俺はゆっくりと壊れていく飛雄をみていた。
 俺が誰かと電話する度、女の子と遊びに行く度、香水の匂いを纏わせて帰る度、誰ソレと俺が歩いてた、合コンしてた、っていうのを人づてに聞く度、飛雄の青みのかかった目が光を失うのがすごくすごく好みだった。怒るってことを通り越して感情を失ったかのような顔に、すごく興奮した。それだけ飛雄が俺のことが好きなんだって思うと、たまらなかった。しばらくはその顔を見るのを楽しんだ。
 そして、飛雄はある日を境にその顔をしなくなる。むしろ機嫌の良さそうな顔が増えて、女の子とあからさまな電話をしても、甘い香水の匂いを漂わせてもなにも言わなくなった。
 その代わりに、俺がいなくなって家に一人になると、必ずその顔をするようになった。感情を失ったような顔。スタンガンと、睡眠薬。ロープや鎖、手錠にガムテープ。何に、どうやって使うのかわからないけど、着々と“何か”の準備を進める飛雄をみて、笑った。ああ、なんかSMプレイでもするみたい。かわいい。飛雄って形から入るタイプ?隠してるつもりかもしれないけど、丸見えだよ。だって、そこは俺のテリトリーでもある。どうにも出来ない大学とかならともかく、ずぅっと前から全部見られてるのに、それにぜんぜん気づかない飛雄って本当にばかわいい。
 そして、"何か”が実行される日はやってくる。
 俺は、飛雄の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ちらっと時計をみて立ち上がった。
「…また飲み会ですか?」
「んー、そんなとこ」
 適当に答えると、飛雄も、そうですか、といって俺と自分のコーヒーカップを持って立ち上がった。俺はいつもと変わりなく財布を持って玄関に向かう。
 靴を履いていると、ぱたぱたと背後から足音がして、飛雄が追ってきたことを知る。
「及川さん、」
 なに?と声を出そうとした瞬間に、首筋からバチッと激しい音がして、一気に体の感覚がなくなる。
 体が動かなくなる前に振り向いた時に、くらいくらい、底なし沼みたいな飛雄の目が視界に入った。俺を、その目でじっと見下ろしている。ああ、こうやってみるのは久しぶりだなぁ。
 体に遅れてとんだ意識で、やっとだ、と思った。

 次に目を開いたら、そこは見慣れたフローリングだった。足を投げ出すような状態で座らされていて、手は後ろで縛られ、片足には足枷がついていた。鎖はどこかへつながっているようだが、見あたらない。見渡せばお気に入りのラグと一緒に選んで買ったローテーブルが目に入って、ここが自宅だと確信する。
 飛雄はどこだろうと思っていると、じゃらじゃらと金属の音がして、その音にその方を見れば、長い鎖を右手に持った飛雄がどこかだらしなく立っていた。
「おはようございます、及川さん」
 ずっしりした声だった。いろんな物が混ざりに混ざった声。単細胞のお前がそんな声出せたんだね?って笑みがこぼれそうになって、あわてて顔を引き締めて飛雄をにらむ。
「ねえ、飛雄ちゃん、これってどういうつもり?早く解いてくんない?結構きついんだけど」
 がしゃがしゃと足と腕を動かしながら訴えると、飛雄は光のない濁った目をこちらからそらさずに言った。
「どうでもないです。」
 それに続けて、でも、と言い訳するみたいに飛雄はいった。
「ぜんぶ、おいかわさんが悪いんです、」
 こちらからそらされない目はいまいちどこを見ているのか掴みづらい。譫言のように、だっておいかわさんが、と繰り返す飛雄が哀れで、かわいそうで、かわいくて仕方がなかった。
「そっか…。ごめんね」
 謝ると、飛雄は澱んだ目を見開いた。飛雄の目が、確実にこちらを向く。なんで謝るんですか、っていろいろ混ざってた声を震わせて聞いてきて、さすがに心苦しい気持ちになった。
 飛雄は、どんなに悪役になろうとしても最後までなりきれないのだ。なのにそれに気づいていないから、自分は悪役になれるって信じてるところがある。俺は、そうしても最後には上手くいかなくなるってことがわかってるからしない。
 案外に備わっている良心は、飛雄を途中で我に返させる。だからここまでわざと放っておいて、利用した。案外に備わっているその良心が、途中で俺を解放させるのを期待して。我に返った飛雄が、俺を見て罪悪感を抱くように。我に返してくれなくても、飛雄が一生俺だけを見てくれるなら別によかったけど。
「だって、こんなことさせるくらい追いつめてたんでしょ?」
 ぐらっと飛雄の目が揺らぐ。
 ーーーーほら、きた。
「ごめん。飛雄。」
 ダメ押しで言えば、ジャラジャラって結構な音をたてて飛雄は鎖を手から落とした。飛雄の目からぽろっと涙がこぼれ落ちる。そうしてやっと自分が何をやったのか思い至ったかように、顔を真っ青にして自分の手を見つめながら膝から崩れ落ちた。ぽたぽたとフローリングに涙が落ちる。
 飛雄、と声をかけると、飛雄はゆっくりと顔を上げた。
「あ、ごめんなさ、おいか、」
 涙で揺れる飛雄の目に優しく問いかける。
「何で謝るの?悪いのは俺だから。」
 ごめんね、ともう一度言うと、飛雄はぶんぶん顔を横に振った。
「ちが、そうじゃ、な、ごめ」
 言葉がまとまらないらしい飛雄に、おいで、とやさしく声をかける。すると飛雄は素直にこちらへやってきて、俺に抱きついた。俺の胸ですすり泣く飛雄を抱きしめられないことがもどかしくて、手、解いて、とお願いする。すると飛雄はすぐに手に掛けられた拘束を解いた。自由になった両腕で飛雄を抱き込む。強く抱くと、飛雄はさらに泣き出した。
 中学の時から変わらないまんまるの頭。さらさらの黒髪。ずいぶん育ったけど、こうしていると何も変わっていないようにすら錯覚する。
 本当にいとおしいばかなこ。
 言われなくたって、言われたって、俺は離れてなんかいかないのに、自分で自分の首を絞めるなんて。


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