ロイは書類にサインをしていた手を止め、こめかみをひくつかせた。 いちいち構っていては食事そのものの時間すらなくなってしまうが、何事にも我慢の限界というものがある。 「……ヒューズ」 「中佐。大佐は、愛情ではなく家庭料理に飢えてらっしゃるんです。僅か2日間ですっかり胃袋を掴まれてしまったにも関わらず、その後外食続きなものですから」 だが、反論しかけたロイを遮るように、それまで黙って決裁済みの書類をチェックしていたホークアイが口を挿む。 そしてすかさず未決裁の書類をロイの手元に滑り込ませると、「手が止まっています」と呟いた。 どうやら見かねて助け船を出してくれたのではなく、ただ単に「手を止めるな」という事らしい。 「おいおい、聞き捨てならねぇ話じゃねぇか!どこの奇特なお嬢さんだ?お前の無感動な胃袋を鷲掴みにするなんざ、只者じゃねぇだろ!」 「えらい言われようだな」 サインする手は止めずにため息を吐けば、仕上がった書類を手にホークアイは退室していった。 笑顔で「お茶をお持ちします」と言い残していったが、しっかり残りの書類の量を目測していたので、手を止めて話し込めばすぐに気付かれるだろう。 全くもって恐ろしい事だ。 「お前もこの前会っただろう…ホーエンハイム先生の娘の…あの子だよ。ちょっと事情があってうちで預かっているのだが、思いの外料理が上手くてね」 「そりゃすげーな。基本的にお前、食への欲求は薄いだろ?とりあえず腹膨れりゃ良い的な……」 そう言われて頷く。 確かにロイは、あまり食に対する拘りや欲求がない。 ヒューズが言う通り「とりあえず腹が膨れれば良い」のだ。 美味しい物を食べて美味しいと感じる味覚はあるが、だからといって美味しい物が食べたいとは思わない。 ましてや食べたい物はと問われても、何か特定のメニューなど思い浮かびもしないくらいだ。 元からではない。 少なくともホーエンハイム家にいた時は、毎日の食事が楽しみだった。 軍人になった頃からなのか、もしくは士官学校へ入った頃からなのか定かではないが、内戦後には既にこうだったのだ。 「で。あの嬢ちゃん、帰っちまったのか?」 「いや、セントラルにはまだしばらく滞在予定なんだが、今はアームストロング少将の屋敷に滞在していてな……もう1週間になる」 「それはそれは……」 1度がっちり掴まれてしまった胃袋は、そう易々と以前の食生活に戻ってくれなかった。 出勤途中のカフェで摂る朝食も、司令部の食堂での昼食も、帰宅途中に適当な店で摂る夕食も、全てが味気なくて虚しいだけだ。 エドワードが来るまでは、それが当たり前の生活だったのに。 目の前でヒューズが何やら珍妙な表情をしていたが、ロイには知った事ではない。 ふう、とため息を吐き、また書類に視線を落とす。 その表情がどれほど切なげでヒューズを驚かせたのか、ロイにはこれまた知った事ではなかった。 「あ、そういえば。ハインツ准将んとこの令嬢だったか?お前にご執心だっつーのは」 いきなりの話題転換にロイが首を傾げると、ヒューズは「いや、ちょっと思い出して」と前置きして、心底面白そうにニタリと笑った。 「あのオッサン、北方へ飛ばされたぞ」 「え?」 「こんな中途半端な時期に、それも突然だろ?一体何やらかしたんだろうって話で持ちきりだ」 「やらかすも何も……あの方は、仕事は全て部下に丸投げだからな。失敗のしようもないと思うが」 「まぁ、その辺はよく分からないけどさ……とにかく家族もろとも北へ行かされる訳だ」 「家族も?」 「あぁ。な?何やらかしたんだろうって思うだろ?」 確かに、家族も連れていくとなると、少なくとも当分戻ってこれない事が確定しているという事だ。 しかし、一体何を…――― 「まぁ、これで例の令嬢に付き纏われる事もなくなった訳だ。良かったな!」 「あぁ……」 全くだ、とロイはため息を吐く。 先日の壮行会での振る舞いには開いた口が塞がらなかったものだ。 高飛車な言動といい、場を弁えない格好といい…――― ―――先ほど貴様にへばりついていた露出狂擬いの女は誰だ? 「……あ」 「?どうした?」 「あ、いや……」 そうだ。 ハインツ准将が飛ばされたのは北方だ。 ならば、アームストロング少将が無関係のはずがないではないか。 あの時、アームストロング少将は背筋も凍るような怒気を纏って、そう問うた。 仮にあの女が少将に直接何か粗相をしでかしたのであれば、一刻の間も与えずにその場で叱責しただろう。 それこそ刃傷沙汰になっていてもおかしくない。 という事は、直接ではなく間接的に何か機嫌を損ねる事をしたのだ。 アームストロング少将があれほどの怒りを顕にするような事といえば…… 「エディの事しかないではないか」 あの時、エドワードの傍にあの女はいた。 おそらく何かしたか、言ったかしたのだろう。 今更ながらにあの時のエドワードの表情を思い出し、ロイは舌打ちしたくなった。 何故もっとちゃんと傍に付いていてやれなかったのか、と。 「失礼します。お茶をお持ちしました」 「あぁ、リザちゃん!すまねぇなー……と、嬢ちゃん?」 「エディ?」 お茶を淹れて戻ってきたホークアイの後ろにエドワードの姿を見つけ、ロイは驚きに目を瞠った。 ここを訪ねてくるとは思ってもみなかったのだ。 「大佐。エドワードちゃんがお弁当を持ってきてくれましたよ」 そして、ホークアイのその言葉に更に驚いた。 にこりと笑ったエドワードの手には、先日のよりは小ぶりのバスケットがある。 「アームストロング少将は北へ戻られたのか?」 「うん。今朝1番の汽車で。それよりロイ、ちゃんとご飯食べてたか?」 「あぁ。外食ばかりだが、ちゃんと食べてたよ」 味気なくて虚しかったのだとは言わずに答えれば、なら良いけど、と素っ気なく言われ、ロイは苦笑を零した。 現金なもので、胃袋は空腹を訴え始めている。 「早速エディの手料理が食べられるとは嬉しいね」 「ロイの好物ばっかだぞ」 そう言って、ソファのテーブルに所狭しと並べられた品々を見て、ヒューズは目を丸くした。 どれもこれも手が込んでいて美味しそうだ。 「それ、お前さんが作ったのか?」 「うん。あ、ヒューズさんも食べる?」 「エディは食べないのか?ヒューズなら食堂に行かせれば良いんだぞ」 見たところ2・3人分はあるかと思われるが、エドワードも一緒に食べるつもりで持ってきたのであれば、明らかにヒューズは邪魔だ。 そう思って言ったのだが、エドワードは笑って首を振り、父親のところへ行かなければならないので、自分の分は別にある、と自分の荷物を指した。 「良いから、ロイも食べれば?」 「おおお!これ美味いな!」 遠慮の欠片もなくバスケットの中身に手を出したヒューズは、美味い美味いと興奮気味に騒ぎながらあれこれ摘んで口に入れる。 食い尽くされそうな勢いに、ロイも慌ててソファへ移動した。 ホークアイが咎めないところを見ると、昼食を摂る事に否はないらしい。 「じゃあ俺行くから。あ、ロイ。夕飯何が食べたい?」 「あぁ…ポトフが良いな。ほら、骨付きの鶏肉の入った…」 ロイが具体的な料理名を挙げた事に驚いて、ヒューズは目を見開いた。 まるで青天の霹靂とでも言いたげに。 そして、次の瞬間ニタリと嫌な笑みを浮かべたかと思うと、ロイが止める間もなく言ったのだ。 「ロイ。お前、エドを嫁さんにもらえよ」 ヒューズとて冗談の通じない人種にはそのような事は冗談でも言わない。 だが、通じる通じないを別にして、それはエドワードには言ってはいけない言葉だ。 その為にエドワードはここにいて、ロイはそれを諦めさせなければならないのだから。 だが、 「ヒューズさんは、誰にでもそう言うのか?」 「え……?」 「ヒューズさんがそう言って、言われた人が本気になったら……困るのはロイなんだからな」 てっきり大喜びで肯定するものと思われたエドワード本人は、頬をぷぅ、と膨らませ、不機嫌にヒューズを睨み付けたのだ。 「あ、うん。そうだな……すまん」 まだ幼さの残る少女に怒られ、ヒューズは首を竦めて謝った。 綺麗で真っ直ぐな目を向けられ且つ咎められるのは、さぞかし居たたまれない心地だろう。 「…分かれば良いけど。じゃあ、ロイ。夕飯は美味いの作るから、定時で帰ってこいよ!」 エドワードは清々しいまでの笑顔でそう言うと、若干煤けた感じのヒューズを振り返る事なく部屋を出ていく。 ロイが呼び止める暇もなかった。 「お前、冗談抜きでさ……あの子嫁にもらえば?」 そして、その後ろ姿を見送り、ヒューズは言葉通り「冗談抜きで」そう言った。 2012/01/12 拍手より移動 back |