11 遺体の臭いと刃
 リビングのドアを少しだけ開き、ソファに腰かける沖矢さんを発見。よし、機嫌は悪くなさそう。
 でも、果たして簡単にいいですよと言ってくれるかどうか。昴さんも行くって言うかもしれないけど、誘われたのは私だけだし、勝手に連れて行っちゃうと哀ちゃんがきっと嫌がる。哀ちゃんが不機嫌になるのは、私も困る。
 深呼吸を1つし、ドアノブを掴むとドアとドア枠の隙間を広げ、私は沖矢さんに近づいた。

「沖矢さん、ちょっとい……」
「ああ、待って下さい」

 沖矢さんは2人掛けのソファに深々と座っている。私はその空いた場所に浅く腰を下ろした。
 沖矢さんが片手を私に向けて言葉を制止する。もう片方の手を見ると、優作さんが書いた小説。開いていたページに栞を挟むと、ソファの背凭れに体を預け、こちらをやっと見た。……読書中、だったか。

「……こんな体勢でよろしければどうぞ」
「明日、近くの船着き場まで車で送ってほしいんですけど……」
「構いませんが、どういった用事で?」
「コナン君が友達と釣りに行くって言ってて、私もどうか?って声かけられて」
「なら、博士の車に乗ればいいじゃないですか」
「友達って、いつもの面子だよ?ビートルじゃ私は入れないよ」
「ああ、少年探偵団、ですね……――分かりました、博士が車を出す時間に合わせて送りましょう。時間は僕の方から聞いておきます」
「ありがと。たくさん釣れたらお裾分けしてもらうから、夕飯の主食は勝手に作らないでね」

 やった!
 これで年相応にはしゃぐ哀ちゃんの写真も撮れる、気がする!釣りはコナン君達に任せて、明日は写真と動画撮影に専念する!とりあえずデジカメ充電しなきゃ!

「そろそろ……夕飯の支度をする時間、ですね。今日は何を?」
「明日魚メインだから、とりあえず肉だなあ。ささみって買ってあったよね?」
「冷蔵庫に在庫のメモが書いてあるはず……すみません、少ししたら手伝いにいきます」
「分かった、手伝いが必要になりそうなの作ってるから」
「――……」

 ……沖矢さん、もう寝ちゃった。こんなところで寝ちゃうなんて、なんだかものすごく貴重な光景。
 と、いう、か、どうしよう、さっきの私すごく気持ち悪かった!沖矢さん相手にお願いする為に深呼吸なんかして!!
 何、“ちょっといいですか”とか言いかけて!なんでワンクッション置こうとしたの?アプローチがお父さんに何か物ねだるときと同じになってた!
 だめだ、全部こないだの外出と双子コーデのせいだ。沖矢さんと手繋いで無駄に近距離になったり、沖矢さんが耳とか髪とか過剰に触ったからその反動か何かが起きてる。早く切り替えなきゃ!

「……筑前煮作ろう。レンコン水浸けて、たけのこ茹でなきゃ」



「元太君、引いてる!引いてる!」
「オイ姉ちゃんも手伝えよ!」
「無理!動画録ってる!」

「――クロダイ!」

「姉ちゃん、今のスゲーやつ録ったか!?」
「録った!録ったよ!」

「莉乃さん、あんなにテンション上がるのね」
「いつもああだとうるせーけどな……」

 翌日、阿笠博士が車を出すと同時に、私も沖矢さんの運転で船着き場まで送ってもらった。帰りの時間を伝えると、沖矢さんは博士と一緒に工藤邸へ戻っていった。
 大人は、博士の友人で船主の江尻さんだけ。江尻さんとは今回が初対面だ。……こんな風にテンション上がっているところなんて、阿笠博士にも沖矢さんにも絶対見られたくない。今日は子供が相手なんだ、子供には元気過ぎるくらいでちょうどいいんだよ。

「コナン君、哀ちゃん、今釣ったやつでサイズ更新したから記念に撮るよ!」
「はいよー」
「はいはい……」
「オイ、嬢ちゃん、さっきから撮ってばっかじゃねえか。俺が押してやるから子供らの後ろに回りな!」
「あ、ありがとうございますっ」

 江尻さんありがとう。哀ちゃんと写ってる写真が手に入った……!

「おーっ!!」
「すっげえー!!いっぱい釣れたな!!」
「みんなの合わせたら20匹くらいいるね!!」

 子供達が釣った魚に意識が向かっている中、私はデジカメで今日撮ったデータ数を確認する。
 いっぱい撮れた……眼福……200枚は余裕かなあ、そこから手ぶれとピンボケ覗いても150枚はある。あとでPCに入れてタグ付けして、皆が写ってるやつを焼き増ししなきゃ。

「今日の夕飯は、博士の家で魚料理で決まりですね!」
「まあ、さばくのは博士だからちょっと心配だけど……莉乃さん、さばけるかしら?」
「え!?まあ、出来ないわけじゃないけど」
「なら、決まりね。お裾分けも狙ってたんでしょ?どうせなら博士の台所でうちの分もさばいて、必要な分だけ持ち帰りなさいよ」
「哀ちゃん、お見通しって感じだね……」
「さあみんな、そろそろ道具をしまって帰り支度をした方がよさそうだぞ!迎えの船が来たようだ!」
「ホントだー!」

 時計を見ると、もう日の入りまで数十分といった時刻だった。
 江尻さんの目線の先を見ると、釣り場まで送ってくれた時と同じ船が再び近づいていた。その船の先頭に博士がいるはず、と歩美ちゃん、元太君、光彦君が船に向かい声を張り上げる。

「博士〜!!」
「大量だぞー!!」

「……?」

 船の舳先に立っているだろう阿笠博士のシルエットに、明らかな違和感があった。博士にしてはなんだか細長すぎるような……
 子供達もそれに気付き始め、船が近づくにつれ、張り上げていた声は弱まっていった。

「は」

「か」

「せ……?」

「いや沖矢さんじゃん!!」

両手をジーンズのポケットに突っ込んだ沖矢さんが、揺れていないはずがない漁船の舳先で立っていた。
……博士、クレーム対応中だな。

「ええっ!?博士来られなくなった!?」
「ああ、博士が作って近所の方達に配った、自動ハムエッグ作り機の調子が悪くて、苦情が殺到しているらしくてね……すぐに修理できると思ったけど、かなりかかりそうだから君達の迎えを僕が頼まれたんだよ」
「へー……」
「あー、こないだ勧められて断ったアレ……やっぱり」

「さあ、おしゃべりは船に乗ってからだ!早くしねぇと日が暮れちまうぞ!」
「はーい!」

「足元気を付けて……」
「うん!」
「……あれ、ということは」

 哀ちゃんが長靴で滑り、倒れそうになるところを沖矢さんが抱き支える。そのまま船の上で下したところで、少し面倒なことに気付いた。
 沖矢さんの車に子供達が乗って、行きと同様に人数オーバーになる。博士はしばらく家から出られない……私は後でまた来てもらわないとダメそうね。

「綾瀬さん、早く」
「え?ああ……別に転んだりしないのに」

 船と船着き場の間で立つ沖矢さんに手を差し出される。苦笑いを浮かべながらその手を掴み、沖矢さんに引っ張られて船の上に立った。

「……莉乃さん、昴さんと仲悪かったんじゃなかったの?」
「ん?仲良くないだけだよ」

 沖矢さんと船に同乗した井田さんが船のロープをボラードから外し、ここで江尻さんと別れることになった。子供たちは自分で釣った魚が入ったバケツに顔を覗かせるが、その顔は迎えの船が来る前と一転し、がっかりとしたものになっていた。

「こんなに釣ったのに食べられないなんて……」
「博士、忙しそうだもんね……」

「何なら僕がさばいてあげようか?」
「……え?」
「お前、料理できんのかよ!?」
「ああ多少は……一流の板前さんとまではいかないが……家庭料理くらいなら」
「え!?ホントですか!?」
「昴のお兄さんありがとう!!」
「……」

 沖矢さんは子供達の目線に合わせて前かがみになる。彼らと話しているはずなのに、目線は明らかにその後ろにいる私に向いている。
 沖矢さん、子供越しに私に“さばき方を教えて下さい”って訴えないで……もう、しょうがないな、その内教えないといけないしね。

「あれ、何だろ?」
「ああ……ありゃー一角岩だ!」

 歩美ちゃんが夕陽の下に岩を見つける。井田さんの話によると、子供を人間に連れていかれて怒った一角龍とかいう海龍が、海面に角を出すことで威嚇をし、近づく漁船を沈めてしまう伝説、らしい。
 まあ、たいてい人間が原因な伝説って多いよねえ。あ、八岐大蛇はそうでもなかったかな?
 近づく漁船は沈めるけど、子供は例外らしく、むしろご利益が得られるとか。それを聞いた子供達は喜び、早速、一角岩に船を寄せることになった。
 途中、3人組の男性が乗った船と遭遇した。なんでもこの辺で潜り始めたダイバーで、漁師を悩ませているらしい。

「まあ、それに引替えこの一角岩は子供達の岩!思う存分楽しんでくれ!」
「「「はーい!!」」」

 井田さんがちょうどいい岩にロープを結んでいる間に、7人で一角岩に近づく。夕陽に照らされた一角岩と海辺を見て、目をきらきらと輝かせた歩美ちゃんが夕陽をバッグに写真を撮ることを提案した。早速子供達を撮るためにデジカメを起動しようとした……が、

「おい姉ちゃん、カメラ使わねえのかよ?」
「ごめん無理そう……」

 元太君にデジカメを出すように促されるものの、釣りをしている時に写真と動画をずっと撮っていたせいで、カメラの電源が全く入らなくなっていた。スマホのバッテリーも、昨日充電をし忘れた残り僅かだ。

「じゃあ、僕の携帯で撮りましょうか?」
「おう、任せたぜ!」
「沖矢さんありがと、あとでデータちょうだいね」
「みんな並んで、並んで!」

 私のデジカメの代わりに、沖矢さんのスマホで撮ってもらうことになった。子供達の隣で屈んで、沖矢さんの携帯からシャッター音が鳴ることを待つ。

「ん?」

 沖矢さんはなぜか構えたばかりのスマホを下ろし、子供達……哀ちゃんに近づく。やがて前かがみになり、顔まで近づけるものだから哀ちゃんは戸惑いを強く現した。

「君の後ろの岩……何か文字が……」
「え……」
「サバ、コイ、タイ、ヒラメ?」

 沖矢さんが近づいたのは、哀ちゃんの背後の岩に、魚の名前が掘られているのをカメラ越しに見つけたからだった。
 その後、元太君が岩の間に挟まったフィンを見つける。コナン君が何か考えるように顎に指を添え、思い立ったのか岩の裏側へと駆け出した。
 慌ててコナン君を追いかけると、そこにはウェットスーツを着た女性が青白い顔で座り込んでいた。

「どうしたんだその人?」
「寝てるんですか?」
「いや……」
「……え?」
「もう死んでるよ」

「……」

 目の前にいるのが遺体だと知った瞬間、今まで感じたことのない悪寒が襲ってきた。

「え――莉乃さん!?」

 踵を返し、来た道へと急いで戻る。船を見ている井田さんに声を掛けられた気がしたけど無視し、一角岩の外周を行けるところまで走り、足場がなくなったところで立ち止まる。

「どうしたんでしょう、莉乃お姉さん……」
「すみませんが、綾瀬さん本物の死体を見たことは」
「多分、あの様子じゃあ、これが初めてね」

 膝をぼこぼこした地面に着け、前かがみになり耐え難い不快感を吐き出そうとする口を必死に抑える。遭ったことのない環境に突然遭遇したことで動揺し、吐き気に耐えることで精いっぱいで、誰かの腕時計が近くに落ちていることに気付かなかった。
 ……そうだった。液晶だと、臭いなんか分かんないもんね。体感もしてないんだから。



「見ての通り、この女は口紅を塗っているのにレギュレーターにはそれがない……ってことは、この女が死んだ頃合いを見計らって、ここに来てレギュレーターをスリ替え、そのままズラかった輩がいるってことだ……」

「ただいま……」
「莉乃さん、もう大丈夫なの?」
「あんまり大丈夫じゃない……あ、これさっき向こうで見つけた。なんかところどころ傷付いてたけど……」
「!ああ、ありがと……」

 吐き気が一旦落ち着いたところで、遺体がある場所に嫌だったけど戻ると、コナン君達が連絡しただろう刑事が現場に到着していた。
 心配してくれたコナン君に対して首を横に振り、さっき拾った腕時計をコナン君に渡す。コナン君は女性の遺体とその腕時計を見比べ、私に何故か礼を言って沖矢さんと刑事の元へと向かった。私はやっぱり気分が優れなくて、すぐそばにある岩に寄りかかった。
 ……数メートル先には、女性の遺体。コナン君、何か気付いたみたいだけどそんなこと考えてる場合じゃない。水が飲みたいのに、目の前には大量の海水しかない。

「まさかここに死体があるって知ってて来たんじゃねえだろーな?」
「知るわけないよ!ここに来た時誰かいるかもとは思ったけど……」
「岩に刺されたフィン……ここの反対側の岩の裂け目に、ダイビングで足に付けるフィンが刺さっていました。きっとそのボウヤはあれを見てそう思ったんでしょう」

 岩に刺されたフィンには何も書いていなかった。しかし少なくとも、フィンは持ち主が一角岩にいるというメッセージではないかとコナン君達は推測している。そしてそれに光彦君が続く。

「書いてあるっていえば、そのフィンのそばの岩にも書いてありましたよね?」
「うん!お魚さんの名前!」
「確か……サバと」
「コイと」
「タイと」
「ヒラメだったわね」
「しかし何なんだ?そのタイやヒラメの文字は……」
「ダイイングメッセージなんじゃない?」
「え?」
「ホラ見てよ、この女の人の左腕、時計の日焼け跡があるでしょ?その時計の跡とピッタリ合うダイバーズウォッチをさっき莉乃さんが見つけたんだ!」
「なるほど……その削れた幅と魚の文字の太さが一致したから、この女性が死ぬ前に残したダイイングメッセージだと思ったわけね」
「ああ……」

 程なくして、女性を知る人物――一角岩に向かう際に見かけた船に乗っていた男性3人が船を岩場に寄せて現れた。
 女性の名前は赤嶺光里、金融会社社長の一人娘。3日前の昼に彼らと4人でダイビングに来ていたが、3日前から行方不明になっていた。携帯に彼女からメールが届いたことと、以前も彼女が同じようにいなくなったことから捜索願を出して、何事もなかったかのように戻ってきた彼女に酷く責められた為、捜索願を出さなかったらしい。

「ところで開田さん、あんたその目どうしたんだ?」
「昨夜こいつに殴られたんだよ……放っとけって言ったらよ、“万が一の事になったらどーすんだ”ってな!」
「んじゃ、大戸さんのそのマスクは?」
「体調が悪い時にお嬢様に無理やり潜らされて風邪ひいて、それが長引いているんスよ!まあ今は構わず潜ってますけどね……」
「ちなみに青里さんの唇の下……怪我でもしたのか?」
「ニキビですよ……昨夜、ネットカフェで頬杖つきながらネットサーフィンしてたら、ニキビを潰しちまって……」

「……ごめん、やっぱりちょっと休む」
「付き添いましょうか?」
「いや、推理頑張って……」

 やっぱり、遺体の傍にいるのは快く思えない。沖矢さんの付添を断り、遺体を横切りって一角岩の奥へゆっくりと向かった。

「う゛ー……」

 岩に座り込み、うなだれること数十分。
 現時点で、あの3人が容疑者らしい。なぜか3人とも顔の一部を何かで覆って見えないようにしている。でも、その中で違和感があった人が1人いた。
 ネットカフェで頬杖……それと唇の右下の潰れたニキビ。現場に来てからの動作からして、青里さんは右利き。ネットカフェのPCは大体デスクトップ。ノートPCみたいにタッチパネル式のマウスはない。マウスも右側固定のはず、店側で抜かれないようにしてるから、左側には持っていけない。右手でマウスを操作しないといけないのに、右下のニキビを潰したということは、右手で頬杖をついたと言った。
 それに、昨晩ニキビを潰したって言ってた割に、絆創膏のガーゼ部分が綺麗すぎた。一度絆創膏を張り直してる?とっくに血も膿も乾いてるんだから、また付ける必要はないのに……何か隠したいものがそこにあるの?
 青里とかいう人の証言はところどころしっくりこなかった。何か嘘を吐いてるんだろうけど、今は……

「どうでもいー……」

 ちょっと考えるの止めよう、もう少しして落ち着いてきたら、コナン君と合流して認識が合ってるか確認しよう。そう思った矢先に、ポケットに入れていたスマホが鳴り出した。ラインで誰かがメッセージを送ってきたみたいだ。

「……沖矢さん」

【さば
 こい
 たい
 ひらめ

 何か心当たりはありますか?】

「もう、こっちは考えたくないのに……!」

【気分悪い時に協力を仰がないで下さい。というかそれくらい漢字で書けるでしょ!】

「……はあ」



「夕陽、だいぶ沈んできたなあ……」

 先月はこの時間真っ暗だったのに。横浜のイルミネーション綺麗だった……ああだめ、またこないだの沖矢さんとのことを思い出してる。

「そろそろ行かないと……」

 岩場から立ち上がり、元いた場所へと戻っていった。

「――会ってねぇわけねーんだよ。後で見つかった義郎の救助用レギュレーターにお嬢様の口紅が……ベットリ付いていたんだからな」
「じゃあ何でお嬢様はあんな事を!?」
「あの女はとにかく早く陸に戻って暖けぇベッドで眠りたかったんだよ!義郎が死のうが死ぬまいがお構いなしにな!」

 現場が見える手前まで戻ると、青里さんが一緒に船に乗っていた2人に対してなにかを語っているところだった。どうやら既に推理は済んだらしい、この口振りだと、青里さんが犯人と特定されたみたいだ。
 青里さんは現場にいる全員にそれらしい動機を自供しながら、1歩ずつ後ろに下がる。後ろ向きのまま、私がいる方向の足場へと足を向ける。

 ……え?
 青里さんの後ろに回っている右手に気づいてしまい、私はコナン君達の元へすぐに戻ることが出来なかった。

「だからあの女を、この一角岩に置き去りにしたんだよ……」

 なんで青里さん、ナイフなんか隠し持ってるの。右手で握られたそれに気を取られ、青里さんが私の肩に左腕を伸ばしていることに気付くのが遅れた。

「っ!?」
「まあ、お前らにも同じ目に遭ってもらうがな!!」
「莉乃さん!?」

 青里さんに肩を掴まれ、現場に無理やり引っ張り出される。逆手で握られたナイフが私の首へと宛がわれた。

「周平!バカなマネはよせ!!」
「フン!心配するな……俺が高飛びするまでの時間稼ぎだ!しばらくここにいてもらうぜ!
 おい、刑事!警察の船に乗ってる仲間に言え!俺らのクルーザーで話を聞きながら帰るから……お前らは先に戻れって!
 そして警察の船が見えなくなったら……漁師!この岩に繋いでいるあんたの船のロープを切って船を流してもらおうか!漁師の船も見えなくなったら俺はこの女を連れて……クルーザーでトンズラってわけよ!」

「ひっ……!」
「オイ動くな!」

 首に一瞬走る鋭い痛み。首に宛がわれたナイフのエッジが一瞬当たったみたいだった。
 目の前には遺体、背後には犯人。遺体を見つけてから吐きそうで吐きそうで、何度も現場から離れたのに。早くこの場から立ち去りたいのに動くなって、そんなの無理。

「0.12%……」
「何!?」
「犯罪者が高飛びに成功した確率ですよ、約10,000人に1人の割合だ。
 だが……悪魔の加護を受けたその者達の中から、正体を隠して何かに怯えながら暮らし続けることに疲れ果て……自首した者や自殺した者を除外すれば、成功者といえるのは限りなく無に等しい」
「……」

 前触れもなく、沖矢さんは高飛びのリスクについて青里さんに語る。そして、ざり、と岩と革靴が擦れる音を立て、沖矢さんはゆっくりと青里さんに近づいていく。話に耳を傾けてしまった青里さんの両手は、次第に震えていった。
 ……沖矢さんが犯人に近づくだけで、何もしないはずない。沖矢さんに向かって小さく頷くと、沖矢さんは不敵な笑みを作った。

「果たしてあなたはその孤独感とプレッシャーに……耐え切ることが出来るかな?」
「う……うるせェ!!」
「!」

 取り乱した青里さんはナイフを私の首から離し、沖矢さんに振りかざしたことを見逃さない。力が弱くなった片腕だけなら、私でもなんとか振り払える……!
 激しい音を立て、ナイフが沖矢さんの腕にぶつかったと思いきや、沖矢さんは左腕1本でナイフを制圧する。弧を描き、海に着水したナイフを青里さんが呆然と見ている隙に、私は両手で左腕を振り払う。足場を強く蹴り、こちらに近づく沖矢さんに向かって手をめいっぱい伸ばした。
 沖矢さんは私の手を掴むと、私の体諸共引き寄せる。空いた手は腰へ伸ばされ、全身の重みを沖矢さんに受け止めさせた。

「綾瀬さん、体調はどうですか?」
「……最悪です」

「んじゃまあ……署まで高飛びしてもらおうか」
「は……はい」

 刑事の手によって、打つ手がなくなった青里さんの両手にはあっさりと手錠が掛けられた。
 よかった、これでやっと、工藤邸に帰れ……――

「綾瀬さん……」
「……」
「オイ、姉ちゃん!?」



「――……」
「江戸川君!莉乃さん起きたわよ!」

 目が覚めると、心配そうな顔を浮かべる哀ちゃんが視界を埋め尽くそうとしていた。それに、哀ちゃんの後ろには自分の寝室の天井……帰って、きたんだ。

「ゴメン、ちょっと状況が……」
「気絶したのよ。多分、遺体を見たのと人質になったことで、過度の緊張状態になったからね……もう起きれる?」
「うん、大丈夫」
「莉乃さん、ちょっといーい?」

 ベッドから起き上がると、哀ちゃんに呼ばれたコナン君が部屋に入ってきた。
 私の服の袖を引っ張るから、私は自分の頭をコナン君の方へ傾かせる。コナン君は顔を耳に寄せ、哀ちゃんに聞こえないように口を手で覆った。

「あとで昴さんにお礼言ってあげてね」
「……うん」

 そう、なんだよね。ここまで運べるのって沖矢さんしかいないもんね。気絶したんだから……
 そういえば、ここにいるときも貧血で1回倒れたなあ。あの時も気付いたらベッドに入ってたけど、どうやってベッドに戻ったんだろう。

“介抱までしたというのに――”

 あ……今頃気付いた。あれって、ベッドに運んだこと言ってたんだ。

「魚、さばくんだったよね。今から博士の家に行こうか」
「まあ、疲れてるでしょうし、用事が済んだら早く寝なさいね」
「7歳も早く寝なさい……」

「綾瀬さん、もう平気ですか?」
「沖矢さん」
「子供たちが釣った魚、鱗は取っておきました。後はさばくだけですよ」
「ああ、ありがと……」

 先に博士の家に来ていた沖矢さんに迎えられ、台所まで連れてかれる。工藤邸から持ってきたエプロンに袖を通し、クロダイが乗ったまな板の前に立った。
 やり方は分かってる。ただ、あんまり買った魚をさばかないから久々で緊張する。
 内臓を取ろうと、クロダイのエラに左手の指を押し込む。その隙間に包丁を差し込もうとした時だった。

“オイ動くな!”

「!!」

 いつの間にか、手から包丁が離れていた。それに気づくのに少し遅れて、誤って切りそうになっていた左手を慌ててエラから引き抜いた。

「綾瀬さん」
「ご、ごめんなさい。なんか手に力、入らなくて……も、もう少ししたら落ち着くから」

 震えを押さえようと右手を左手で覆ってみる……さっきまでなんともなかったのに、震えていた。
 ……違う、さっき犯人にあてがわれたのはこんな包丁じゃなかった。あてがった対象も魚じゃない。
今の状況と何も紐づかないんだから、勝手に思い出さないで……!

「綾瀬さん、少しいいですか?」
「……」
「あの犯人だって、脅してはいましたが本当に刺すつもりはなかったはずですよ。人質を刺してしまっては、人質の意味がなくなってしまいます。それに彼は、君を刺さない、というより刺せなかったかと」
「どうして」
「それが出来ていたら、遺体はもっと悲惨な状態で発見されていたはずですよ。君が吐き気を催すよりも酷い状態で」
「……」
「今のは、気休め程度に思って構いません。今日のことを忘れろとは言いませんが、どうかやり過ごして下さい」

「……沖矢さん」
「はい」
「どさくさに紛れて手を握らないで」
「おや、バレてしまいましたか」
「バレないはずないでしょ……あと、今日助けてくれてありがと」
「こちらこそ、暴れないでいてくれて助かりました」
「さばき方、私が説明するから沖矢さんがやって?内臓取るところからね」
「了解」

 沖矢さんの両手が私から離れていく。そして沖矢さんが私に代わってまな板の前に立ち、包丁を左手で握った。

 この時はまだ知らない。
 また、沖矢さんに助けられたとしても、それはお礼なんて言えるものではないことを。
++++++++++
刃物は誰だって怖いもの。(空/中ブラン/コ)

なお、これでまだくっついていない模様。
微妙な距離感だけど、何か考えて動いてるのは分かってるから、ある種の信用は出来るようになったらしい。
成長したなあ。。。

↓↓指示される昴さん

『えらの付け根に包丁を入れて』
「了解」
『ちょうど腹まで切ったら、尾びれにかけて包丁を抜いて』
「了解・・・内臓抜けました」
『あと、エラと浮袋がある方・・・』
「綾瀬さん、内臓は平気なんですね」
『食べる為だから(真顔)』

++++++++++
こんなこと言ってますが、しばらく昴さんに刃物必要な作業はやってもらいます。
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