今日はいつもに比べ比較的早めに家を出る、そんなこんなでもう既にわたしは2年生。
わたしがこんなに急いでいるのにはとある理由があった。
狛枝先輩と同学年の先輩が、わざわざこのわたしと話したいことがあるらしく朝早くから呼び出してきたのだ。
その彼の名は松田夜助、『超高校級の神経学者』である。
彼の研究室はわたしの研究室から大分遠くにあるので、広い希望ヶ峰学園をこうして走っているというわけだ。

そうして松田先輩の研究室、扉を空けるが人の気配は見えず。
確かに、この時間に来いと言われたのだが…肝心の先輩がいないではないか。
仕方がないので研究室の椅子に座り窓辺を覗く。
そういえば、最近は予備学科の『パレード』がよく響くなあ…。
狛枝先輩は彼らを嫌悪しているみたいだけど、わたしにとっては別に関わりも何もない存在だし、別にどうこうしようというつもりもない。
ただ、彼らの学費がわたし達本科生に使われているという事実は痛いほど知っている。
だからこそ、あのパレードを見るたびに胸が締め付けられるのだ。
わたしだって、この化学者という才能が無ければあそこにいた可能性だってあるのだから。

「…おい」
「へっ!あ、えっと…どちらさまで…?」
「松田だ、勝手に人の椅子座ってんじゃねぇよアホ」
「な、…」

なんて傲慢な人なんだろう!
これが噂に聞く松田先輩、こんなの人にものを頼む態度じゃない…。
しんみりしていた気分も吹っ飛んだのはいいことだけど、それとこれとはわけが違う。

「お前を呼んだのは他でもないその才能だ」
「…知ってますけど」
「なら話は早い、俺が手術した患者の記憶を回復させたいんだ。その為の薬を作れ」
「は、はあ……!?」

ていうか、そんなの自分でやればいいじゃないですか!
流石に先輩なのでそう強気になれるわけもなく、わたしに残されたのはその詳細を聞くことだけだった。
本当に、絶対自分でやった方が効率いいと思うんですけど。

「別に言うことはそれだけだ、目障りだからとっとと消えろ」
「はぁい……!?なんなんですか一体!」
「だから言っただろ、薬を作るだけだ以上」

それだけ言って、松田先輩は帰ってしまった。
わけもわからずぼーっとしていると、研究室に女の子が入ってきた。
江ノ島盾子、わたしのクラスメイトである。

「あ、あれ…江ノ島さん?」
「ん…汐海!?アンタなんでこんなところに…」
「いやそれはわたしの質問なんだけど…よりにもよってこんなところに江ノ島さんが来るなんて」

だって、ここは松田先輩の研究室。
神経学者の松田先輩と江ノ島さんが関係あるはずもないし、こんな陰気臭い場所に江ノ島さんが好き好んで来るとも思えない。
すると江ノ島さんはわざとらしく、用事があると言ってどこかへ言ってしまった。
…なんだったんだろう。

結局、その日江ノ島さんは学校を休んだ。
それから数日が経過する。
わたしはあのままでは納得もいかず、松田先輩に何度か話を聞きにいくことが多々あった。
最初は本当に何も話してくれなかったけれど、わたしのしつこさも功を奏したのか少しずつ手がかりを聞くことができた。
つまるところ、要約してしまえば薬を作るということ。
ただしこれはいくら『超高校級の化学者』と呼ばれるわたしだとしても数日で終わってしまうような簡単なものではない。
果てしない徒労と、強運が必要だった。

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松田先輩から頼まれ事をして早十数日が経過した。
やると決めてしまえば後はやるしかない。
わたしは化学者としての自分の才能を愛しているし、必要な徒労ならいくらでも払えると自負している。
授業は出ていなくても大体平気だろう、3日前に石丸くんが覗きに来たが事情を説明したら渋々承諾してくれた。
というわけでもう何十時間もひたすら作業を繰り返しているのだが、一向に解決の糸口は見つかりそうにない。
流石にもう何日もロクに寝ていないし、疲れも溜まっていたので休憩しようとしたところに…狛枝先輩がやってきたのだ。

「やあ汐海さん、それは新しい実験?」
「あ、狛枝先輩」

訪れた恋人の狛枝先輩にだけ、松田先輩の話をした。
この時わたしは、狛枝先輩と久しぶりに会えた喜びに浸っていたから全く気づかなかったのだ。
わたしの研究室の外に、誰かがいたことなんて気づくはずがなかった。
後から考えてみれば、このとき相手が狛枝先輩だろうと…他の誰かが聴いてるかもしれないことすら考慮にいれなければいけないぐらい、この研究は秘密裏に行わなければならないものだったのだ。

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そして事件は起こってしまった。
ある日を境に、江ノ島さんと戦刃さんが学校へ来なくなったのだ。
この二人は実の姉妹であるし、なんだかんだでサボることも多いので最初は気にもしていなかった。
しかし、それが1週間以上続いたらどうだろうか、流石に不安を感じるのは当然の反応だろう。
そして、不吉なことはさらに続けて起こったのだ。
わたしの、研究室の薬品サンプルが盗まれたのだ。
あれはまだ未完成品だ、下手に使ったら何が起こるかなんてわたしにもわからない。
しかもそれを盗んだということは、この間のわたしと狛枝先輩の会話を聞いていた可能性が非常に高い。
これを知っているのはわたしと狛枝先輩、そして松田先輩の3人しかいないのだから…そして張本人の松田先輩が言うはずなんて全く考えられない。
とにかく、そのことを松田先輩に話さなければならないのでわたしは松田先輩の研究室へと向かったのだ。
彼の研究室はいつも閑散としていて、松田先輩以外の人間が立ち入りしているところなんてほとんど見たことが無い。
だが今日はどうだろうか、あの意地悪で性の曲がった松田先輩が心なしか嬉しそうに会話をしているのだ。
その会話相手はきれいな赤のロングヘアーをした希望ヶ峰学園の生徒だった。
どこか見覚えのある、魅力的な女性だ。

「あ、あの…」
「……なんだ、お前か」
「えっ松田くんの知り合い?誰々!私はね…えっと……そう、音無涼子って言うらしいんだ!」

音無涼子と名乗ったその少女は、何故か自分の名前を断言しなかった。
そして、彼女の頭に付けられた装置を見てわたしは確信する。
彼女こそが、松田先輩の言っていた「記憶を失くした少女」なのだろう。
『超高校級の神経学者』である松田先輩が、わたしに頼んできたのはこの少女のためなのだろう。
そう思うと、なんだか少しだけあの松田先輩が可愛く思えた。
とか、そんなこと言ってる場合ではなかったのだ!

「ま、松田先輩大変なんです…あ、あの!」
「ああ…例の件だろ、あれはもういい」
「は…、えっと先輩…そうじゃなくてあれが悪用されたら大変っていう話をしたいんです、けど」

松田先輩はそう言って、扉を閉める。
奥から音無さんの声が聞こえるが、わたしにはいろいろ理解が追いつかない。
まず江ノ島さんと戦刃さんがもう何日も帰っていないし、わたしの薬は盗まれるし、突然の音無さんという存在。
どうして彼女は今まで松田先輩の研究室にいなかったのだろうか。
だって松田先輩が診るのならずっとそこにいるか、またはずっと別の場所にいれば良いのに。
まあ…松田先輩は結局わたしを散々とこき使った挙句にいらないと言うんだから、別に関わる必要はないのだが。
どうも、嫌な予感がする。
まずわたしに出来ることは、薬の在り方を探すことだ。


人は皆、賢く愚かである(3)


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08/10
ゼロ!みなさんゼロ読みましょ!!


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