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 馬車に揺られると、蹄が土を蹴る律動が心地よくて、思わず欠伸が出てしまう。しかし、エルスはとても眠る気にはなれなかった。
 隣に腰掛けるのは物静かな女性だった。彼女は顔を隠すように深く頭巾を被っているので、表情が読み取りにくい。最初にエルスが握手を求めても、「宜しく」と短く一言頭を下げるだけで、応じてくれなかった。しかし口元は微笑んでいるように見えた。
 馭者が彼女を紹介する時には、「高貴な方だから、くれぐれも粗相の無いように」と言っていたので、エルスはなるべく口を噤むようにしていた。ユシライヤは元々自ら他人と関わろうとはしないし、エニシスもそうだろう。ターニャはそれに倣うように黙していた。
 目的地までの道程は長いものだった。日覆いを僅かに開けた隙間から覗く景色を見つめながら、それまでの時間を過ごしていた。

「もうすぐヴェルムに到着するよ」

 と、馭者の男性が言った。

 ベルダートから隣国フリージアへ向かうまでには、トアの村から北東の方角に位置する国境の街ヴェルムが通過点に有る。トアからヴェルムへは、王都からトアまでのおよそ数倍の距離がある。
 それを聞いたエルスは疲弊した顔付きを見せた。尤も、天上界へは更に距離がある訳なのだが、彼が真に理解しているのかは定かでない。人間一人がほんの小さな存在に思える程に、世界は広すぎる。

 馬車に乗りたいと提案したのはエルスだった。必要な物を買いに四人でトアの村中を回っていた時、偶然にも馬車が通っているのを見掛けた。以前、シェルグが何処からかそれに乗って帰ってきたのを見た時から、馬車への憧れがあった。

「かっこいいよな! ターニャもエニシスも、乗ってみたいと思うだろ?」

 名指しされた二人は、エルスの勢いに乗せられて頷いた。森の中を彷徨ったせいか、思っていた以上に彼らは疲労していた。長距離を歩くよりは馬車に身を隠した方が都合も良いだろうし、ユシライヤには彼の些細な願いを叶えてやりたい気持ちもあった。

「そりゃあ、かっこいいですけど。正直に言いますが、手持ちに余裕が有りません」

 旅に必要な財源はユシライヤの財布から工面されてきた。王都に戻れば給金を受け取れるが、黙って出てきた身、身柄を拘束されて終いだ。実のところ、ユシライヤもエルスの言ったように、天上人であるターニャの力でどうにか出来ると思い込んでいた節がある。だから、ろくに準備をしなかった。

「ただ……彼らの要望を叶えれば、無償で乗せてくれるかもしれません」

 ユシライヤがそう言ったので、エルスはすぐさま条件をのむ事を決めたのだ。その条件が何であるか、わからないまま。

 馬鞭を握る男性は、いわば依頼人でもある。彼は既に女性を一人乗せていたが、偶然にも彼女の目的地こそヴェルムであった。彼女の方から相乗りにしましょうと提案されて、一行は承諾したのだ。

 馬車は山道を進んでいた。慣れない気圧の変化で耳が塞がれてしまう感覚にエルスは辟易していたが、下りの道が続いているので、そろそろその苦痛とも別れの時が来るだろう。馭者の言うように、もうヴェルムの近くまで来ているのだと想像する。
 そう思った矢先。
 突如、馬の嘶きと共に、馬車は均衡を崩した。石にでも躓いたのかという想像は、次いで聞こえてきた馭者の男性の悲鳴で、悪い意味で打ち砕かれた。何の指示も出されないまま、馬車は動きを止めてしまった。
 様子を見ようと、端に座っていたユシライヤが視線を外に移した。すると、馭者は馬車を降りてしまっている。酷く怯えた様子だ。誰かに刃物のような物で脅されているように見えた。


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