「首輪でもつけてみるか?」
 花宮の突拍子もない一言に古橋はシャーペンを走らせていた日誌から顔をあげた。発言者の花宮はというと、机に肘をつきながら古橋を見つめ、女王様よろしく足を組んでいる。
「誰にだ?」
 古橋がそう問い返すと花宮は表情一つ変えずにお前に、と答えた。意味が理解出来ず古橋は眉をひそめる。……といっても、表情には現れなかったが。
「何故?」
「お前が俺から逃げ出さないようにするため」
 わりといいと思うんだよなあ、誰の所有物かはっきりわかるし。
 人を食ったような笑みを浮かべながらそう言った花宮に、古橋はひとつため息をつく。何をわかりきったことを言うのだろう。
 古橋は握っていたシャーペンを置いて、空いたその手を花宮の首へと伸ばした。花宮は少しも拒むことなくその手を受け入れる。花宮の首の半分が古橋の手に覆われて、古橋の指先に体温と動脈の動きが伝わる。規則正しく流れる脈拍は正常そのものだ。古橋の背筋に、ぞくりと不可思議な歓喜が走った。指先を動かして、頸動脈を探る。
「俺より、おまえにつけた方がいいんじゃないか?」
 興奮を抑えながらそういうと、花宮はお決まりの笑い方をして答えた。古橋の手のひらに、声帯の震えが伝わる。
「そんなの、まっぴらゴメンだね」
 その答えは古橋の予想通りのものだった。答えを反芻しながら、古橋は首輪の意味を考える。やはり自分に首輪をつけるよりも、花宮に付けた方がいいと思った。
 なぜなら、自分はもう逃げられないのだから。首輪なんて付ける必要がない。首輪なんてものよりも、もっと強いもので、すでに縛られている。それを花宮も分かってるはずなのに、なぜ首輪なんてものを持ち出したのだろう。古橋にはよくわからなかった。
 よくわからないまま、古橋はおもむろに指先に軽く力を込めて頸動脈を圧迫した。その瞬間、花宮はそれすら予期していたことのように笑みを深めた。
特徴的な眉が中心に寄って、逃れようとするように喉が晒される。喘ぎがこぼれる。それでも花宮は変わらず口許に笑みを浮かべていて、たまらない気持ちになった。うすぐらい、腹の底に溜まるような感情。
 その笑みは俺への信頼か。それとも死ぬことに恐怖がないのか。どちらでも構わない。どちらにせよぞくぞくする。こんな状況で笑えるお前が好きだ。にげられない。
「なあ、」
 ふいに、花宮が古橋を呼んだ。我に返って圧迫をやめ、首から手を離す。花宮の首が赤くなっている。
 古橋がなんだ、と尋ねる前に花宮が身を乗り出してきて、口を塞いだ。古橋が驚いていると舌が入ってきたので、読めないな、と思いながらそれに合わせて自分のものを絡めた。
 漏れた喘ぎ声と、水音が二人以外にいない部室に響く。花宮に褒美を与えられた気分になって、古橋は犬を想像する。飼い主に首輪をつけたところで、飼い主が犬に変わることはない。
 しばらくそうしていると、満足したのか花宮は身を引いた。離れたことでひかれ口の端に垂れた銀の糸を、花宮は手で拭う。
「なあ、今日、俺ん家こねえ?」
 艶やかに笑いながら花宮が古橋に言う。ごくりと唾を飲んだ。
 これが目的だったか。
 尋ねてはいるが、断られるなんて微塵も想定していない声だ。実際断るつもりはない。
「いいのか?」
「ふは、愚問だね!」
 ダメだったら言わないだろ、そう言った花宮はやはり艶やかに笑っていた。


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