OH MY LITTLE GIRL | ナノ


10

「さて、これで最後だな」
「終わった!?」
「あぁ。待たせたね」
「じゃあ、帰れる?帰る?」

エドワードの剣幕に驚いて顔を上げれば、いつから待ち構えていたのか、すっかり帰り支度を整えたエドワードがロイの腕を引いた。
その随分と慌てている様子に、そんなに寂しかったのかと胸が痛む。
何しろ普段にない集中力でもって仕事をこなしていたのだ。
エドワードの様子を気にかけてやれたのも最初の1時間ほどだ。
いくら何でも放っておきすぎた、と謝りかけて―――ふと、廊下に響く慌ただしい軍靴の音に気が付いた。
どうやらこちらに向かって近付いているらしい。

「なんだ?……事件か?」

そろそろ定時なのに。
ロイは時計を確認してため息を吐いた。
事件というものは妙に定時間際に起こるものだが、さすがにこれ以上エドワードを待たせるのは忍びない。
そう考えて、ロイが困ったようにエドワードを見下ろせば、ドアの方を凝視していたらしいエドワードの身体が怯えるようにガチンと強張った。

「エディ?」
「ロイ!ちょっと下がって!!」
「え…―――」

エドワードに押し退けられ、ロイが何事かと問いかけたと同時―――


「マスタングはいるか!?」


ぶち抜く勢いで執務室のドアが蹴り開けられ、殺気をたぎらせた人物が立ちはだかった。
その、あまりにも意外な人物の突然の登場にロイが言葉をなくしていると、スラリと腰から抜かれたサーベルがロイの方へと向けられる。


「この腐れ外道が…………死ね!!」
「は!?」


何の躊躇いもなくサーベルが振り下ろされ、慌てて身を翻した耳元で風を切る音がする。
その身に纏った殺気は本物だ。
どうやら本気で自分を殺しに来たらしい。
だが、何故?

「アームストロング少将!?なんですか、一体!?」
「問答無用!」

叫ぶなり次々と斬り付けられ、ロイは慌てて避けながら途方に暮れた。
焔を出せば攻撃の勢いは削げるだろうが、仮にも相手は上官だ。
既に焔をコントロールする余裕すらないのに、下手な反撃をして処罰されるような事は避けたい。

「ちょこまかと逃げおって……!」
「っ」

このままだと殺される、と身構えた瞬間、ロイの目の前を金色が横切り、間に割り込むようにエドワードが立ち塞がった。
まさに「身を呈して」といった風情に、ロイの顔から血の気が引く。

「エディ!」
「待って!姉さま、待って!!」
「っ」

サーベルでの攻撃をどう躱したのか、エドワードは上手く相手の懐に潜り込み腰に抱きついた。
その僅かな間合いのお蔭でサーベルの切っ先がロイの胸の前でピタリと止まる。

「エドワード……お前がどれだけ庇い立てしようが、私は許さんぞ」
「姉さま……」
「相手がこの男だと知っていたら、さっさと殺しておいたものを……何故言わなかった!?」
「だから言わなかったの!気に入らないからって殺しちゃダメだぞ!」

何やら物騒な言い争いをしている2人に薄ら寒い気持ちになりながら、ロイは口も挿めずに呆然とそのやりとりを聞いていた。
頭の中は「何故」で一杯だ。

そもそもオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将といえば、北の国境を守るブリッグズ要塞の指揮官にして「ブリッグズの北壁」「氷の女王」と呼ばれる女傑だ。
その御人が何故、セントラルにいるのか。
そして何故、自分は問答無用で殺されかけているのか。
今ひとつ理解が追い付かず、ロイは首を傾げる。

「全く……閣下もホーエンハイム殿も何を考えているのか理解出来んな」
「おっちゃんも親父も、俺の好きにしなさいって言ったもん」
「だから甘いというのだ。何もこんな腐った男を選ばずとも、お前にはもっと相応しい男がごまんといるというのに。こんな事ならブリッグズから出すのではなかったな」

フン、と鼻を鳴らし、オリヴィエはサーベルをしまった。
その目はまだロイを射殺さんと言わんばかりだったが、手はしっかりとエドワードを抱きしめ頭を撫でている。
その仕草のひとつひとつが慈愛に満ちていて、ロイは思わず目を瞠った。
オリヴィエがそのような仕草をするなど想像もつかなかったのだ。
エドワードも彼女に随分と懐いているらしく、ぎゅっと抱き付いて嬉しそうにしている。
前に彼女が言っていた“姉さま”が誰を指していたのか、ここにきて漸く分かった。

「命拾いしたな。エドワードに感謝する事だ」
「はぁ……」

物凄く不本意そうに言われ、ロイは苦笑するしかなかった。
オリヴィエはエドワードの“婚約”相手がロイである事に反対なのだ。
それも、おそらくロイに纏わる噂の所為だろう。
曰く、女ったらしだの何だのという華やかな噂は、地方の司令部にいた頃からまことしやかに囁かれていて、それはセントラルに来てからも絶える事はなかった。
もちろん噂が全て本当という訳ではないが、かといって万更嘘でもなく、様々な女性達と浮き名を流してきたのは事実だ。
エドワードを大切にしているなら当然反対するだろう。
ホーエンハイムやブラッドレイだって表向きはエドワードの言いなりになっているようだが、その実「上手く諦めさせろ」などと裏工作しているのだから。

「ところで、今回はどのようなご用件でセントラルまで?まさか私を殺す為ではないでしょう?」
「貴様を殺すのはついでだ。私はそこまで暇ではない。貴様も招待されているのだろう?シンへ行くホーエンハイム殿の壮行会。それに招待されているのでな」
「北方からわざわざ、ですか?」
「なんだ?悪いか?」
「いえ!…ただ、砦より優先させるほど少将殿とホーエンハイム先生の親交が深かったとは存じませんでしたので」

ホーエンハイムとアームストロング家とは、エドワードの行儀見習い絡みでの付き合いがあるのは分かっていたが、エドワードが滞在していたのはセントラルの屋敷だ。
そこに北方にいるオリヴィエが絡んでくるとは思わなかった。
こうして見たところ、確かにエドワードはオリヴィエに懐いているし、尚且つオリヴィエはエドワードを大切にしているようだが、それはこの2人の間の繋がりであり、ホーエンハイムとの繋がりはまた別のものだろう。
だから、この女傑が一学者の壮行会出席の為にわざわざセントラルまで出てくるというのは意外だったのだ。
何しろ軍の要請にもなかなか応じない気難しい御人でもあるのだから。

「あぁ?ホーエンハイム殿はともかく、エドワードが…―――」
「姉さま!じゃあ、しばらくセントラルにいられるの?遊べる?」

ロイとの会話を阻むように、エドワードは目をキラキラさせながらオリヴィエに問うた。
何がそんなに落ち着かないのかもじもじと身体を揺らし、いかにもじっとしていられないのだと言わんばかりに。

「まぁ、特にここでしなければならない仕事はないな。屋敷に来るのか?」
「うん!じゃあ、明日行くから!今日はこれで!」
「あ、待てエドワード!その腐れ男は置いていかんか!」

エドワードはにこやかに会話を打ち切ると、ロイの腕を引っ張りオリヴィエの横を擦り抜けた。
まさしく一瞬の隙を狙った見事な逃げ足だ。
無警戒だったエドワードに不意を突かれては、オリヴィエとて動く事が出来ず、呆然と見送るしかない。
これが仮にロイが逃げ出す素振りをしていたなら、擦り抜ける瞬間斬り付けられていただろう。

「姉さま、またねー!」
「こら、エドワード!……っ覚えておけよ、マスタング!!」
「失礼します…!」

エドワードに引き摺られるまま走りだしたロイは、それでもしっかりと敬礼だけはした。
殊、軍部内に於いては、何があっても礼儀を欠いてはいけないのだ。










「ロイ、大丈夫か?」
「やれやれ……エディのお蔭で命拾いした」

とはいえ、ただ逃げてきただけなので本当の意味では解決していないのだ。
次に会った時が怖い。

「エディは、アームストロング少将と親しいのか?行儀見習いをしたのはセントラルの屋敷なんだろう?」
「あ、うん。見習いを修了してからブリッグズに冬山登山に行ったんだけど、」
「あ、あぁ…それは聞いたが……」
「で、そのまましばらくブリッグズに残って、熊の倒し方を姉さまに教えてもらってた」
「…………熊?」

何かおかしな単語を聞いたような気がしてロイは首を捻った。
熊とは何だ、熊とは。
それはあれか、あの大きな獣か。
だが、何故それを倒さなければならないのか。
ロイの疑問は尽きないが、エドワードはそんな事は意に介さず得意気に胸を張り、事もなげに言った。

「ブリッグズ山にでっかい熊がいるんだけど、そいつがすっげー強いの!んで、俺の錬金術の師匠が、その熊をやっつけた事があるって聞いてたから」
「…自分もやっつけようと?」
「うん。そのくらい強くなったら、きっと師匠みたいなすごい錬金術師にも素敵なお嫁さんにもなれると思って!」
「…………」

斯くしてエドワードはブリッグズに1人残り、オリヴィエから体術やら剣術やら、とにかくいろんな戦い方を習ったらしい。
ブリッグズ要塞での軍事訓練にも交ざった事があるというから驚いた。


結果、ふた月かかったものの見事に熊をやっつけたエドワードは、新たな自信を胸に、次はセントラル大学への入学を目指した―――のだ、とか。


「とんでもない武勇伝だな……」
「だから、また姉さまがロイをイジメに来ても、俺が助けてやるからな!」


そうして、ニカッと清々しい笑顔で言われた言葉に、ロイは頬を引き攣らせて頷き返す事しか出来なかった。



2011/08/19 拍手より移動

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