帰り道で、たまたま及川さんを見かけた。
女の人に囲まれていて、すごくにこにこしていた。あの人相変わらずだな、と思うと同時に昔の記憶が蘇ってきて、すぐにそこから立ち去った。
及川さんのジャンプサーブのフォームと、トスを上げる姿が頭に浮かんで、離れない。飛雄ちゃんって、からかうように俺を呼ぶあの人の声が頭の中で響く。
かき消そうと地面を踏みつけるみたいに道を進んで、唇を噛む。
ああ…まだなのか。

今から半年くらい前、及川さんがまだ中学にいた頃、俺は見た。及川さんが告白されてるのを。女じゃなくて男に。
及川さんと、見知らぬ男が二人で居た。女の人に呼び出されてるのは何回か見たことがあったけど、岩泉さん以外の男の人と二人きりなのは初めて見た。
だから少し気になって、近づいてみたら、好きだ、と言う声が聞こえた。
は?と自分の声が真っ白になった頭に響いて、気づいたら物陰に隠れて様子を伺っていた。何やってるんだ、と思ったが、身体は全く動かなかった。やけに、心臓がばくばくとして落ち着かなかったのを覚えている。
俺が勝手に一人で焦っている間に、及川さんは戸惑ったような顔をして、その人から視線を逸らしながら言ったのだった。

ほら、その…オトコ同士だし…ね。

ズシンときた。自分に言われたわけではないのに、まるで意図してない方向からいきなり全力のサーブをぶつけられたような気持ちだった。頭が真っ白だった。
そして、気がついたら、その場から離れていた。さっきと反対だな、と何処かが冷静に思った。
及川さんが好きだと気づいたのは、その時から少し前の話で、その時もああなんで好きになってしまったんだろうと思った。だって、及川さんは俺のことが嫌いだ。嫌いまでいわなくても、疎ましく思っていると思う。
それでも、もしかしたら、なんてもう消えているに等しかった希望に縋っていた。何と無く夢見ていた。でも、その時完全に消されてしまった。
あの立ち位置にいたのがもし自分だったらと思うと耐えられない。俺だったらあんな言葉じゃ済まなかったはずだ。知っている評価でも、面と向かって言われるのは、辛い。
なのに、俺は、その時もまだ、及川さんのことが好きだ。胸の奥の方が、諦めたくないって、叫んでる。けど、やめなきゃ傷つく。自分が。
そうやってぐるぐる考えている耳に聞こえたのは、高い声。及川さんって、鈴のなるようなころころした声の方を向けば、可愛らしい部類に入るのだろう女子が、及川さんの元へかけて行った。そこには、さっきまで向こうにいたはずの及川さんがいた。嬉しそうに、楽しそうにその子と話している。さっきまでの告白なんてなかったみたいに。
それを見ていると、また心臓が痛くなって、そこから逃げた。
別に、女になりたいわけじゃない。及川さんの特別になりたいわけでもない。けど、でも、

ーーーそこにいるのが、わたしときみなら、どんなに幸せでしょうか

そこまで思い出して、どろりとした何か自分の中で渦巻いた。目の前が突然暗くなるような、光が失われるかのような感覚。なんとなく足が重い。
なんか、今日は変だ。
変に心が乱れてる。半年以上昔のことがどうしてこんなに鮮明に思い出されるのだろう。いつもはこんなのないのに。
気持ちが悪い。はやく家に帰ろう。
早足で家まで進む。こんなに学校から家までの道のりは長かっただろうか。いや、気分が悪いから長く感じるだけだ。すぐに着く。
そう言い聞かせて、ただ周りを見ずに前だけ進んでいく。
その間に、
【誰か】が
『俺』を、『アタシ』にすり替えた。


♀ ♀ ♀ ♀ ♀ ♀


とてもありきたりな、ごくごくふつうの『アタシ』と、『及川さん』がいて、『アタシたち』は付き合っていました。
アタシは中学生で、及川さんは高校生で、なかなか会うことは出来ないけれど、時間をぬって及川さんはアタシと会ってくれます。アタシを、トビオちゃん、って呼んでぎゅっと抱きしめてくれます。アタシはそのどっちもが恥ずかしくてじたじたするけど、本当はずーっとそうしていたいくらいにはそれが好きです。
バレーの話をする時、彼はとてもとても、無邪気に、楽しそうに笑います。アタシもバレーが好きだから、それをみるとさらに嬉しくなるのです。アタシは彼のバレーが、今までで見たどんなものよりも好きでした。
でもアタシは、女子バレー部にどうしても違和感があって、ほとんど男子バレー部の方に混じっています。むしろ、女子とバレーをしたという記憶が薄いのです。チームメートに誰がいたかすらあまり覚えていません。そんなこと、絶対にありえないはずなのに、アタシにも周りにも、それはあたりまえのことでした。
それと、たまに、いつどこで及川さんと出会ったのか、どうやって付き合い始めたのかということを考えます。そのことは何と無くおぼろげで、あったと思うのですが、確かには思い出せないのです。
そのことを及川さんに言うと、及川さんは少し考えた後、笑って言いました。
「たぶん、いまが幸せだから忘れちゃったんだよ。」
そんなものですか、と聞くと、及川さんは、そんなもんだよ、と返しました。…及川さんが言うんだから、多分そうなんだと思います。幸せすぎてぼけてしまったんなら、それでいいと思いました。

そうやって考えている間にも、流れるように時間が過ぎて行く。相変わらずバレーは楽しいし、授業は意味わかんないし、及川さんはかっこいいし、たまに会うのも、休日にデートするのも楽しい。
でも、夢みたいだと思う。流れていくようで何もつかめない。
この違和感はなんだろう。

「ねぇ、トビオちゃん、バレーしよっか」

ボールを弄びながら、及川さんが言った。
今日も及川さんと一緒に帰っていた。部活がいつもより早く終わったらしい及川さんは少し物足りなさそうに見える。
その言葉に心の奥の方がざわりとした。ああ、まただ。及川さんのバレーが見れるって、すごく嬉しいのに、変な騒ぎ方。まるでこれから悪いことが起きるぞって知らせてくるような、嫌なやつ。

「じゃぁ、サーブ、教えてください」

アタシがそういうと、及川さんは、ぽん、ぽん、と弄んでいたバレーボールを両手で持って、こちらを向いた。そして、にっこりと微笑む。

「うん?いいよ。」

その瞬間に、ふいに、昔の記憶が蘇ってきた。

及川さんは、すごいセッターで、一目見た時からこの人だと思ってた。あの人が繰り出すトスが好きだった。力強いサーブが好きだった。軽薄そうな癖に、バレーの練習は欠かしたのを見たことがなくて、輝かしさに明白な理由がある、すごいひと。
俺はずっとあの背中を追っていたけど、及川さんは俺のことが嫌いで、頼んでも絶対に教えてくれなくて。
そう、絶対に、教えてくれなくて。

そうだ…『アタシ』は『俺』だったじゃないか。

突然気づいてしまって、動揺した。俺は影山飛雄であって、決して女では、ない。
及川さんが、突然黙り込んだ俺に、大丈夫?って心配そうな顔をする。
ゾッとした。そんな顔、俺には一度もしたことなかったくせに。

この人は、自分は、一体誰なんだ。

急に目の前が真っ暗になった。


♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂


ハッと気づくと、通学路のような、公園のような、学校のような場所にいた。地面はコンクリートで、周りには、教室みたいな場所と、体育館みたいな場所が背景のように存在して、その隙間に公園の遊具がばらばらに、投げ捨てられたみたいに置いてある。
ああ、今ならわかる。これは、夢だ。
ここが何処かなんかわかるわけなかったけど、とにかく前へ向かって走った。逃げたかった。
走っていて、気がついたら目の前に、『俺』が立っていた。女の『俺』だ。
どこに行くんだってそいつは聞いた。帰るって言ったら、どうやって?と返された。俺は答えられなくて、黙った。すると、そいつは話出した。
「あたしはあんただから、わかる。本当は帰りたいなんて思ってない。この世界を、居心地がいいっておもってる。」
断定するみたいにいわれて、反発心が湧いた。そんなわけないだろ、って言おうと思った。けど、やめた。だって、こいつは自分だからだ。自分にどんなに取り繕ったって意味はない。
「でも…俺は及川さんとバレーがしたい。対等な立場でいたい。」
反発する代わりにそういうと『俺』は眉をしかめた。睨むようにこちらを見て言う。
「じゃああたしは?あたしだって、及川さんの側にいたい。」
それに、お前はもともと存在してなかったんだからいいだろ、って言ったら、あんたが望んだから、と返される。
「この世界じゃだめか、この世界で、バレーしてちゃ、ダメなのか。」
目の前の『俺』に言われて、俺は言葉に詰まった。
それもいいかもな、と思ってしまった。
この世界は辛いことが何もない。しいていうなら、自分が女なことくらいで。それ以外は怖いくらい自分の思い通りなのだ。
だったら、この場所にずっととどまっても問題ないんじゃないかって。ここでバレーし続けた方が幸せなんじゃないかって。及川さんに嫌われずに、一緒にいられた方がいいんじゃないかって。
そう思ってしまって、居心地の悪さから俺が目をそらした。
その瞬間、どこからか声が響いた。

「飛雄!」

及川さんの声だった。思わず『俺』と目を見合わせる。それからすぐに辺りを見渡した。そうしたら、教室みたいな背景の中に及川さんがいた。きょろきょろと何かを探すみたいに歩いていて、ないとわかったら出て行く。俺を探しているのか、それとも『俺』を探しているのかわからなかったけど、たぶんどっちかを探しているのだと思った。
そして、やっぱり俺は帰らないといけないと思った。
もし、あの及川さんが『俺』を探しているなら、それは及川さんじゃない。俺が作り出した、『俺』と同じ存在だ。自分の思い通りに動く、ただの人形。そんな世界にいたらいけないことは、何と無くわかるし、それに俺は、そんな及川さんが好きなわけじゃないから。
思い通りにならなくても、俺は現実の及川さんが好きだ。
迷わずに、一歩踏み出す。今度は帰れる自信があった。
目の前に、女の自分はもういなかった。


♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂


ハッと気がつくと、目の前に及川さんがいた。思わず、及川さん!って名前を呼ぶ。そしたら、及川さんも驚いたような顔をした。
しばらくぽかんとしていた及川さんは、突然真顔になるとこちらへ近づいてきた。俺がその顔をじっと見つめていると、及川さんは俺の顔に手を伸ばしてギューっと頬を横に引っ張った。それに、いたい!と騒いでいると及川さんがキッと綺麗な眉を釣り上げた。
「こンの、バカ!!どこ行ってたの?!」
すごい剣幕でそう怒鳴られて、思わずぽかんとしてしまった。それから、何故かだんだん喉と目が焼けるみたいに熱くなって、ぼろっと涙がこぼれた。何が悲しいのか、よくわからなかった。けど、何故か涙は止まらなくて困った。悲しいよりは、嬉しいのに、変だ。
「ちょっ、ちょっと」
こっちが止まらない涙に困っていると、及川さんは慌てたようにそういって俺の頬から手を離した。それに俺は袖で涙を拭って俯く。拭っても拭っても涙が止まらないから、拭うのを諦めた。どうにも心細くて、及川さんの制服の裾をつかむ。そうしてないと、またあの場所に戻ってしまうような気がした。
すると、及川さんは俺を抱き寄せた。びっくりして、体が固まる。でも、背中に回された腕が暖かくて、また涙が出た。
「ねぇ、結局どこにいたの?」
「よく、わかんないです、ただ、すごく幸せで、悲しい場所にいたんです、」
「なにそれ、わけわかんないんだけど」
「はい、わけわかんないです、けど、戻ってこれてよかった」
泣きながらそう答えると、及川さんは俺の頭に手を回して、ぽんぽんと子供をあやすみたいに叩いた。そのあとでまた抱きしめられる。
「もういなくなんないでよね、バカ」
驚いて、顔を上げる。少しだけ泣きそうな顔をして、でも優しそうな目をして、及川さんは俺を見ていた。
ああ、まだ夢か、と思った。きっとこれは【誰か】がくれた夢のおまけだ。だってまだ自分に都合がいい。
だから、及川さんの言葉に何度も頷きながら、早く覚めてくれ、と祈った。


♂ ♂ ♂ ♂ ♂ ♂


あの後、両親に泣きながら引っ叩かれたり、警察に話を聞かれたり、色々あったけど、それほど大きな騒ぎになることもなく、一週間もすればそんなことは誰も何もいわなくなった。
だんだん、あの出来事は忘れられて、忘れていく。
最近、あの時のことは最初から終わりまで全部、夢だったんじゃないのかと思う。だって、もう何があったかよく思い出せない。周りも、俺が数日行方不明だったことなんて口に出さないから、こうやって、事実というのは忘れられて行くのだろうなと思った。
及川さんのことも、今も好きだけど、その感情もあの時ほど厄介なものでもない。好きというよりは、憧れのような感じに落ち着いた。
…これでよかったと思う。
このまま、何事もなく、終わっていく。それでいい。
次会う時は、かつて先輩だった人として、尊敬している人として、きっと普通に会えるだろう。


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