通りすがりに猫が笑った
「猫さん」
艶やかな黒いしっぽが目の端をするりと抜けていった。
無類の猫好きと自他共に認められる私がそれを見逃すわけもなく身体を翻して猫の後を追っていく。
黒いしっぽの持ち主は私に気づくと少しだけ足を止めてこちらを向いたがすぐに前をむきトコトコと歩いていった。
人になれているのかもしれない。後ろをついて行っても猫はそのペースを崩すことなく歩を進める。
「どこいくのかなー?」
「君のおウチ?」
「ねーねー、無視は良くないなあ……」
そう何度か喋りかけても我関せずという素知らぬ顔で私の前を歩く猫。
まるで、誘導されているような。……なんて考えすぎだけれど。
猫は一つの場所につく。瓦礫が積まれた、まるで廃墟のような場所だ。
その瓦礫を身軽にひょいひょいと登っていく。
私もそれに続いて足が置けそうな瓦礫に目星をつけて踏んで追っていくと猫は皿に盛り付けてあったごはんを美味しそうに食べていた。
「誰かが飼ってるの?ノラかなぁ?」
お食事中の時に触ると不快だろうと思って近くに座って喋りかける。
先程から猫は私の言葉が聞こえてはいないようだ。全く反応をしない。
これだけ近づいても逃げないのだから飼われて人に慣れている、で確定だろうな。
猫の方を覗き込むように身体をかがめる。
「猫ちゃん、お名前は?」
「……。」
「にゃー、にゃーにゃー?」
「……。」
総無視を食らっている。
はあ、とため息をつき身体を起こすとそこには一人の少年が立っていた。
み、見られていた?!と焦っていたら少年はゆっくりとこちらに歩いてきて瓦礫を踏んでいく。
こんな太陽が燦々と降り注いでいる中なのに真っ白に焼けていない肌。
アッシュグレーのふわふわとした髪は瓦礫をのぼる度に揺れている。
服は学生服で多分、中学生か高校生だと思う。
からり、と石が落ちて猫はやっと皿から顔を上げた。
耳を立てて彼の方に向いている。猫は彼を向いたままゆっくりと瞬きをした。
猫の挨拶だ。じゃあこの餌を置いたのも彼かもしれない。
猫に餌をあげてるし、学生服の中のTシャツはオレンジ色だからきっと陽気で良い子なんだろうな、とちょっとテンションがあがってしまった。
「誰?」
第一声はそれだった。
見事に私の理想を裏切るその言葉。……陽気じゃない。どっちかと言ったらトゲトゲしい。
「そ、それはこっちのセリフでもあるけれどね。」
「僕、渚カヲル。」
「え……あ、私苗字、名前。」
「ここでなにしてンの?」
「あ、猫を、そこの猫を追いかけてたらここに……。」
「ふーん?猫好きなの?」
「可愛いよね、猫。好きだよ。あ、この子、さっき貴方に挨拶してたんだけれど、貴方飼い主?」
「飼い主じゃないよ。僕もこいつもここに居着いてるだけ。挨拶って?」
「こう、ゆっくりと目を閉じるんだよ。」
「へー?」
そういうと彼は猫の方へ身体をかがめてゆっくりと目を閉じた。
「あ、目は開けてね!ゆっくり瞬き。」
「了解。」
目をゆっくり開ける彼。
その目は見とれるほどに綺麗な深紅で。……私、そんなに人付き合いは上手くいかないはずなのに、ペースを崩されて初対面なのにこんなに喋れてる。
彼は身体を起こして私の方を見てきた。
「物知りなんだね、苗字サン。」
「いや、猫が好きで……。」
「こいつ好きに撫でていくといいよ。」
彼はそう言うと、ぽんぽんと猫の頭を撫でて奥にあったピアノの椅子に座る。
その白い指でピアノの蓋を開けて鍵盤をなぞり出す。
ピアノから流れる音はどこか聞き覚えのある曲だったけれど、思い出せはしなかった。
目を閉じて曲を思い出そうとしたんだけれど結局ぽかぽかとしたこの場所の雰囲気に負けちゃってどうでもよくなった。
猫は初めてその鳴き声をあげ、にゃあと言って去っていったが私には猫の言葉なんてわからない。
……きっとそれは一目惚れをしてしまった滑稽な私を笑っていたのかもしれない。
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