彼は本気で心配していた@
「あ゛〜!京都あ゛っづ!!」
 阪急嵐山駅を出て、事前に調べた道の通りに進んでいく。まだ午前9時だからと甘く見ていた。ここは京都の盆地で、友達の1人が早々に天候へクレームを入れるのも仕方がなかった。
「まあ山みたいなもんだからねー」
「なんで観光地って山とかにやたらあるんだろうね?」
「そういえばそうだねぇ」
「もう、さっさと涼みたいぃ……!」
 駅で貰った観光ガイドで温い風を浴びながら、旅のしおりを開く。修学旅行2日目は、4人1組で自由行動の日だ。
 同じ班の友達と行く観光コースは調べ済み。個人的に寄りたいお店もチェックして、スマホにメモとして残してある。何事もなければ、全部消化でき──
「すんまへん、よろしいどすか?」
「……え?」
 旅行気分で浮かれる私達に突然呼びかけてきたのは、Yシャツを着たまろ眉につり目、目を覆ってしまう程に伸びた前髪を分けている成人……のように見える男性だった。
「ちょっと、聞きたいことがあるんですけど」
「なに、ナンパ?」
「あたしら今日中に嵐山攻略したいんだけどー」
「この辺でシマリス、見かけませんでした?」
「「「「・・・」」」」

【不審者】その場所に合わない、その時間にふさわしくない人物をさす。

 物騒なワードが頭を過ぎったのは、旅のしおりの何ページ目かに露骨に強調して書かれていたこともあった。観光地に知り合いがいない場合、失踪しても住民からの目撃情報を得られにくいから保護が難しいと、警告の根拠も添えられていた。まぁ多分、実際にあってもおかしくなかった。
 ……で、この急に話しかけてきた男は、どっち。周りに他の人がいるにもかかわらず、学生服を着ている私達に絞ったのはどういうつもりなの。
「し、シマリス……?」
「ええ、シマリスです」
「おじさん飼育員?この辺の動物公園の……」
「ちょっと!!」
「……ちゃいます」
 笑みは貼り付けたまま。声はさっきより明らかに低くなっている。不審者かどうかまだ分からないというのに、彼の機嫌を損ねてしまったことだけははっきりしていた。
 年齢不詳の割に貫禄を少し感じる顔。20代にしろ30代にしろ、お兄さんと呼ぶにはかなり抵抗がある。それもあったから友達が彼をああ呼んだのも理解できるけど、いきなりおじさん呼びかますことはないでしょ……!
「あー、ええとー……あ、お名前!なんていうんですか!?」
「……綾小路文麿いいます」
「ふみまろって呼んでい?」
「はい?」
「え゛、急に馴れ馴れしくない?」
「いーじゃん可愛いし」
「おじさんにして下さい」
「えー?しょうがないな〜」
「すいませんウチの子が……」
「ウチの子て、あんさんのお友達やないんですか」
「友達、ですけど?」
「はぁ……で、シマリスは」
「ええ、と……」
 話が戻ったところで、友達3人に目をやる。私と目が合うや否や、ほぼ同時に首を横に振る。予想通りの反応だった。道中にそんなものがいれば1人くらい気が付いて、私も含めて写真に収めようとしたかもしれない。
「すみません誰も……」
「そうですか……」
「おじさん、シマリスがどうしたの?」
「散歩に出た時にポケットにおったはずが、いつの間にやら落ちてしもうたようで……」
 綾小路さんは事情を説明しながら、Yシャツの胸ポケットを指差す。どうやらそこにいつもシマリスがいるらしい。
 ……そのタバコくらいしか入らなそうなマチが狭いポケットに、生き物を入れているのか。誰くんの恋人気取りなんだろう。
「それって自分から下りて逃げ、んぐぅ」
「話進まなくなるでしょ」
 友達の口を押さえつつも、内心では何度も頷いていた。綾小路さんごめんなさい、私もそうじゃないかと正直思っています。
「……もう3時間も探しているんですが」
「3時間って、今9時ですよ!?」
「朝から探してるとかおじさんヤバいし!!」
「なんか飲まないと干からびちゃうよ!?」
「私ももう少し探したいのは山々なんですが、そろそろええ加減休憩しとうて……でも、こないな暑い時期にシマリスが何時間も地面歩いてはったら、死んでまうかもしれません」
「……」
 つい、視線を足元へ落としてしまう。靴底が接している地面はきれいに舗装されているけど、土じゃあない分、上からだけじゃあなく下からも熱を浴びせられている。私達でこれなんだから、犬より小さいシマリスなんて……
「え……」
「え?」
「え、餌を置い……」
「ご飯て言(ゆ)いなさい」
「おじさんママかよ」
「っ……ご飯を、置いたら来るんじゃあ」
 私の提案に対し、綾小路さんは黙って東屋の傍を指差す。彼が差した場所は、何故か鳥が群がり地面に向かって啄むような動きをしていた。
「や、野鳥……」
「さっきからあの調子なので、ご期待に沿えまへん」
「……」
「烏に、啄まれてへんとええけど」
「うっ」
 綾小路さんは片手で両目を隠し、小さく肩を繰り返し揺らす。
 私達まだCERO:Dまでしか法的に許されないんだから、小動物とはいえ軽くグロテスクな想像を掻き立てないでもらいたい。こっちも色んな意味で気分が優れなくなりそう。
 綾小路さんのお腹の方から虫が鳴く音が小さく聞こえる。さっき6時から探していると話していた。朝食をまだ取っていないのかもしれない。それじゃあ、動こうにも動きは悪くなる一方。
「すいません、タダでとは言いません……シマリス探すのぉ、手伝(てつど)うてもらえませんか?」
「……」
「莉乃どうする?」
「莉乃ー」
「……はぁ……こっちと、次行くところ、どっちの方が行きたい?」
「次かなー、衣装借りたいし」
 他の2人も同様に首を縦に振っている。スマホに残していたメモを渋々削除した。いつかちゃんと観光してやる、いつか。
「……綾小路さん、とにかく情報共有して下さい」
 ガタイの割に弱ってしまった綾小路さんからの懇願は、『せっかくの京都旅行』という楽しみと同じ秤には乗せられなかった。
 結局、私達のグループ全員、名前とシマリスしか知らないこの男に絆されてしまったのだ。

「写真とか持ってないんですか」
「ええ、何枚かありますよ」
 4人分のリュックや手に持っていた旅のしおりを東屋のベンチやその下に置き、見張りとして荷物の脇に座る綾小路さんを4人で囲むように立つ。綾小路さんがスラックスのポケットからスマホを出し、ホーム画面を液晶に映した。
 ……あ、これが例のシマリスか。
「この子です」
「壁紙……」
「わーかわいい〜」
「分かります?これお気に入りなんです」
「そういうの後にして下さい……ちょっとお借りしますよ」
 自分のスマホのカメラを起動し、綾小路さんからスマホを受け取る。ピントをスマホの液晶に合わせて1回シャッターを切ると、すぐに元あった手の中に戻した。
「エアドロップで送るから」
「ん」
「……何してはったんです?」
「友達のスマホに写真を転送したんです」
「メールやないんですか」
「?なんでそんなめんどくさいことを……?」
「……いえ、気にせんで続けて下さい」
「おじさーん、この子名前は?」
「シマリス」
「え?」
「あ、ごめん良く聞こえなかったー、もう一度……」
「せやから、シマリスです」
 聞き間違えたかもしれない。念の為にと友達が尋ねた2度目の返答は、1回目と全く同じだった。
「いや、総称じゃなくて……」
「なんです?」
「え、なんで急にそんな真顔……そんな自分ちのを野良猫呼ぶみたいに呼ぶんですか?」
「そんなわけないでしょう。あんさん達に教える筋合いありまへん」
「ある!現状見て!あたしら、これからおじさんに代わって探す人!!」
「第一、仮に見つけてあんさん達に名前呼ばれたところで、逃げるだけでしょう」
「せ、正論みたいなこと言って……」
「とにかく、見つかったら私に声かけて下さい。ここで、もう少し休んでますから」
 スマホをしまうと綾小路さんは腕を前に組み、渡月橋へ続く道を一瞥する。
 “はよ行きなはれ”とでも言っているみたいだ。さっきのJKに縋るような態度はなんだったんだ。やっぱり断っておけばよかったかもしれないと、早くも後悔しそうだった。
「……分かりました」
「見張り頼んだよーおじさーん」
「はいはい」
「中身漁んないでよね!」
「誰に言うとるんです」
 スマホと観光ガイドだけを制服のポケットに入れる。帽子を被り直すと綾小路さんにそれぞれいい加減に手を振り、渡月橋へ向かう。
 シマリス探しは、引き受けたからには真面目にやる。まずは彼の散歩コースを引き返して、目撃情報がないか調べることにした。
「……つか、シマリスってどういう場所が好きなワケ?」
「分かんない、飼いリスだし」
「飼いリス放し飼いになってっけど」
「とりあえずアスファルトは避けるはずだから、鋪装されてない道に絞って探すよ」
「森も?」
「……竹林、あったよね?木陰になってるかも」
「うわやだ、虫多そー……」

 靴下どころか素足もスカートも短い草だらけ。これはまだ汗と一緒に拭き取ればどうにでもなる。……ただ、手足の虫刺されの痕が、実験で蚊だらけのケースに突っ込んだ腕みたいになっていた。こんな痛々しい状態になるのは生まれて初めてだった。
 この2時間、私達は暑さを言い訳に何もしなかったわけじゃあない。聞き込みもしたし地面も木の上も注視した。ただ得られた手掛かりなし、誘き出す手段なしの条件でシマリスを探すのは無理があった。
「あ、あやのこじ、さ・・・すみませんでし・・・え?」
 何の成果も得られなかった私達の足取りが軽い人は誰一人いなかった。それでも綾小路さんに状況を伝えようと東屋に戻ってみると、今目にするには複雑な気持ちになる光景が飛び込んできた。
「「「・・・は?」」」
 シマリス、いるんだけど。
 綾小路さんの掌に乗って、ご飯貰っているんだけど。
 というか綾小路さんお茶飲んでるんだけど!!
「ご足労、お掛け致しました」
「なっ、なんでいんのシマリス!?」
「あんさん達が探しに出て30分くらい経ってから、戻ってきはりました」
「1時間半の無駄な頑張り!!」
「だったらおじさんすぐ言ってよ!!」
「……そう言われても、連絡先を知らないし、あんさん達の荷物を預かっとるからここから離れるわけにもいかないでしょう?せやから、こうして戻ってくるのを待っとりました」
「待ってたって、呑気にお茶なんか飲んで……!」
「ただの熱中症対策ですよ」
 ねぇ?と同意を求めるようにシマリスと顔を見合わせる。
「……〜〜っ!」
 なんでこの人、正論なのに腹しか立たないかな……!!
「にしても、揃いも揃って何なんその様……」
「蚊ですよ、蚊!!」
「JKの生足になんて痕残してくれんの!」
「おじさん責任取ってよ!」
「JKの価値分かってんの!?」
「……外聞悪いわ」
 4人分のブーイングが綾小路さんを遠慮なく襲う。細い目を更に細くしつつも、煽る為に口を動かすことは忘れない。シマリスはといえば、耳を塞ぐように頭を小さい前足で抱えていた。
「まさか、竹藪の中まで探してはりませんよね?」
「……」
 最早、私達に聞くまでもない質問。答えはこの格好から分かり切っていること。
 綾小路さんは私達をもう一度見てフッと嘲笑した。
「おやおや、虫除けスプレーもせんと入りはったんですか」
「ぶ、ぶん殴りた……」
「えっ」
 今にも手を出しそうな友人を止めようか放っておこうか迷っていると、綾小路さんはシマリスを肩に乗せてからベンチから立ち上がり、私の前にビニール袋を突き出した。
 条件反射でその袋を受け取り、少し重みがある中身を見る。こっちのドラッグストアでも売っている、虫刺され用の軟膏にデオドラントシート、人数分のお茶が入ったペットボトルが入っていた。私達がシマリスを探している間に、綾小路さんが買ってくれたらしい。
「それでも塗って、まずはしっかり手当てし。トイレは向こうです」
「……」
「え、えぇ……?」
「準備良過ぎ……」

 ひとまず衣類や肌についていた草は大体取れ、全身の汗も拭き取って軟膏も塗れた。綾小路さんに買ってもらったデオドラントシートは、4人で使い回してちょうど空になった。
 トイレから出て東屋に戻ると、シマリスを両掌の上に乗せている友人。その姿を正面から綾小路さんが渋々といった顔をしつつ、スマホで撮っていた。
 ほっと胸を撫で下ろす。さっきまでシマリス探しの件で空気がかなり悪かったけど、アフターフォローでどうにか緩和できたかもしれない。
「それっ私もやらせて下さい!」
「あ、莉乃ーおかえりー」
「莉乃聞いて!おじさんがお昼奢ってくれるって!」
「え、ほ、本当ですか?」
「えぇ、ほんまです。私も流石にお茶だけで足りませんし、あんさん達にえろう迷惑かけたみたいやしね」
「だって莉乃!きっと予定してた店より高い店!」
「お昼代、お土産に回せるよ!」
「〜〜じゃあ、ぶぶづけ以外でお願いします!」
「こうゆう時はしっかり頭が回るんですねぇ……ご安心下さい、顔馴染みの店に連れてったります」
「マ!?」
「“ま”?」
「マ!!」
「“ま”??」
「ありがとおじさん!!」
 2度も綾小路さんを置き去りにし、3人はハイタッチをお互いにしてはしゃいでいる。さっきまでの疲労感が一瞬で吹き飛んだみたいだった。
 あぁ、綾小路さんちょっと分かる……“ピッピ”が会話の中に唐突に出てきた時、まさか人間の話だとは最初思わなかったっけ。
「……“ま”って、なんどす」
「“マジ”と同じだと思います。段々と略されるみたいなんです、よく分かんないけど」
「……あほくさ。予約した時間に遅れとないし、はよ行きましょか」
「「「はーい」」」
 東屋を先に出る綾小路さんを3人がリュックと旅のしおりを手にして追いかける。私もリュックを背負い、傍に置いた旅のしおりを取……
「……?」
「莉乃、置いてかれちゃうよー?」
「おじさん足長いんだから!」
「う、うん」
 まぁ、なくしても友達のを見せてもらえばいいか。
 見つからないものの確認を後回しにし、先導する綾小路さん達を追いかけた。
「……」
 そういえばさっき綾小路さん、八ッ橋で全然包んでいなかった。普通にあほくさって言うこともあるんだ。
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