「じゃあ、俺らは帰るけど…鍵は頼むな、スガ」
「おう、頼まれた!」
 澤村の一言に笑って菅原が返すと、それに、悪いな、と澤村は付け足して、部室のドアノブに手をかけた。それに続いて、お疲れさまでした、と声をかけてほかの部員たちが去っていく。その列の最後だった日向と影山が頭を下げてでていったのを菅原は手を振りながら見送る。ぱたん、と音をたててしまった扉に、静かになった部室で菅原は手をおろしてふぅ、とため息をはいた。
 なんとか、ばれなかったみたいだ。



 数日前、菅原は違和感で目が覚めた。差し込んでくる朝日をまぶしいと思いながら、背後に感じる何かを下敷きにしているような感覚に、菅原は寝ぼけ眼で背中に手を回した。そこには寝間着のシャツとシーツの間ににふわりとしたやわらかい感覚があった。
 菅原はベッドにそのようなものを置いた覚えがなかったので、なにを下敷きにしているのかと起きあがって、寝ていたところをみたが、そこにはなにもなかった。
 菅原が首を傾げながら背中に手を回すと、そこにさきほどの感覚があった。あれ?と思いながら、シャツの中に手を入れてそのあたりを探れば、つるりとしているが柔らかいものに手が触れて、慌てて手を引っ込めた。
 それからベッドから跳ね起きると、洗面台にいき、そこでシャツを脱いで鏡で背中を確認した。そこには信じられないものが付いていた。
「は…ね…?」
 真っ白な羽だった。翼、というには菅原の身体を飛ばせるとは到底思えない大きさなので言い過ぎな気もするが、形状は確かにそれだった。意識をそちらへ持っていくと、羽はかすかに上下に動いた。
 それに呆然としていると、母親の、起きてるなら早くご飯食べなさい、という声がリビングの方から響いてきた。それに菅原はハッと我に返ると、先ほどまで着ていたシャツをもう一度着て、リビングへ向かった。いつも通りの母親に、自分もいつも通りを心がけておはようと言って、気もそぞろに朝食を取った。まさか、自分の背中に羽が生えたことなど言えるはずもなかった。
 朝食を食べ終え、自分の部屋に戻った菅原は、着替えようとして、再び羽の問題に直面した。ふつうにしてしまった手前、母親は学校を休むことを許してはくれないだろう。しまったな、と自分の行動を後悔しながら、取りあえずいったんは学校に行って、すぐに早退しよう、と考え、制服に腕を通した。

 その日は学校へは行ったが、その考え通りすぐに早退して、次の日は学校を休むことにした。その日で羽が消えてくれることを期待して。
 しかし、背中の羽は消えることはなく、終日その存在を主張していた。突然生えてきたのだから、同じように突然消失してくれないだろうかと淡い希望を抱いていた菅原は、いよいよそれについて真剣に考えなければならなくなった。さすがに三年なのに休み続けるのはマズいし、なにより部活に支障がでる。加えて誰かに相談して解決するようなものでもないと思うし、したらどうなるのかというのは不安なところであった。それに、まさかずっとこのままであるはずもないという妙な確信が菅原にはあった。そう信じていたかっただけかもしれないが。
 だから菅原は休みの間、自室で羽が消えるまでどうやって隠し通すかということについて考えていた。
 そうして菅原が出した結論は、羽を包帯で押さえつけて、できるだけ着替えを見られないようにする、という単純なことだった。一、二年のころに比べれば体育の回数は格段に減っているので、着替えることも少ない。部活の着替えも、早く行くかみんなが着替え終わったぎりぎりを狙っていくか、最悪どこかで着替えれば数日はしのげるだろう。もし見られても、包帯なら怪我をしたように見えるはずだ。なんの怪我だと言われることは請け合いだが、羽がばれるよりはましだろう。それなら先に言葉を考えておけばいい。包帯で羽を押さえつけることも、してみれば羽は小さいので多少の違和感は感じるが、生活に支障がでるほどではなかった。
 よし、とりあえずこれで行ってみよう。
 菅原はそう決心して、それが無駄になるように祈りながらその日は眠りについた。


 目が覚めると、やはり背中には違和感があって、覚悟はしていたものの、菅原はため息をはいた。机の上に用意していた包帯をさらしのように巻いて、リビングに向かう。母親はやはりいつも通りで、羽のことについてなにも知られていないのだろうことにほっと安堵した。
 いつもよりも遅く家を出て、朝練には行かなかった。病み上がりということになっているのでとがめられたりはしなかったが、その反対に心配されるのが心苦しかった。もう大丈夫だと答えながら、少し罪悪感がわいた。
 羽は生活を送る上ではなんら支障はなかったが、ただ、やはり着替えはどうにもならなかった。ひとりで着替えるという状況を作り出すのは予想以上に難しかったし、早々目立たずにできることではない。
 これが毎日は流石にきつい。大地には今日の体育でもうすでに一度いぶかしがられているし、取り繕えば取り繕うほどボロが出そうだ。数日どころか明日バレてもおかしくはない。バレーするのに支障がないことが唯一の救いか。
 鍵を引き受けることでこうやって一人で着替えられるように出来たが、明日もそうできるとは限らない。
 もっと別の方法はないものかと菅原が一人思案しながら練習着を脱いだところで、がちゃりと部室の扉が開いた音がした。
 菅原がその音に驚き、ゆっくりと振り返ると、そこには青みのかかった黒い瞳を丸くさせている後輩がいた。ぎいっという鈍い音とさあっと血の気が引く音を菅原は聞く。
「かげ、やま…なんで…」
「タオル、忘れたのに気づいて、まだ近かったから、それで…」
 見てはいけないものでも見てしまったように視線を逸らしながら影山が戸惑ったような声で答えた。菅原はそれに、そっか、と服を着るのも忘れて答える。白々と輝く蛍光灯の音が聞こえた。
「菅原さん、それ…」
 大丈夫ですか、と意を決したように影山が尋ねた。それに菅原はあわててぬいだ練習着を手にとる。それで隠すように大丈夫だから!というと、ぎゅっと影山は眉を中央に寄せて険しい顔をした。
「…本当ですか?」
「え、」
「昨日も休んでたし!…包帯巻いてるってことは、それくらいひどいんですよね?疑ってるとか、そうゆうんじゃないッスけど、菅原さんとバレー出来なくなんの、ヤだし、その…心配、です」
 険しい顔で、一つ一つ探すようにして空気をふるわせた言葉たちに、菅原は前もって用意していた嘘がどうでもよくなった。焦っていた気持ちがしぼんで、反対に穏やかな気持ちになる。菅原は前に構えていた服を下ろした。
「うん。本当に大丈夫。これ、怪我じゃないから」
 そういって笑った菅原に、影山はぽかんとする。そしてするすると包帯を解き始めた菅原に、影山はそのまま訳が分からないといったように首を傾げた。
 すべて解き終わった菅原は、くるりと後ろを向いて影山に背中の羽をさらした。
「これ、隠すためだから」
 いつもは鋭い目をしている影山が、それをみて目を丸くさせる。そしてじり、と影山が後ずさった気配を感じた菅原は、ああ間違えたかな、と思う。後悔しながら首を回して影山の方をみると、驚愕といったような顔をしている影山がいた。そしてその唇をふるわせながら影山が声を漏らす。
「す、」
「…す?」
「菅原さんって、天使だったんですね…!」
 影山の一言を菅原は一瞬なにを言われたのか理解できなかった。そのあとで漢字変換が追いつき意味を理解した菅原は、言葉の恥ずかしさにかっと顔を真っ赤にさせた。
「はぁ?!天使?!天使ではないと思うぞ?!」
「え、でも、これってそうですよね、真っ白できれーです」
 思わず叫んだ菅原を気にもとめず、好奇心に目を輝かせて影山が菅原に近寄る。少し手を伸ばして触りたそうにうずうずしている影山に、さわってみる?と声をかけると、いいんですか?!声を弾ませた。その反応に菅原は吹き出しながら、いいぞー、と許可をだす。すると影山はキリッと真剣な面もちになって、失礼します、というと、そっとまるで壊れものにでもふれるように菅原の羽にふれた。その瞬間にうおお、ふわふわだ、と嬉しそうな声を漏らした影山に、菅原は思わず笑った。
 滑らすように羽をなでている影山をみれば、その目は羽を映してきらきらと輝いていて、それをまるで夜の海に星をまいたみたいだと思った。
 はいおしまい、といって菅原は制服のシャツを羽織る。それに影山は少し名残惜しそうに手を離した。ふれられていた羽が、すこし温かいように感じた。
「包帯、いいんですか」
「もう家帰るだけだからいいべ。それに、影山にバレちゃったしな〜」
「す、すいません」
 少ししょげる影山の頭を、菅原はわしゃわしゃとなでる。影山はうわっ、と驚いた声をあげた。
「なんで謝るんだよ。別に責めてるわけじゃないぞ」
「でも、菅原さんは見せたくなかったんですよね」
「あー…そうだけど、いずれはバレたことだと思うし、最初にバレたのが影山でよかったなーって思ってるよ」
 菅原の一言に影山は少し目を見開くと口をむずむずさせて、ッス、というとうつむいた。それに菅原はかわいいなあともう一度頭をなでる。艶やかな黒髪は肌触りがいい。
 実際、影山の純粋に好奇心でいっぱいといった反応は、下手に心配されるより気が楽だった。散々羽に振り回された身としては、気軽な反応の方が心に余裕が持てたのかもしれない。羽が生えた日の自分と同じような反応をされると、同調してしまってさらに不安になりそうだ。
「よし!帰るべ!」
 影山がはい、と頷く。
 もし明日、羽が消えていなかったら、みんなには話そう。そう心に決めると、心がふっと軽くなったような気がして、今日はよく眠れそうだと思った。


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