119

 その言葉を聞いて、まるで箍が外れたかのように、ユシライヤは声を上げて泣いた。
 ファンネルには理解出来なかった。彼は僅かな可能性を話したに過ぎない。本来なら、余計な感情を排せと言っているところだ。しかし抑制されていたものが溢れ出しているというのに、彼女の紋章はむしろ落ち着き始めている。
 わからない−−だが、自分たちガーディアンとは違う、生きている人間なら、そういうこともあり得るのかもしれない。

 しばらくの間子供のように泣きじゃくっていたユシライヤは、表情を変えずに佇んでいるファンネルを見て、嗚咽を残しながら微かに笑った。

「ファンネル。あなたは私たちのことを、ちゃんと見てくれていたんですね。私なんて……ずっとあなた達を、心の底からは信用しきれないままだったのに……」
「今更、何を言うかと思えば。元よりそんなものを俺は望んでなどいない。お前がどれだけ付いて来られるかだけだ」

* * *

 ファンネルに遮られたその先へ、彼は踏み込まなかった。まるで、自分に出来ることは無いと言われたかのようだったから。
 狭い空間にターニャと二人だけの、気まずい沈黙が支配する。

「エルスさん、先に休んでおいてください。お二人が戻るのを、私が待っていますから」

 ターニャが気遣ったので、エルスは従うことにした。しかし先程あれだけ襲ってきていた睡魔が、いざ横になって目蓋を閉じると、どこかへ行ってしまう。
 結局彼は上体を起こして、青石を見つめながら言った。

「ターニャ。僕は、わからないんだ」

 ファンネルは何故、紋章の制御方法をユシライヤに教え、自分には教えてくれないのだろうか。
 かつて彼は、エルスを『適格者』だと言っていた。反してモニカは『本領を発揮出来ていない』と言った。板挟みの状態のエルスが、自身の紋章に関して何も理解していない。

「いつから……どうして、自分に紋章があるのか、わからない。紋章がなくなって、もし元の生活に戻れるんだとしたら、僕はいつの頃まで戻るのかな」

 ヴァストークがそうであったというように、紋章を宿せば、その時点で身体の成長が止まるのであれば−−

「相手との何の接触も無しに、紋章が宿るとは考えられません。エルスさんの場合は、私と出会う少し前にオルゼの紋章を宿したということになるのだと思いますが……」

 ターニャの示す仮定には、エルスは漠然と思い至っていた。
 疑わしいのは、座学を怠け、従者にも何も言わずに叔父と城の外へ出たあの日のことだ。魔獣と対峙した後の記憶はうやむやで、ユシライヤの説明とも食い違うところがあった。恐らくその時に、自分は死んだと見做された−−それ程までの重傷を負って。他所の目が行き渡らないうちに、オルゼの力によって生き長らえたのかもしれない。エルスはその直後に初めて、紋章の存在に気付いたのだ。
 それでも腑に落ちないのは、その紋章が一体どこから来たのかということだった。

『真実は隠されてきただけだ。お前が生きているという事実はな』

 叔父は何かを知っているようだった。今のエルスは、故郷へ帰るのには後ろめたい感情しか持ち合わせてはいない。だがシェルグには会いたいと思っていた。彼とは話したいことが沢山ある。

「僕は……いつまで僕だったんだろう」

 顔を伏せてしまったエルスの表情は、ターニャには読み取れない。

 何があっても宿主を救う。創始者から言い渡された使命としての目的は、初めてエルスと出会ったその時からずっと、偽りのない感情として、形を変えながらターニャに刻まれ続けている。
 だからこそ、理屈の通らないことを、責任の持てないことを言う訳にはいかなかった。せめて、彼の零した不安を拭い去る為に差し出した手だけは、許されるだろうか。

[ 120/143 ]

[*prev]  [next#]

[mokuji]

[Bookmark]


TOP





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -