彼は本気で心配していたA
「ここになります」
「おーっ平日なのに並んでる!」
「そらお昼時ですから。なんや、実家に住んどった時より混んではるなぁ」
 渡月橋を渡り、気になっていた金平糖屋を素通りし、少し歩いたところにその店はあった。
 友達の言う通り、店の前には数名の列ができている。ざっと数えても10人以上は、店の外で案内待ちの状態。日傘でも差さないと夏に並ぶのは辛そうだ。
 ちょっとどいとくれやす、と綾小路さんが並ぶ客を端に寄せて店の敷地に足を踏み入れる。店名と鯛のイラストが刷られた白い暖簾の前で足を止めて振り返り、私達に向かって手招きをする。列に並ぶ客からなんとなく目を逸らしながら、先へ進む綾小路さんと同様に暖簾を潜った。
 ……こんな店に4人分の席を追加で用意させたのか。馴染みの客とはいえ凄い。
「おぉ、久し振りだなぁ坊(ぼん)」
 屋内に入ると、50代くらいの男性が出迎えてくれる。綾小路さんの顔を見て随分と上機嫌な様子。綾小路さんとは長い付き合いのように見えた。
「店長はん、元気してはりました?」
「見ての通りですわぁ。で、今日は珍しゅうお友だ……──はっ!?」
 店長と呼ばれた男性が綾小路さんの後ろを覗き見る。私達と目が合った途端に、顔を強張らせた。
「お、っ……もっ……!!」
 多分、“思ってたのと違うの連れてきた”と言いかけて必死に抑えている。店長の目の泳ぎ方は明らかに不自然で、空調が効いているにもかかわらず、額に汗が玉のように湧き出るようになる。綾小路さんが友達を連れてきたと思っていたのに、連れてきたのは汗だくになったセーラー服を着た女4人だったことが相当ショックだったらしい。
 流石に女子高生は、綾小路さんの友達として扱われないか……いや、よく考えてみればされる方がおかしいか。
「て、て、てんちょっ」
 若い店員が電話の子機を片手に、おろおろしながら店長の元へ。
 ……液晶に映るのは110の番号。態度に反して店員はやることをやっていた。あれが何の番号かはお察しの通り。後は通話ボタンを押しさえすれば、綾小路さんが通報される状態になってしまった。
 店員は震える指で通話ボタンを押す素振りを見せた。
「お、っ、押します?」
「い、いや押さんといて」
「押せってことですか!?」
「押さんといて!!」
「……はぁ」
 店側による唐突な茶番を目の当たりにし、綾小路さんは呆れた顔で片手を横に振った。
「ちゃいます、ちゃいます」
「あぁ良かった!」
「ふー、初めて通報するとこでしたぁ」
 綾小路さんの一言で、安心した店長が袖で額を拭う。対して店員はというと、唇を少し尖らせながらも子機を元あった場所へ戻した。
「……あのぉ、本当になんもないんですか?」
「何不健全なこと期待してはるんです。全く、何の行脚や思てはったん?」
「てっきり、何かの宗教でやる儀式の準備かと……」
「あぁ、生贄ですか?もっと清めんと使(つこ)おへんよ」
「「「「……」」」」
 一体、誰のせいで汗だくの虫刺され痕だらけになったと。
 4人揃って綾小路さんの背中を白い目で見つめる。気付いたとしても、彼はどうせ全て流しきってしまうんだろう。

「おじさんおまたせ〜」
 Tシャツに袖を通し、日焼け止めを塗り直して女子トイレから出ると、4人掛けと2人掛けのテーブルを1つずつ繋げた席へ戻った。
 綾小路さんは2人掛けのテーブル席からシマリスと共に訝しげな眼差しを私達に向ける。まぁ、この人ならこれを着たらそういう反応をするかもしれないと踏んでいた。
「あんさん達、そないなもん用意してはったんですか……」
「そだよ?」
 観光地に関連するフレーズがプリントされたTシャツ。京都なら舞妓や新選組が定番。それぞれ違う色とフレーズのTシャツに着替えた私達はテーブルに戻ると、リュックの中にブラウスとインナーシャツを入れた土産屋の袋をしまってから腰を下ろした。
 ……トイレに入る前にもリュックを一応見てみたけど、まだ探し物は見つかっていなかった。そんな奥に入っちゃったのかな。
 リュックを椅子の下にあるカゴに戻すと、綾小路さんはテーブルに片肘をつき、こちらを見ながら薄く笑みを浮かべていた。
「?なーにおじさん」
「竹やぶに考えなしに入った割に、準備がええですねぇ」
「いや準備というか、昨日買ったやつだし」
「京都駅のお土産屋で買ったの。観光地によくあるじゃん、こういうの」
「今日も予報で暑い言ってたので、一応着替えとして入れてたんです」
「にしても他に着替えはあったろに……お上りはんなん丸分かりやないの……」
「変な英語のシャツよりマシじゃない?」
「ねえ、それよりおじさんお昼はー?」
「……さっき鯛茶漬け御膳を全員分頼んどきました。あんさん達がのんびり着替えてはりましたんで、もうすぐ来るんと違いますか?」
「おー出来る男ー」
「せやけど、ほんまにあれでええんですか?同じ値段で他のもあったでしょう?」
「いいよ?おじさんが不味いの勧めるとかないっしょ」
「それに、おじさん舌肥えてそーだし?」
「あー、何か分かるそれ!謎の信頼感!」
「せっかくの京都旅行ですから、現地の人がいいと思えるものを皆食べたいんです」
「……」
 頭を抱えたかと思えば、綾小路さんは溜息をゆっくりと吐いた。……やっぱり年が離れている相手と話すのは疲れるのかな。
「ね、せっかく着替えたんだし1枚撮らない?」
「いいね。自撮り棒……は、確か持ち込み禁止だったっけ」
「おじさーん、そっちから撮ってもらえたりするー?」
「はいはい、構へんよ」
「おじさんも入る?」
「断りますぅ」
「……色々やってもらってすみません」
 申し訳なさそうにカメラを起動したスマホを綾小路さんに差し出す。綾小路さんは無言で首を横に振りつつそれを受け取る。向かいの席に座る友達2人は、前髪を軽く整えながらこっちの席の後ろに回り込んだ。
「撮りますよぉ」
「おっけー」
「……?これ、音が鳴った気ぃせんけど」
「鳴らないアプリですよ」
「ちょっとおじさん、もう撮っちゃったの!?何か言ってから撮ってよ〜!」
「さっき撮る言(ゆ)うたやろ」
「もう1回!」

「よろしおあがりやす。甘味は後で出てくるさかい」
 食事を乗せた膳を店員が1人前ずつ運んでいく。先に目の前に出された友達は見るからにテンションが上がっている。震える手でスマホを取り出すと、綾小路さんの方へ振り向いた。
「やっばー……しゃ、写真!撮って大丈夫かな!?」
「えぇけど、早めに出してもろたんやから程々にしぃ」
 友達がスマホで食事を撮っている内に、私の前にも食事が置かれてた。
 メインは暖簾にもあった2品の鯛料理だけど、京野菜の炊き合わせや香の物まで揃っている。綾小路さんについて行かなかったら、テレビくらいでしかお目にかかることはなかったものばかり。
 綾小路さんの奢りと言われたものの、少なくはない人数だから期待していなかったのに、いざ出されたのはこのボリューム。デザートを含めて6品を4人分も出してくれるとは思わなかった。混み合っている中で食事が早く来たのも、顔馴染みということで店長が綾小路さんに気を利かせてくれたんだろう。
 ……ただ、1つ言いたいことがあるとすれば、
「結局お茶漬け……」
「なんです?」
「い、いえ」
 ぶぶ漬け以外でってお願いしたはずなんだけど、メインに持ち上げられたか……
「ねぇ、これオススメの食べ方とかある?十割蕎麦みたいなの」
「なんだっけそれ」
「最初は麺つゆにつけないで、蕎麦の味を楽しむとかいうやつ」
「そんなのあるんだ」
「……そうですねぇ」
 綾小路さんの分の食事と勘定を最後に置き、店員は姿を消す。
 シマリスがポケットから出て、綾小路さんの腕を伝いテーブルへ降りる。綾小路さんは少し黙ってから、正面にある皿──タレに漬けられている、丸く盛られた鯛を指さした。
「これやったらまず、真鯛の薄造りのみ頂きます。下にある胡麻ダレを絡めて食すのがええ」
「お刺身みたい」
 綾小路さんの人差し指が鯛の1つ左、白米がよそられた茶碗を指す。
「次にそれを白米に乗せて、漬け丼風に」
 手を奥へ伸ばし、急須を軽く持ち上げる。
「最後は勿論、煎茶をかけて頂きます」
「おじさんめっちゃ通じゃん」
「ええから、はよおあがり」
「いただきまーす」

「──んん・・・♪」
 煎茶を注いだごはん茶碗に口をつけて、白米と一緒に解した鯛を少しずつ掻き込んでいく。薦められた食べ方を一通りやってみたけど、やっぱりこれが1番馴染む。口の中が美味しい物と美味しい物で満たされている感がとにかく良過ぎる。
「ねぇ、ねぇ」
「も、なに?」
 横から指で肩を小突かれ、渋々食事を中断して友達の方へ向く。友達は黙って、私を小突いた指で私の斜め前を指差す。そこはもちろん綾小路さんの席。
「……」
「ね?」
「うん、分かった。もう食べていい?」
「莉乃冷たい」
「食べるの遅いんだから時間取らせて」
 私の反応の薄さに友達は不満そうに口を尖らせつつ、香の物に箸を伸ばす。また茶碗を持ちながら、綾小路さんに視線だけ向けた。
 随分とお上品に食べて……なんでお茶漬けなのに啜る音も食器がぶつかる音も出さないで食べられるの?お忍びで城下町に来た貴族の息子か何か?
「……ところで」
 茶碗から口を離し、綾小路さんはそれを箸と共に一旦置いた。
「は、はい」
「なんでわざわざこんな時期に京都旅行してはるの。普通、春か秋にするもんやあらへん?」
「?……あ、確かに」
「ウチの高校は毎年この時期って聞いてたから、そういうもんだと……」
「ウチみたいな公立じゃ無理でしょ。積立金えらいことになるよ」
「でも好きに行けるなら、正直桜か紅葉シーズンに行きたかったよねー」
「……えらい暑いのに、わざわざ地方から来てご苦労ですなぁ」
「地方?」
「ウチらどこから来たか、おじさんに言った?」
「えぇ、知ってます」
「ふーん?言ったんだ、全然覚えてないや」

「……ご馳走様でしたぁ」
 わらび餅の最後の1口を食べ終え、添えられたお茶に手を伸ばす。テーブルに残っているのは私の前にある甘味用の小さな膳だけ。後の3人はとっくに甘味まで平らげ、それでもメニューを開いてどのデザートを頼むか悩んでいた。別腹はあと3つくらいあるんだろうな。
「……ん?」
 シマリスが私の手の傍に。何故か包まった白い紙を口に咥えていた。それを手に当たるように落とすと、そそくさと綾小路さんの元へ走ってしまった。
 白い紙を摘んで広げてみる。紙の端には、手帳から破り取ったような跡。それと達筆な字で名前と、その下に電話番号のようなハイフンで区切られた10桁の数字が書かれていた。
「京都で何か困りごとがありましたら、ここに掛けて私の名前出してみて下さい」
「あ、ありがとうございます……」
 ただの修学旅行だっていうのに、別れた後のことにまで気を遣ってくれている。どこまで良心的なんだろう。ちょっと泣きそうな気持ちをどうにか堪えながら、メモを2つに折ってスカートのポケットにしまった。
「ほんで、次はどこ行きはるん?」
「映画村です」
「ほお、では嵐電使(つこ)うとええですよ」
「嵐電ってあの路面電車の嵐電ですか?」
「そう、それで合(お)うてます」
 因みに綾小路さんがお支払い中、3人は誰1人として店の中に残らなかった。凄い額になっているかもと今更後悔したらしい。
 合計金額13,750円……お一人様2,750円。現実に目を向けて料金を聞くと、意外と元を取れた気分。
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