彼は本気で心配していたC
《……今日も、嵐電をご利用頂きありがとうございます……この電車は、────行……》

「……」
 閉じた扉越しに見た綾小路さんは、他人事のような発言に反して微笑んでいる。今まで見せなかった穏やかな笑みは、本来ならこのタイミングで見るべきじゃあない。
 ……どうしてだろう、あの人とは関わっちゃいけない気がした。
 ボックス席に向かうと、先に座っていた友達がホームから見送るあの人に手を振っている。私が最後になんて言われたか知ったら、そんな暢気な顔はできなくなるだろう。
 リュックを網棚に乗せ、通路側の空席に座る。スマホをポケットから取ろうとした時、かさ、と軽い感触の何かが指に当たった。
 スマホと一緒に取り出すと、2つ折りになった白い紙。あの人が店を出る前に寄越したメモ……確か、電話番号が書いてあったはず。
「莉乃、なぁにそれ?」
「さっき貰ったの。困ったらここに掛けてだって」
「おじさんの番号?」
「さぁ」
「なに、もう掛けるの?」
「まさか。調べるだけ」
 ないとは思うけど、妙な団体に繋がったら困るし。
「え、と……“0”、“7”、“5”」
「それ携帯じゃなくない?」
「京都の固定電話でしょ」
「あー、そっか」
 “4”、“5”、“1”……
「そういえばおじさん、今実家住んでないよね?わざわざ実家って言うんだし」
「んー……だけど今時、一人暮らしの家に電話置く人っている?」
「まあゼロってことはないっしょ」
 “9”、“1”、“1”、い……
「あ」
「……莉乃、分かったの?」
「んー……ちょっとキナ臭くなってきたかも」
「え?」
 友達に見えるようにスマホの向きを変える。
 番号をネットで検索して、最初に出てきたのはどう見たって京都府警に関連する部署……あの人、まさかわざわざ調べたのかな。
「おじさん……」
「……」
「自分で助けないんかい」
「110くらい教わんなくても分かるわ」
 いやさっきまでご機嫌にあの人に手を振っていたじゃあないの。友達が掌を返すまで時間はかからなかった。
 友達の1人は苛つきながらも立ち上がり、窓を勢いよく開ける。外から吹き込んだ風が、2つに結わいた髪を何度も大きく揺らした。
「ちょ、閉めて閉めて!」
「暑いからもうちょっとだけー」
「はぁ……」
 髪を押さえる私の文句を適当にあしらい、友達は風を浴びながら車窓から景色に臨む。呆れて彼女から顔を通路側へ逸らし、肘置きに手をついて向かいのボックス席の車窓を眺める。路面電車って聞いたけど、なかなかそれらしい景色にならない。見たい景色を見るには、どの駅まで乗ればいいんだろう。
「……」
 困りごとがあったらって、そういうことか。確かに、どういう人なのか未だに分からないあの人個人よりはそっちを頼るべきかもしれない。
 あの人から手渡されたしおりをじっと見る。表紙しか見ていないと言っていたけど、これには宿泊先や、全学年の生徒が集まって観光する場所とタイムスケジュールが載っている。
 もし、馴染みの店と言いながら自宅へ誘導されたら、しおりの中身を見られたら、預けたリュックから学生証を盗られたら、シマリスを探している間に不意を突かれたら、

 ……声を掛けてきた人があの人じゃあなかったら、4人まとめて何かが終わっていたかもしれない。

 キナ臭いと友達には言ったけど、あの人はシマリスの安否を本気で心配していたし、あの人にとっては観光客でしかない私達のことも本気で心配してくれていた。
 ……思っていた以上にあの人の世話になっていたらしい。こんな話、身内に話したらなんて言われるか。特に(元)警察の小五郎おじさん、人が違えば事案になりかけていたなんて絶対話したくない。
「……ふあぁ」
 とはいえ、朝からあまり意味のなかったシマリス探しに振り回されて、まだ昼だけど少し疲れた。
 貰ったメモを再びスカートのポケットに突っ込むと、下りる駅に着くまで目を閉じ続けた。
 京都に来ることはしばらくないし、警察に関わることなんて早々ない。これも使うことはない。あの人の名前だって、旅行の楽しさできっと忘れる。

 結局、この後の観光は充実していたし、事件と呼べる出来事は最終日になっても何も起こらなかった。



「……ってことがあって。いやもう、本当にシマリス探してる人じゃなかったら事案でした」
 修学旅行からいつの間にか3年が経った。大学進学と同時に東京へ引っ越し、紆余曲折あって今は新一君の家を赤井さんと2人で仮住まいにしている。
 カフェのテーブルにスマホを置き、修学旅行中のカメラロールを変装中の赤井さんに見せる。新幹線の中や宿泊先のホテル、もちろんあのTシャツ姿も、あの人に撮ってもらったシマリスとのツーショットも写真として残っている。
 シマリスを連れ歩いているなんて変人、そう何人もいない。コナン君達が京都で会った警部は、きっと私が昔会った人と同一人物だ。
「あ、この頃はこんなに髪伸ばしてたんだ。懐かしー」
「そういえば、俺が工藤邸に来た時はもっと短かったな」
「ドライヤー使う時間短くしたかったから……電気代浮かせたくて」
 口篭もった私を正面から見つつ、赤井さんはなんでか愉し気に口を歪ませていた。
「……それで、京都の男にはその後連絡はしたのか?」
「してません!何物騒なこと期待してるんですか!?」
「あぁ、すまないな。その男の名前は分かるのか?」
「それが……メモをポケットに入れたまま洗濯しちゃって、気付いた時には……最近の制服は、家で洗濯出来てイイデスヨネー」
「ジーパンに入れていた50ドルを駄目にしたことを思い出すな」
「それは……だいぶ痛い損失……ああでも確か、なんとか小路って名字じゃなかったかな」
「だいぶ絞り込めそうだな」
 顎に人差し指を添えながら、目線を赤井さんより少し上へ。あとほんの数文字が、なかなか出てこない。
「ボウヤに聞こうか?」
「いや、大丈夫……勘解由小路?いや違う……袋小路、油小路。あれ、綾部の気がしてきた……」
「本当にどうでもいいんだな」
「そりゃそうですよ。二度と会うとか絶対ありませんから」
「おやおや、えろう失礼なこと言(ゆ)うてくれますなぁ」
「失礼って、だってあの人は京都……」
 昴さんの声によく似ていたせいだ。今の声が変声機で出した赤井さんのものでないことに気付くのが遅れた。
 私に向けられた声のイントネーションは独特で、聞いたらそう忘れられるものじゃあない。まさかこの喋り方で、八ッ橋で包まない物言いをされるとは思わなかった。
「えっ」
 隣のテーブルへ振り向く。そこには少し前に垂らしたオールバックのスーツ姿の男が1人。彼は立ち上がるや否な、私達のテーブルの前で後ろ手を組んだ。
 ずっと私の方を見ている……この人の声のはずだけど、会ったことなんてあったかな。
「あ、あの、どちら様で?」
「ん?……あぁ、そうやった。あん時は公休やったから、髪を下ろしとったなぁ」
「お、下ろして……!?」
 インテリヤクザ、なんて物騒なワードが真っ先に浮かんだのは、先週赤井さんと観た動画のせいかもしれない。
 マズい、知らない内に反社の人と関わっていたのかも。ビユロウや公安と関わりを持っているだけでも十分異常なのに、また面倒な人と面識があったなんて。
 ……帰りたい。早く会計を済ませてこの場から逃げたい……!
「あ、か、っ……昴さん、帰りましょう」
「構いませんが、君のフロートがまだ半分も残っていますよ?」
「ちょっとお腹冷えちゃって、あっ!」
 伝票立てからレシートを取ろうと手を伸ばす。すると近くにあったグラスに指が勢いよく当たり、グラスが倒れてしまった。半分近く残っていた水がグラスから零れ出し、すぐさま赤井さんが掴み取った紙ナプキンで端から抑えた。
「ごめんなさい!!」
「落ち着いて下さい、ただの水ですよ」
「そや、このお兄はんの言う通……あんさん、えろう声似てはりますなぁ」
「そうでしょうか?」
「そこどうでもいいから、早く帰りましょうよ……!」
 スマホをバッグにしまい、私が席を立とうとしたその時、男が着ているスーツの胸ポケットから何かがこっちを覗き見た。……シマリスが、なんでこんな飲食店に。
 シマリスが小さく鳴くと男の人はハッと俯き、目線が私達から胸ポケットへと逸れた。
「ごめんなぁ、もう少し我慢してくれはる?」
「シマリス……え……?」
 男は組んでいた手を解き、申し訳なさそうに胸ポケットを片手で押さえる。この妙な光景を目の前にし、違和感以外の感覚を覚えた。
 この変な光景、前にも見たことがあるような……

“あのね、いつもシマリス連れてる警部さんがいたの!”

「あ……あぁ……!」
 スマホを取り出し、3年前の写真を出す。写真に写るシマリスと、男が連れているシマリスを見比べる。同じように見える。
 念の為もう一度写真と見比べる……やっぱり同じ。
 男は内ポケットに手を差し入れ、本革の手帳を取り出す。開いた手帳の中には男の顔と同じ顔写真、それと金の旭日章。小五郎おじさんが刑事の頃、何度か見せてもらったものと同じ。
 そういえば歩美ちゃん達、揃って警部って呼んでいた……!
「申し遅れました。京都府警捜査第一課、綾小路文麿いいます」
 手帳を収めたかと思えば、名刺ケースと入れ替える。そこから1枚引き出すと、律儀に両手で私の前に突きつけるように差し出した。
「今度はくれぐれも洗ってしまわんよう、よろしゅう頼んますぅ……莉乃、さん」
「……は、はい」
 赤井さんと話している時に私の呼び方を聞いていたのか。それとも3年前、友達にそう呼ばれていたことを覚えていたのか。そんなことは今となってはどうでもよかった。
 今度はメモではなく、階級まで記された名刺を綾小路警部の手から直接受け取った。
 ……受け取れ、そして二度と捨てるなという圧を笑顔の裏で感じた。

「というか、よく堂々とシマリスを店に……」
「ここはペット同伴OKのカフェだそうで。ええ嗜好ですなぁ」
「流石に店側だってシマリスの放し飼いは想定してませんよ!?」
「どこ見て放し飼い言うとるんです、ここにおるやないの」
「散歩中にいなくなったことをもうお忘れのようで!!」
「なんやの、前よりえろう言うようになっとるんとちゃいますか?」
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -