13 前門の他人、後門の同居人A
「じゃあ、行ってきます」
「今日は夕飯、外で食べるんでしたよね。楽しんできて下さい」
「うん」

 何も変わらないまま、数週間が過ぎた。
 今夜はバイト後に、バイト仲間とファミレスでご飯を食べる約束だ。夜に外を出るのは正直怖いけど、だからってあの男がいるからって行動を制限されるわけにはいかない。

「綾瀬さん、これ、休憩中にでもどうぞ」
「っ!あ、ありがと」
「いってらっしゃい」

 振り返りざまに沖矢さんは、包み紙に包まれた小さな何かを私に投げ渡した。どうにかキャッチし、手のひらに乗ったそれを見てみる。コンビニに売っていた新作のチョコレートだった。
 沖矢さんに一度頭を下げると、カバンの内ポケットにチョコレートを突っ込み、バイト先へと駆け出した。

「そういえば莉乃さんとご飯食べるの久々。いつも誰かの驕りの時に来てたじゃん?あの時はお金ないの知らなくて、厚かましい子だなあって思ったの」
「結構な誤解を招いていたようで……」

 バイトが終わると、予定通りバイト仲間と3人でファミレスに来ていた。サラダなりシチューなり頼み、テーブルの真ん中に大皿を乗せると、私はそれぞれの皿に盛っていく。
 実は半年ぶりのバイト仲間との食事ということもあり、結構長い間楽しみにしていた。

「そーそー誤解と言えば、エンちゃんこないだ模試でめちゃくちゃいい点取ったらしいよ!私エンちゃんそのへん人並みくらいに思ってたからびっくりした」
「え……それヒドくないですか!?この辺で偏差値1番高い学校通ってるのに!!あと今の高校、推薦入試で受けられたんですよ!!」
「確かになんか抜けてるなー思ったけど……ホラ、こないだの腕時計のこととか」
「あー、あのリーマン?てかあの人、やっぱりあたしのシフトに合わせてお店来てるよ」

 ポテトをつまみながら、エンちゃんは何故かご満悦そうな笑みを浮かべる。例の男に話題が変わると、先輩がなにやら真剣な顔つきで私に話し始めた。

「それなんだけど……こないだ莉乃さんと時間交代したじゃん?その時来てたんだよ、その腕時計の人」
「……へえ」

 やっぱり今月のシフト、全部割れてるな。どこで漏れたんだ……店長がシフトを他人に漏らすはずないのに。でも、来月のシフトは後で全部変えてもらわなきゃ。

「あれ?じゃああたしじゃなくて莉乃さん目当てだったんだ。いいなあ固定客、あたしもたんまり絞りたい〜」
「も、もう帰ろうか!今日は私が全部払うよ!」
「お、おう?」
「ごちになりまーす♪」

 正直、こっちが搾り取られてる気分。エンちゃんが例え冗談で言ったとしても、私にはそれが冗談には全然聞こえない。例の客の話を切り上げさせたいが為に思わず席を立ち、伝票と財布を持って会計に向かった。

「やっぱ莉乃さん、ここんところ疲れて……って、エンちゃん何してるの」
「だって莉乃さん、自分の話全然しないから。なんかこう、探りたくなるのっ」
「だからって人の鞄漁るのは」
「おっし、手帳見っけ!って、なんか挟まって――あ、やば」
「ちょっと何してるの!?」



「……」

 いる。バイト先から帰ってないのに、またいる。2人とファミレスで別れてからしばらくして、またあの足音が聞こえるようになった。
 そりゃあそうだ、バイト先から尾けてくれば、ファミレスに行ったことだって知ってる。また、撒かないと。博士から教えてもらったルートの2、3こぐらいは頭にもう入ってる……こんなの覚えてられても、全然嬉しくない。
 十字路に差し掛かった瞬間、ルートの1つに従い角を曲がり、一気に駆け出す。ひたすら走り、曲がり、いつも撒ける場所で一度立ち止まった。
 もう、本当に暇な人だ……って、

「!」

 嘘、尾けてこられないように何度も曲がるルートを選んで走ったのに。なんで私がこの後通る場所にいるの!?しかも……まだ、帰ろうともしていない!
 私を見つけるまで、その場から離れないつもりだ。もうこのルートはダメだ、別の道で帰らないと……

「えっ……!?」

 誰かからの着信で、鞄に入れたスマホが鳴り出した。慌てて電話を切ったけど、足音は確実に大きくなっていき、私の元へと近づいてきた。
 もうここに留まれない、今すぐこの場から離れるしかない。

 走っては先回りされ、また別のルートで走る。何度走っても、何度撒こうとしても、男は必ず私の行く数メートル先で待ち構えている。その内、覚えているルート全てを試し切ってしまった。
 ……なんなの、なんで追いかけられるの。いつも使ってるルートが割れてるの?だったら、覚えてないやつでなんとか撒くしか――

「……あ、れ」

 ない。鞄に入れたはずの手帳がなくなっていた。挟んでいた、博士からもらった紙もろともだ。
 何時なくなった?バイトから上がる時まではあったはず……そういえばさっき、エンちゃんが私の鞄を漁ってた。あの時だ、エンちゃんが鞄にしまい損ねたんだ!
 テーブルの下に落ちたなら、手帳はお店で預かってるはず。早く回収して、別のルートで帰らないと。

「もしもし、19時から3番テーブルで先程食事をした者ですが……はい、手帳を置いてきてしまったみたいで。緑色のです」
≪かしこまりました。少々お待ち下さい……≫

 幸い、さっき行ったファミレスはまだ営業中で、店員はすぐに電話に出た。レシートを控えておいてよかった……ある程度の情報が残っているから説明しやすい。
 通話から保留に切り替わり、少し割れた音楽が小さくスマホから聞こえ始めてくる。音が拾えないようにスマホを胸でおさえて、息を潜めてまだ近くをうろついている男の様子を窺う。
 お願い、保留中の音漏れてるから早く電話切らせて。私はただ、早く安全な場所に帰りたいだけなの。

≪お待たせしました。緑色の手帳ですね?≫
「は、はい」
≪それでしたら、他のお客様が“近所に住んでいるから渡す”と仰ったので、その方に渡したようです≫
「……は?」

 心拍数が一気に跳ね上がる。店員の返答がどういうことなのか、私の脳裏には悪い予想しか浮かばない。

 まさか、

「どんな、人ですか」

 まさか、

≪スーツを着た方で、年代物のクロノグラフを付けていたそうです。お客様の名前を知っていたので、レジ応対をした者が渡してしまっ――≫

 店員が話している途中なのは分かってた。でもあの男が関わってると分かった瞬間、通話を終了せずにはいられなかった。
 ……道理でいつまでも追いかけてくるわけだ、同じルートで歩いてるんだから。

 ちょっと、待って。あの紙って全部、バイト先から工藤邸までのルートが書いてあるんだよね?

「……っ」

 まずい、哀ちゃんゴメン。住所、バレたみたい。

「まだいる……」

 どうすればいいのか分からなくなったけど、とにかく外にいつまでもいるわけにはいかないと再び走り、その場を凌ぐために見つけたコンビニに駆け込んだ。
 何か買うこともなく雑誌コーナーで時間を潰すこと30分。雑誌を立ち読みしながら、駐車場の様子を細目で窺う。
 街灯に照らされた駐車場で立ち、薄暗い外で腕時計を眺めては何度か店内の様子を見ている。コンビニに入る様子はなさそうだけど、離れる様子もない。

 入ってこないのは良かったけど、いつまでもここにいるわけにはいかない。これからどうすればいいのか……
 店員にお願いして、裏口から出してもらう?だめ、レジは外から見えるから、店員に誘導されてるの見られたら気付かれる。
 警察は事件になるか物的証拠がないと動かない。あいにくそんなに待ってられない。
 ……というか、家の住所バレてるから、ここで家に逃げたらもっと悪い方向に転がる。じゃあもう、あの男と直接話して、やめろって言うしかない?いや、ずっと尾けてきた人なんだ、まともに話を聞いてくれるわけない。

「〜〜ちょっと、一旦考えるのよそう。頭、回んなくなってきた。何か甘い物買って……」

“綾瀬さん、これ、休憩中にでもどうぞ”
“何かあれば、すぐに連絡して下さい”

 鞄の底に、沖矢さんからもらったチョコレートが入っていることを思い出した。
 そうだ、沖矢さん……沖矢さんは私が帰ってくるのを待ってくれてる。

「……帰らなきゃ」

 コンビニのトイレに鍵を閉め、スマホを取り出す。震える指で電話帳を開き、登録された1つの番号に発信した。



「綾瀬さん、沖矢です」

 電話をかけてから十数分が経った頃、沖矢さんの声と共に、誰かがトイレのドアをノックする。急いでドアを開けると、沖矢さんは私の腕を掴み自分の元へ引き寄せた。

「沖矢、さん」
「場所を聞いたのに位置情報が送られてきてびっくりしましたよ」
「す、すみません、考えなしに走ったからどこの支店かも分からなくって……」
「……確認ですが、本当に知らない人なんですね?」
「知らない、最近バイト先によく来るだけ」
「そうですか……――分かりました。今から全部片づけましょう」
「どうやって……」
「とにかく綾瀬さんへの関心を失わせるのが良いかと。幻滅でもなんでも構いません」
「そんな、どうして関心持ってたのかも知らないのに」
「それを知る為に、今から話に行きますよ。穏便に済ませたいなら、僕に従って下さい」

 沖矢さんが右手を私の左手に繋がせると、コンビニを躊躇うことなく出て行き、男の元へと向かった。

「すみません、少し宜しいでしょうか?」
「!……誰だよお前」

 レジ以外で男とこうして対面するのは初めてだった。スーツを着てたからサラリーマン程度に思ってたけど、顔をよく見たら20歳そこらにしか見えない。……でもやっぱり知らない人だ。

「最近あなたが彼女を付け回していると聞いたんですが、今日で止めてもらえませんか?」
「あ?別に尾けてねえから。そいつに話があるからタイミング図ってたんだし」
「ほー?どういった用ですか?僕も同伴で宜しければ、今話すといいですよ」

「そうかい。
 ――なあ、やり直そう。お前も親の離婚とかで大変だったんだろ?俺もお前と別れてから、お前の有難味が分かったんだ」
「……」

 全然、意味が分からなかった。この男は何を言ってるの?親の離婚なんて、そんな兆しさえもなかったのに。

「ご両親、離婚していたんですか?」
「そんなわけないでしょ。今でもあの2人は同じベッドで寝てるのに」
「では、あの男性は綾瀬さんを昔付き合っていた恋人か何かと勘違いしているんですね。
 ……悪いんですが、彼女はあなたの探している人ではありません。名字はさておき、名前だって違うんですよね?」
「ああ、違うけどどうせ、証人保護プログラムかなんかで変えたんだろ!?」
「なんの証人だって言うんです……」

 沖矢さんはやれやれと言った感じで溜息を吐き、私に目配せをする。1つ頷くと、私は沖矢さんの右腕に両手をぴったりと絡ませた。
 この人は、私が他人の空似だと理解してくれない。だから、この人の知っている人だということにし、諦めてもらうしかない。やりたくないけど、ここまで詰んでるならやるしかないのね。

「ごめんなさい!私、す、昴さんと今付き合っているんです!あなたのこと眼中にないんです!」
「なっ!?」
「あっあなたの顔も名前も忘れるくらい、この人に夢中なんです!」

 ああもう、よくこんな茶番に付き合っていられるな。沖矢さんも笑い堪えてないで何か言ってよ!

「う、嘘だろ!1ヶ月も見てたんだぞ、今までそいつがバイト先に来てお前と喋ってるとこなんか見たことねえ!」
「それは当然ですよ。外でいちゃつかない分、家の中でベタベタしているんですから……ねえ“莉乃”さん?」
「え、ええ……」

 何か言ってとは思ったけど、名前を呼べとは言ってない。腕が開いていたら抓ってやりたかった。
 ぎこちない笑みを沖矢さんに返すと思いの外、男には効果があったみたいで、私と沖矢さんを見て狼狽え始める。こんな棒読みで引きつった顔を私がしてるのに……この男、かなりフィルターを掛けて私を美化しているらしい。

「いや、それも嘘だ……」

 それでもまだ男は諦めてないみたいで、ジャケットのポケットからスマホを取り出した。

「え……」
「お前、何そいつの前で猫被ってんだよ。俺と付き合ってた時は外だろうがいちゃついてたじゃねーか!写真だって残ってるぞ!」

 沖矢さんは手を伸ばして男からスマホを受け取ると、私にも見えるようにスマホを持った手の位置を低くする。古い日に撮られた写真には、目の前にいる男と、私に容姿が酷似した女性が写っていた。バックには夜景、これだけ見ると本当に仲良く見えた。

「「……」」

 男に黙って、沖矢さんは次の写真にフリックする。日付が新しくなるにつれて、2人で写っている写真が少なくなっていく。
 その代わりに、女性1人の写真が増えていった。目線がカメラに向いていなかったり、ピントが合っていない写真ばかり。この女性、しばらく撮られていることに気付かなかったんだ。その内、男の行動に気付いてまずいと思って、姿を消したんだ。
 そして……最近の日付には、私のバイト中の写真。

「オイ、もう返せよ……で、結局その男と付き合ってる証拠はねえんだろ?俺に諦めさせる為に適当についた嘘だったんだろ!?」

「どうしよう、博士叩き起こしてもらって、なんかそれっぽい写真合成してもらう?」
「ふざけたコラ画だったらすぐに出来ますが、それだと信用しないでしょう……――綾瀬さん、1つお願いが」
「はい?」
「怒りたければ、後で好きなだけ怒って構いません。ですから今だけ、僕に抵抗しないで下さい」
「え……が、頑張ってみますけど」

 でも、なんで抵抗すると思われてるの。

「オイ、どうなんだよ」
「これはお返しします。それから、証拠なら見せられますよ」

 沖矢さんが男のスマホを投げ渡す。直後、沖矢さんは私の左手首を掴み、私は沖矢さんに引き寄せられた。

「――……」

 数秒間、沖矢さんにされていることが飲み込めなかった。でもこの感触には覚えがあった。最初の彼氏の時に知ったものだ。
 ――理解した瞬間、顔が一気に紅潮した。
 この状況は何なの、沖矢さんとはそういう間柄じゃないのに。

「――っ!」

 だめ、だめ……――!

「んん゛、ぅ」

 拒否しようと空いている手を沖矢さんの肩に伸ばし、力を入れて沖矢さんを押し退けようとする。すると沖矢さんの手から左手が解放されたけど、それは一瞬だけで、今度はその手で顎全体を固定された。
 何をするのかと思えば、一度離れた沖矢さんの唇がまた私のそれを塞ぐ。その際に口の中で響いた、ぐち、と粘着質のある小さな音。酸素を吸うために無意識に口を開いた隙に、自分の物ではない舌の侵入を許してしまっていた。

「ぅ……〜〜〜っ!」

 口の中という狭い範囲なのに、私を困惑させるのには十分だった。
 入り込んだ沖矢さんの舌が私の咥内の至る処に触れ、その度に身体が勝手に跳ね上がってしまう。そんな自分自身の反応が嫌で嫌で、やめてと訴えたくても、顎を掴まれていて言葉にすることも出来ない。
その内、唯一動かせる舌さえも沖矢さんに弄ばれる。沖矢さんの舌が私のそれに触れると、何のためらいもなく舐り始めた。
 沖矢さんの舌から煙草の苦みや匂いを強く感じ、自分の記憶にない感覚に思わず眉をひそめて硬く瞼を閉じる。両手は自由なのに、咥内で起きている強烈な感覚のせいで、沖矢さんを押し退けるという選択肢を見失い、ただ縋るように沖矢さんの上着を強く掴むだけになっていた。
 口の中を好きに動く、沖矢さんから押し付けられるこの感覚が不快なのか、そうじゃないのか。それさえも考える余裕も沖矢さんに根こそぎ奪われたせいで、ただ沖矢さんにこの行為をされているということで頭の中がいっぱいになっていた。

「……もう、目を開けて大丈夫ですよ」

 顎を掴んでいた手の力が緩み、沖矢さんの口が私から離れていく。口の中を荒らす感覚がなくなり、私も両手の力を弱め、上着から手を離してだらんと腕を下ろす。舌先から細く伸びた唾液をぼんやりとした意識の中で捉え、どれくらい長く、沖矢さんにしがみついていたのかを思い知らせた。
 沖矢さんから解放されたのに、私の方は執拗に尾け回されたことの疲労感とさっきの行為のせいでぐったりとしていて、倒れるように沖矢さんにもたれかかった。肩で息をする私とは対照的に、沖矢さんは落ち着いた様子で、何事もなかったように私の背中を優しく撫でる。

「沖矢、さん」
「はい」
「……煙草、吸い過ぎ」
「おや、バレてしまいましたか」

 ……どうして?
 もうこの時には、あの男のことを考える余裕は全然なかった。その代わりに、ある疑問だけが私の頭の中を巡り続ける。

 分からないよ、沖矢さんも――“私”も。
 
++++++++++
前門のSTK、後門の沖矢さん(元:うさんくさい人)。←

主人公目線だと沖矢さんが助けていないという。

本当に怖いのは人間だよねって話。前回と異なり、武器持ってないタイプ且つ継続して脅威をまき散らす人。今回の対比用に、一角岩の話を持ってきました。どんだけ怖い目合えばいいのと思ったけど、多分しばらくはない、はず。

仰天とかで見たSTKの話は怖かった……でも被害者のおかげで、ちょっと改正が入ったり、救済措置があってよかった。元彼の振りしてメール送って住所聞き出すとか怖いわ、アドレス確認大事。

※なんでSTKが発生したのかは、後でちらっと書きます。
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