思いっきり抱きしめて!
「8/9はハグの日、らしいね。」
「…………え?」
いや、え?っていう気持ち、多分誰でもだと思うんだ。
だって学校にきて早々朝の挨拶も無しにそこまで親しくはない美少年のクラスメイトにこんな事言われたら。
……しかも今日は8/9じゃないし。
普通の月曜日だ。日曜日になにか変なものでも食べたのだろうか。
「おや、聞こえなかったかい?8/9はハグの日、らしいね。」
「一語一句間違えずに言ってもらったところ悪いけれど、それをいう人、間違っていない?」
校内一と言っても間違いはないほどの美形、渚カヲル。
同じクラスにいて彼を見ないという事はないから知っているのだけれど、物腰も柔らかく、癇に障るような性格もしていない。寧ろその逆だ。
だから引く手あまたの彼が、なんの接点もない私を抱きつく相手に選ぶはずもない。
「君、苗字 名前さんだよね?それとも中身は別の誰かとかかな?」
「いや私は私であってるんだけれど……じゃなくて。彼女とかそういった人に言ったほうがいいよって言ってるの。」
「はは、彼女はいないよ。」
にこやかに微笑む彼に私は驚く顔を向けてしまった。
確かに彼が「彼女がいない」といった宣言にも驚いたけれど、じゃあ何で私なんだ、という驚きと戸惑いでそんな顔をしてしまう。
「不思議そうな顔をしているね。さあ、僕についてきて。」
そりゃそんな顔をするでしょう。
ついてきて、と言われたけれど彼は私の手を掴みグイグイと引っ張っていく。
無理矢理すぎる……。
どこに連れて行くのだろうと彼の後頭部をぼんやり眺める。
ふわふわと揺れる白い髪の毛は触ったら綿毛の様に触り心地は柔らかいのだろうか。
「ついたよ。」
「校舎裏になんのようがあるの?」
こんな人気もないような場所で……は?!まさか告白?!
そう気づいた瞬間ドキドキと胸が高鳴る。
……だがその考えもどうやら外れてしまったらしい。
「ヒトは抱き合うとストレスを解消できるらしいね。」
「はい?」
「いや、何かのホルモンやらが分泌されるみたいでね。辛いこととかあった時にはいいそうだよ。」
「すごいアバウト!」
渚くんってなんか話づらい人だと勝手に思ってたけれど、……蓋を開いてみればただの不思議ちゃんだった。
それでどうして私=抱きしめるなんだろう。
「なんで私なの?」
「ああ、それはこの前君が辛そうな顔をしていたからだよ。」
「……。」
いつの話だろう、と記憶をさかのぼってみたけれど人間生きていれば辛くなることなんて沢山あるし、嗚呼あの事かとすぐには思い出せなかった。
渚くんは私が小首をかしげている間に、私との距離を詰めてふわりと抱きしめてきた。
ちょっと、いやかなり驚いたけれど彼の胸板からは心地よい心音が響き、少しいい匂いがしたから私も彼の背中に手をまわしてみる。
ついでにさっき気になっていた髪の毛も襟足部分を触ってみる。うん、ふわふわしてる。
おかしいのかもしれない。ただのクラスメイトなのに抱き合って。
しかも彼は私を不器用に励まそうとしてくれているだけなのに。
暑さでじわりと吹き出してくる汗も気にせずピタリと身体を合わせて。
相手に身を任せてしまっている。
汗が重力に逆らうことなく服にぽたりと落ちる。
……恋に落ちる感覚ってこんな感じなんだろうな、とぼんやりと思っていた。
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