118

 静かな進行だ。取り決めた訳でもないが、誰もが口を噤み歩いている。金砂の上には、辿ってきた足跡が描かれては、風に吹かれて消えていく。
 日も落ちて冷え込んできた頃、ようやくファンネルが休憩を促した。

 かつてのヴァストークに倣って、一行は砂地に幕を張る。そして内部には、彼に貰った青石を掲げる。この石を中心とした、ある程度の範囲に魔獣の敵視を引き寄せない作用があるらしく、この辺りでは旅に欠かせない物なのだという。ターニャにはルビの紋章の作用だと判った。マーディンの水汲み場でもそうだったように、イスカの国では紋章の力が日常的に使用されているようだ。
 歩き疲れた脚を伸ばして、エルスは大きな欠伸をした。これだけ眠いと、城の自室でのふかふかの寝台が恋しくなる。重い瞼を擦りながら、横目にユシライヤが幕屋を出ようとしているのが見えた。
 
「どこ行くんだ?」

 エルスが尋ねると、彼女は気まずそうに応えた。

「……ただ、じっとしてられないだけです」

 まるで逃げ場を探すように、視線を泳がせる。

「小娘。そのような状態では紋章の修練など無理だな」

 ファンネルの言葉に、ユシライヤは眼の色を変えた。

「……無理じゃありません」
「紋章の制御は感情の制御だ。その焦りが失態を招く」
「でも、私には時間がないんだ。何も出来ないままなんて……」
「俺の言うことが理解出来ないようだな。今のお前が闇雲に動き回ろうとも、術の会得は不可能だと言っているんだ」
「……じゃあ、どうやって落ち着いたら良いんですか」

 その問いには、ファンネルは何も答えずに、じっと見ていた。俯いたままの彼女の拳が微かに震えている。

「……すみません、やっぱり今は一人にさせてください」

 言い捨てるかのように、ユシライヤは外へ出て行った。心配そうにその背中を追うエルスを、ファンネルが遮った。

* * *

 空を斬るのは、あまりにも手応えが無さすぎた。それでも、何かをしていなければならないという理由で、ユシライヤは剣を振り続ける。ファンネルの言っている意味が解らない訳ではない。ただ、いつ止むか判らない鼓動が、彼女を急き立てる。
 標的の居ない切っ先が、風を受けて空しく鳴いた。

「お前の場合、力の放出よりもいかに抑制できるかが要となる」
「……!」

 己の両腕にのみ意識を集中させていたユシライヤは、背後にファンネルが立っていたことに、気付くのが遅れた。

「レデの紋章は焦燥や悲嘆、憤激といった強い感情によって暴走し易い。六種の紋章の中で随一の威力を持つが、その分扱い辛いという訳だな。先程も言ったが、術を巧みに扱うには冷静でいなければならない。つまりお前の単純な性格が生まれつきの紋章と相性が悪い、絶望的な状況だ。正直お前には期待出来ない」

 黙って聞いていれば、無遠慮に言いくるめられる。ならば何故、彼はあの時、自分に声を掛けたのか。ユシライヤは思わず眉をひそめる。

「この程度のことで動揺するならば先はないぞ。単に紋章術の行使にのみ意識を向けるのが修業ではない」

 彼の瞳から、何故かユシライヤはしばらく目を反らせなかった。心の内をすべて見透かされているような気にさえなったというのに。
 いかにファンネルといえど、彼女に残された時間など計る術は持ち得ない。しかし彼は彼女のすべてを見据えようとしていた。

「……お前の気にしている小僧だが。よもや死んだものだと思っている訳じゃないだろうな」
「え……?」
「死した魂は漏れることなくミルティスに貯蔵される。だがアシュアはあの小僧の魂を未だ感知していない。あの時点でそうしないんだ、恐らく黒装束は小僧を無闇に殺すことはないだろう」
「……助けられるかもしれない、ということですか?」
「確証は無い。だが可能性は皆無でもない」


[ 119/139 ]

[*prev]  [next#]

[mokuji]

[Bookmark]


TOP





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -