六
「翔くぅん、待ってたのよぉ」
まるでデジャヴに陥ったかの様だが、勿論此れは大五郎の声なんかじゃねぇ。彼女は、俺をこの店で雇ってくれているマスターだ。
「さ、早く着替えて着替えて。貴方を待ってるコ達が居るのよぉ」
背中を押され言われるがままに、今日も俺の仕事が始まるのだ。
「神(かみ)様の、お成ぁりぃ」
俺がカウンターに立つと、マスターは何時もの様にそう言った。
客も其れを知っていて、俺を出迎えてくれる。この店の客は八割が女だ。大体が数人で連れ立ってやって来る。初めは一人で居た女も、何時の間にか何処かのグループに仲間入りして、其の輪の人間と同じ系統に染まっていく。そいつを染め上げた原因が、酒か、雰囲気か、他の何かなのかは知らねぇが。
俺は大人に成りきれてねぇのか、酒臭ぇのも煙草臭ぇのも本当は苦手だ。序でに、五月蝿ぇのも苦手だ。だが、そいつらが其れで楽しんでんなら、俺には止める権利は無ぇんだろうからな。文句一つも言わずに、終始笑顔を作るだけだ。
……其れが、俺の仕事。俺がほんの少しの事を我慢するだけで、客は歓び、盛り上がってくれる。その点では、昼間のバイトよりは気がラクだ。……貰えるもんも多いしな。
くだらない騒ぎは遅くまで続き、閉店は朝の五時前だった。一人酒に潰れちまった女が居て、そいつの目覚めを待ってたみてぇなもんだが、マスターにも流石に限界が来たみてぇだ。
「このコ、歩けなくなっちゃったみたいなんだわぁ。神様ちょっと付いててくれない? 何なら、お姫様だっこしてあげても良いのよぉ」
「……ええ」
そこまではしなくても良さそうだったが、俺は覚束ない足取りの女を支えながら路地を歩く事になった。未だ辺りは暗く、人通りが無いのが幸いだ。
「お車、何処に停められました? 代行の方が来るまで僕も付き添いますから」
女は其れには答えずに、吐息だけで応えた。よろめきながら必要以上に身体を寄せて来る。そして一言、「帰りたくない」と呟いた。正直、拘束時間を終えた後のこういうのは、面倒臭ぇもんでしかない。
「ねぇ、私ね……もしかすると、本気なのかも知れないの」
「何が、でしょうか」
「もう! さっき隣に来てくれた時に耳打ちしたじゃない」
……ああ、思い出した。この女、過去だの将来だのと、しつこく俺に質問攻めしてきた奴だった。
冗談、自己管理の出来ねぇ女には、身体だけならまだしも、大事なもんまで預ける訳にはいかねぇだろ。
「申し訳ないのですが。僕は、貴女に思って頂けている様な、出来た人間ではないですよ」
俺は決まってこう返す。本心を偽ったつもりは無い。問題は無ぇだろ? こっから先は仕事じゃあ無ぇんだからよ。
俺は、こんな人間なんだよ。
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