14 泣浸しで二十歳が始まる@
「店長……それ、シフト表ですか?」

 バイト先の制服に着替えようとバックヤードに向かう途中、珍しく店長を見かけた。デスクに座り、何やら悩まし気に肩を回す店長に声を掛けると、店長は振り返り、苦笑いを見せながら罫線だけ印刷された表を見せてきた。

「……ああ、綾瀬さん。実は、しばらくシフト表手書きで作らないといけなくてね」
「え?だって先月PCで……」

「それがさあ、自宅のPCで作ってたんだけど……作ったのと若干シフト変わってたり、たまに動作が悪い時があると思って調べてもらったら、不正アクセスされてたらしいんだよ」
「……それ、外部の人に漏れた可能性があるってことですか?」
「まあ、そうなるね。ただ、うちのスタッフが何も言ってこなかったから何か起きたわけじゃないと思うけど……」
「そ、そう……ですか」

 そっか、そういうことだったんだ。
 わざわざ店に入って私がレジを打っているタイミングで会計したのは、私にレジ対応させている間に名札を確認する為だったんだ。最初に離婚がどうこう言っていたのは、私の名字が変わったと思い込んだからだ。
 まだ私の名字を把握していないのに、私のシフトを頻繁に夜に出来たのは、多分偶然だ。毎月誰かひとりのシフトを自分の勤務時間に合わせて変えて、私にぶつかるまで繰り返すつもりだったんだ。それで最初に私のシフトにぶつかっただけ。

「綾瀬さんもなんか疲れてない?」
「え?いや、そんなことは……」

「莉乃さん、大丈夫ですかあ?」
「……え?」
「なーんか、ファミレス行ってからずっと変ですよ?あと10分でお店開くんですから、笑顔!」
「……ああごめん。そうだね、顔作んなきゃ」
「……」

 開店前の準備をしている中、エンちゃんは両手の人差し指で自分の口角を押し上げて見せる。エンちゃんに謝り、キュロットスカートのポケットに入れていたスマホをミラーに切り替え、自分の表情を見ようとする。店長どころか後輩に指摘されるくらい、営業直前とは思えない顔をしていたらしい。

「!」

【バイトは今日18時上がりですよね?いつものコンビニまで迎えに行きます。】

 スマホをちょうどよく出していた時、ラインの通知が入った。メッセージを確認すると、沖矢さんからだ。内容を一読するとスマホの電源を切り、ポケットに戻した。

「……」

“怒りたければ、後で好きなだけ怒って構いません”

 前もってあんなことを言ったんだ。謝るべきことなんだと沖矢さんは思ってるんだと勘違いしてた。でも、ああ言ったくせに、あれから沖矢さんは私にそのことについて一度も触れることはなかった。
 それどころか、いつも通り。ストーカーなんてされてなかったんじゃあ、という考えが過りそうになる……でも、

「綾瀬さん、バイトお疲れ様です」
「うん……ありがと」
「今日はシチューにしようかと」
「具はどうするの?」
「とりあえずかぼちゃをペーストにして入れようかと」
「そう……」

 あの日から沖矢さんは、バイトが夜に終わる日だけ、バイト先から工藤邸の間にあるコンビニやスーパーまで迎えに来るようになった。
 多分、沖矢さんも沖矢さんで心配してくれてるんだろう。ストーカーに尾けられてる間、その男を撒く時間分帰ってくる時間が遅くなってたし。

「すみません、味見を」
「うん……よし、大丈夫」
「では、夕食にしましょうか」
「……」

 ……あと、つい見てしまう。食事中、会話中に沖矢さんの口、正確にはその中を。口を開くたびに覗いている舌先が目に入り、どうしてもあれを思い出してしまう。

「綾瀬さん」
「……」
「綾瀬、さんっ」

 左手に何かが触れる感覚。気付くと向かいに座っていた沖矢さんがイスから立ち上がって、右手を伸ばして私の左手を軽く小突いていた。

「え?」
「シチュー減ってませんが……やっぱり不味かったんでしょうか?」
「いや、そんなこと全然!」

 首を横に振り、慌ててシチューを口に運んだ。私が考えすぎなだけなのかな。沖矢さん、いつも通りに接してくるし……

 ――いつも通りって、どうして。恋人でもないのにあんなことして、どうして沖矢さんは平然としていられるの。
 沖矢さんにとってあれは息するくらい、造作もないことだったの?……そんなこと聞けない。

「……あ、再来週の水曜日なんですが、夜に家にいてもらえませんか?」
「次の月だから、シフト調整すれば夕方に上がるように変えられるけど……どうして」
「その内分かります」
「……?」



「なんで今日……?」

 約束の日までに月が変わり、沖矢さんの希望通り、バイトを夕方で上がれるようにシフトを組んでもらえた。その帰りに同じシフト、前後のシフトの人達からもらったお菓子やら雑貨やらが入った紙袋を両手で持ちながら、工藤邸までの帰路を辿っている間ずっと考えていた。
 どこかに出かけるなら、わざわざ家にいて、なんて言わないし……今日、何かイベントでもあったかな?でも手帳にはそんなこと書いてない。

「ただい……」
「あら、バイトお疲れ様」
「……ごめん、家間違えたみたい」

 玄関に入ると、何故かエプロン姿の哀ちゃんが出迎えてくれた。……疲れてるみたい、家間違えるなんて。引き返そうとすると、哀ちゃんに呼び止められた。

「ちゃんと帰れてるわよ。荷物置いたら、台所に来て」
「え?」

 再度玄関を確認する。私の他の靴が並んでる……良かった、いつも使ってる玄関だ。それにしても珍しい。哀ちゃんが工藤邸に、しかも私がいない間に入るなんて。

「おー莉乃君!今日はワシも飲みまくるぞー!」

 台所に向かうと、阿笠博士も上がっていた。ワシ“も”って……沖矢さんが飲むからってこと?

「あら、今日から莉乃さんも飲めるんでしょ?あの人、お酒とおつまみ買い込んでたわよ」
「あ!」

 そっか、今日から二十歳なんだ!!

「――乾杯っ」

 博士が哀ちゃんを覗いた3人分のグラスにビールを注ぎ終えると、4つのグラスで軽快な音を鳴らした。
 1人暮らししてからもう、こういう風に祝ってもらえないと思ってたからめちゃくちゃ嬉しい……!後でバイト仲間のライングループにもお礼のスタンプ投げまくろう!

「ところで、流れで注がれてたけどあなたビール平気なの?」

 1人オレンジジュースを口にする哀ちゃんが尋ねる。お察しの通り、そういう流れだったからつい博士を止められなかった。でもせっかくだから、少しはお酒を飲んでおきたいところ。

「んー……ちまちま飲む分ならね。泡ありの炭酸みたいなもんだし……でも今は、ちょっと軽めのにしようかな。確か、カクテルあったよね」
「あら?あの人と後で飲むつもり?」
「!!」
「大丈夫なの本当に……?」

 哀ちゃんの発言で、グラスに注ぎ直していた缶が手から滑り落ちた。缶に残ったカクテルがテーブルに零れたところを哀ちゃんが布巾で抑えてくれたから、被害は少なく済んだ。

“私だって今年にはお酒飲めるようになるんですよ!”
“ほー、そうでしたか。それじゃあ……飲める時が来たら、一緒に飲んでもらいましょうか”

 2人で最初に買い物に行った時、帰りに沖矢さん、私が飲めるようになったら一緒に飲むって確か言ってた。もしそれが、今4人で飲み食いしていることを指すなら、一応沖矢さんの希望通りになってるはず。違うなら……これが終わってからってことになる。
 まあ、あの時は会ったばっかりだったし、冗談だったのかもしれないけど……

 酔っぱらった阿笠博士に絡まれている沖矢さんを見る。ちょうど沖矢さんも顔を上げ、私と目が合った。沖矢さんは博士を適当にあしらいながら、自分の背後にあるカウンターを指差す。そこには、あの時買ったバーボンのボトル……冗談では、なかったらしい。

「まあ、それはいいけど。ところで、ケーキ……レアチーズで作ってみたんだけど、それで良かったかしら」
「哀ちゃんの手作りなら何でもいいっ!」
「莉乃さん、少し酔ってるわよ……」

 哀ちゃんの手作りと聞いた瞬間、何か堪えきれなくて思わず哀ちゃんをハグしていた。
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