12 春の足音と夏の花
「あ」

 バイト上がりに、スーパーを通り過ぎようとしたが、足はその入り口へ吸い寄せられてしまう。原因は、店頭にセールの文字がちらついたこと。
 カゴを持ち、向かうは野菜が陳列されたコーナー。旬の春野菜をいくつも見比べ、質のいいものをカゴに入れていく。あとは財布と今日の夕食について相談し、レジに通したものをマイバッグに移し、いつもの帰り道へ戻っていく。 片腕が少し重いバッグで塞がれ、片方の空いている手でスマホを開き、沖矢さんにラインで今日の夕飯についてと、先にやってほしいことをメッセージで送る。既読がついたことを確認してスマホをポケットに戻そうとすると、私とスマホの液晶の間に桜の花びらがちょうど1枚滑り込んできた。周りを確認し、やがて頭上を見上げると、ブロック塀を超えて開花している1本の桜の木を見つけた。
 3月になって早2週間。どうやら私が気付かない内に、春が訪れ始めていたらしい。

「もう咲く時期か……」

 花、工藤邸で何か植えたりしてないかな。


「ただいま」
「綾瀬さん、おかえりなさい。挽肉、解凍しておきましたよ」
「ありがと」
「ロールキャベツ……旬のものを扱うと、季節を感じますねえ」
「本当は旬の物を食べた方が体にいいらしいけどね。あ、これ何枚か剥いたら濯いでレンジで少し温めて」

 玄関まで出迎えてくれた沖矢さんに、さっき買った食材が入ったバッグを預けると、一度自分の部屋に入った。 着替えようとシャツをたくし上げ、襟から頭を抜いていく。その時だった、顔の近くで何かが千切れる音がし、その直後にフローリングに落ちる音がした。

「……?」

 腕を袖から抜くと、床に膝をついてさっき落ちた何かを探す……あった。襟口に縫い付けられていた飾り用のボタンの1つを拾い上げた。まだ他のボタンは付いてるけど、この様子だと他も洗濯したら外れそう。

「有希子さんの部屋に、裁縫箱あればいいけど……」

 沖矢さんの作業も見ておきたいし、どうせ縫うだけだ。裁縫箱持って、台所でささっと縫い付けよう。





「ああ綾瀬さん、今キャベツを温めたところです」
「じゃあ芯だけ切り取って、刻んでタネに混ぜちゃって」

 有希子さんの部屋から裁縫箱を見つけ、ボタンと着ていたシャツを持って台所に入る。ちょうど沖矢さんがレンジからキャベツを取り出しているところだった。
 沖矢さんに次の手順を指示し、持っているものをまとめてテーブルに置き、まな板の前に立つ沖矢さんの背後を回り込んでボウルの中身を確認……タネはハンバーグ作るときと大体一緒だし、そのまま進めてもらおう。

「それ終わったら、俵の形にしてキャベツで包んで。あ、あんま大きいと包みきれなくなるから気持ち一回り小さめでね。包んだら巻き終わりを下にして、鍋に出来るだけ敷き詰めといて」
「了解……」

 とりあえず煮込む前までの手順を一通り伝えると、シンクから離れてテーブルに戻る。裁縫箱から必要なものを一通り取り出し、手が届く場所に置いて、椅子を沖矢さんの方に向かせてからそれに腰かけた。

「?……」
「……ん」
「……」

 沖矢さんが一度だけ顔を上げ、私を見る……タネを作る手が止まってる。露骨に沖矢さんの手を指さし、手を動かすように促す。沖矢さんのすぐに目線が下に戻ったところで、私も自分の作業に戻った。
 ……こうして、一緒にいるのに何も喋らないの久々。同じ空間にいるのにお互いに違うことをしてるからかな。
 最近はもう、沖矢さんといるのに慣れたからというのもあるけど、静かな方が違和感ある。誰かの生活の音がするって思うと、思いの外ほっとするものだなあ……

「綾瀬さん、詰め終わりましたよ」
「……」
「すみません、焦がしました」
「!?何をっ」
「すみません、焦がしたというのは嘘です。反応がなかったので」
「あ、ああ……水とコンソメと胡椒入れたら、アルミで落し蓋作ってしばらく煮込んじゃって……」

「針仕事をされていたんですか」
「ちょっとボタン取れちゃって……」

 沖矢さんの作業は、あとはしばらく弱火でじわじわ煮込むだけになった。沖矢さんは煮込み時間をセットしたタイマーを持って、私の隣の椅子を引いて腰かけた。煮込み時間は予定だと20分くらいのはず。
 沖矢さんはテーブルに頬杖を付きながらじっと私の手を見る。私の方は、そろそろ外れたボタンを付け終えようとしていた。最後に糸切狭に手を伸ばし、結び目の傍で糸を切る。よし、あとは他のボタンを縫い直すだけだ。

「……夕飯を食べ終えたら、お願いしたいことがあるんですが」
「?」
「実はシャツを昨日洗濯したんですが、ボタンが取れてしまいました」
「断ります」
「まだ要件を伝えてませんよ」
「だってこの流れ、ボタン付けてくれってことじゃないですか。ネットで検索すればすぐ出ますよ、自分で頑張って下さい」

 溜息を吐き、糸を針孔に再び通すと、沖矢さんは席を立ち、コンロへ戻って鍋の蓋を一度開ける。そして流し台から何かを拾い、それを自分の背後に隠して私の前へ戻ってきた。

「!!」

 左腕を引っ張られ、糸が針孔からすり抜けていく。沖矢さんが私の指を解き、指から抜け落ちていく糸の代わりに、鈍く光る包丁を持たされた。

「まだ、やり過ごせてはいないようですね」
「……」
「だからここ最近も、僕に指示を送るだけで料理を殆ど任せているんですよね?事実上、僕に食事を一任させる代わりに、他のことをやっていただけると僕もありがたいと感じるんですが」
「……沖矢さん、前から思ってたんですけど、今までどうやって生活してたんですか」

 そんな、自分の服のボタンも縫わないで。



 夕飯を食べ終えると、洗い物を済ませてから作業場所をリビングへと移した。
 沖矢さんはシャツを取ってくる為に一度自分の部屋へ戻っている。私は沖矢さんが来るまで、床に雑誌を広げてあるページを眺めていた……やっぱり今から植えるなら、これがいいかな。

「綾瀬さん、お待たせしました」

 しばらくすると沖矢さんがリビングに現れた。手には例のシャツが掛かっている。沖矢さんは私に近づき、手に掛けているそれとボタンを1つ私に差し出した。

「今までよく取れませんでしたね。もう……早く覚えて下さいよ」
「助かります」

 白いスタンドカラーシャツの襟には、最初ボタンが4つ付いていたはず。その内1つがあったはずの場所には、千切れた糸しか残っていなかった。他の3つも留められてはいるけど、糸で辛うじて繋がっているだけの状態だ。
 裁縫箱から同じ色の糸を探し、目測で必要な長さだけ解いていく。さて、さっさと片づけて本の続き読みますか。


「……?」

 沖矢さんは私の手を見る為に正面に座ると思いきや、何故か私の背後に回った。どうしてそうしたのか不思議だったけど、沖矢さんを放置してボタンを縫い付ける作業に移ろうとした時だった。
 すると急に背中が温かくなってくる。自分の背中が汗ばんでいる感覚はない、私の体温が上がったわけでもない。
 それだけならまだ気のせいで済んだ。その内、左肩を軽く後ろに引っ張られ、右肩に何か重みがあるものが乗せられる。背中に当たるものの存在感が強くなり、背中の温度はより意識せざるをえないものへと変化していった。

「どうしました?」
「いやそっちがね!?」

 振り返り、その原因をすぐに把握した。左肩は沖矢さんの左手に掴まれ、右肩からは私の手元を見る為なのか、沖矢さんが顔を覗かせていた。

「な、なにをしてっ」
「後ろから見た方が分かりやすいかと」
「いや、そうだろうけど!」
「早く済ませて下さい」
「目線上過ぎじゃない!?」

 沖矢さんは左手でぐっと私の顔をシャツに向かせると、また肩を緩く掴んだ。
 なにこれ、傍目から見たらこれはどういう状況なの。玄関と勝手口のカギは閉めたっけ。哀ちゃんがタッパー返しに家に入ってきたらどうしよう。一歩間違えれば、そういう間柄でもないのにあすなろ抱きみたいになっちゃうけど、沖矢さんとしてはどうなの。

「――っ……!」

 鋭い痛みが一瞬だけ走った。針がシャツの想定してない箇所から突き出し、指に先端が当たったらしい。ちょうどシャツを摘まんでいる左手の親指の腹から、血がぷくりと小さく浮き出てきた。
 声に出しちゃだめ、肩が跳ねるのもだめ。沖矢さんに知られるのは無性に悔しいから、歯を食いしばって、涙目になるだけに抑えて。何か話して、とにかく私の手元から意識を逸らしてもらわないと。

「あの、さっきも聞いたんだけど」
「はい?」
「沖矢さん、ここに来る前はどうやって生活を?前住んでたアパートにいた時とか……」
「ああ……あまりあそこの台所は狭くて、使いやすいとは言えませんでしたね。なので、自炊はあまりしていませんでした。綾瀬さんが聞いたら怒るような食生活でしたよ」

 同様にアパートに住んでいた私としては、この回答で既に苛立った。こっちは節約する為に狭いシンクと日々戦って、出費に繋がる外食の誘惑から必死に逃げていたというのに。

「食事はいいとして……こういう、縫物は」
「そうですねえ……アパートにいた時は、そういう問題に直面するほどでもありませんでした。その前もやっぱり、研究や論文に集中していたので、人任せでしたね。気付いた時には、誰かが縫った後なんですよ」
「誰かって、そんな曖昧な」

 そしてやんわりと、自分の世話を焼いてくれる存在がいたことを主張している。きっとその外面がいいように働いたんだな、一緒に生活して沖矢さんがどういう人なのか知ってしまえば、親切心は動かなかっただろうに。

「すみません、もう近くに」
「ぅ……」

 ボタンをシャツにしっかりと留めて糸を結ぼうとした時だ。ふわりと沖矢さんの髪が耳を擽る。沖矢さんが私の手元を更に近づけようと、顔を近づけてきたのだ。
 ふと、小学校での授業風景を思い出してきた。被服室で、家庭科の授業か何かでガイドラインがプリントされた生地に沿って色々縫った時があった気がする。
 ……って、あれ?

「沖矢さん、やっぱり学校で習ってるはずっ」
「おかしいですねえ、覚えがありません」
「とぼけないで下さい!!」

「――さん?勝手に上がっちゃうわよ……」

 玄関のドアが開く音と、誰かのくぐもった声が明らかに聞こえた。バタバタとフローリングを掛ける足音段々と大きくなり、足音はリビングの前で止まった。……やっぱり鍵、閉めてなかった。横目で沖矢さんをちらっと見る。眉間にしわを寄せ、少し不満げな顔を私に合わせてきた。
 沖矢さんは右手を伸ばし、私が読んでいた本を手に取ると背中から離れていく。それからすぐにリビングのドアは訪問者によって開かれた。

「莉乃さん、さっき博士の知り合いから……」
「あ、哀ちゃんこんばんは」
「……何してるの?」
「縫物」

 ドア越しにリビングを覗き見たのは、低身長の女の子……哀ちゃんだった。
 哀ちゃんは私がボタンを縫い付けているシャツをじっと見る。そしてソファに腰かけて雑誌のページを捲る沖矢さんに目線を移す。

「それ、莉乃さんの趣味じゃないでしょ……何やらせてるのよ」
「哀ちゃん、その件については聞かないで」
「……なんで顔赤いの?」
「あ、ねえ、博士の知り合いがなんて?」
「ああ、そうだったわね……」

 思い出したように哀ちゃんはテーブルに近づき、持っていたケーキボックスを乗せる。それを開けると、中身を私と沖矢さんに見せるように取り出した。

「家に博士と私しかいないのに、ケーキ4つもくれたのよ。
 あの子達には数が足りないから分けてあげられないし、でもいいお店のだからもったいないし、博士が隣に分けてくれって……どれか食べたいものはあったかしら?」
「ありがと。じゃあ、ガトーショコラ」
「すみません、同じものを」
「そう……じゃあ、またね」
「あ、玄関の鍵閉めなきゃ……」

 哀ちゃんは1つ頷き、ガトーショコラ以外をボックスにしまうと、それを持ってまた玄関に向かう。私も縫っている途中だったシャツを一旦置いて、施錠がてら哀ちゃんを玄関まで送ることにした。
 サンダルを履き、哀ちゃんは玄関のドアに手を掛けようとする。しかし振り返り、唐突に私に質問を投げた。

「莉乃さん、チーズケーキは好き?」
「うん、好きだよ?」
「……分かったわ、おやすみなさい」
「?……おやすみ」

「フォークと皿、持ってこようか?」
「ああ、それは僕がやるので……ところで、何か育てるつもりですか?」

 リビングに戻ると、沖矢さんがさっき手にした植物の本の1ページを私に見せてくる。さっき哀ちゃんが上がった時は適当に捲っていたのに、ちょうど私が開いていたページに戻っていた。私もソファに座り、沖矢さんからそれを受け取った。

「ああ、それね……工藤邸の庭、花木はあるけど球根の花がないなって」
「ああ、確かにつつじなら見かけましたね」
「花壇はあるし、今から植えられるのないかなって調べてて……これとかどうかなって」

 開いていたページより前のページを捲る。沖矢さんが来る前に見ていたあるページで手を止め、沖矢さんに見えるように雑誌を置くと、1つの植物の写真を指さした。

「ダリアですか」
「今から植え付ければ夏に咲くみたい」

 和名は天竺牡丹。名前からして、海外からきた花だ。花びらの大きさから咲き方まで種類は多く、育てる場所に合わせて選べるところが個人的にいいと思った。
 沖矢さんと私でじっと、開花したダリアの写真を見入り、やがて口を開いた。

「どの色もいいですね。育てるなら、色はどうします?」
「沖矢さん選んでいいですよ」
「赤はどうでしょう」
「沖矢さん赤好きね……じゃあ、あと2色植えましょう」
「綾瀬さんはどうしますか?」
「赤なら、似た色のオレンジと……あと、白」
「白がお好きでしたか」
「いや、そこまで好きじゃないけど……」
「……」
「咲いた時に、教えます」
「では、咲くのを待ちましょうか。実は、以前住んでいたアパートで庭の手入れをしていたんですよ」
「そうだったんだ……」

「本当に、楽しみですね」

 ああ、顔こんなに緩ませて、本当に嬉しそう。なんでこんなに嬉しそうなのかよく分からないけど。

“なんで顔赤いの?”

 ふと、哀ちゃんに指摘されてことを思い出した。言われるまで全然気づかなかった。きっと赤くなってたのは、沖矢さんが針仕事中に背中にくっついてて危ないと緊張していたからだ。もう落ち着いただろう、と頬に手を伸ばしてみて、少し驚いた。

「……」

 あれ、顔、まだ熱い。



「あれ、莉乃さんそれどうしたの?」
「ん?」

 夕方、バイトを上がり、ロッカーの荷物を持ってバイト仲間と店を出た時だ。その子が私の手にあるビニール袋を指さした。

「ビニール袋……土ついてるけど」
「ああ、球根。バイト来る途中の花屋で買ったの。帰ってから庭に植える予定」
「ふーん……」

 こんな感じに咲く予定、とバイト仲間にスマホでダリアの花の画像を見せる。スマホの画面を覗き込んだ後、彼女は不思議そうに私を見てきた。

「なんか楽しそうね?」
「?そう見えるなら、そうかもね」
「そうだよ、にやけてるもん」
「……そっか?」

 ……――?

「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」

 誰かが見ているような気がし、振り返ってみたけど……誰一人としていない、私の気のせいだった。バイト仲間の問いに私は首を横に振り、2人で帰り道を再び歩き始めた。

 春の足音と共に、私の元に面倒ごとも訪れていたらしい。もう背後まで来ていることを、私はまだ気付きもしない。

++++++++++
ここでの沖矢昴/赤井秀一
@恋人(ジョディとか明美さんとか)が家事全部やってくれていた。
 飲み込みは早いが覚える気がなかったのであった。←
Aなんか学校で裁縫習ったけどやらないから忘れた(想像の範囲)

実はボタンが縫い付けできない沖矢昴が工藤邸シェアネタで最初に沸いたネタだったりする。
ついでに料理もこれから覚える沖矢昴で行こうとなったのは過言ではない。
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