※暴力表現注意

雨が、ざあざあと降っていた。
打ちつけるような雨は冷たく、もはや全身の感覚がない。地面はその水を限界まで吸い込み、立っているだけで水が染み出してくるような状況だった。
その中で、俺は傘もささずに立っていて、その向かいには同じように飛雄が立っていた。飛雄はこちらを見てしきりに何かを言っているようだったけど、ざあざあ降る雨が煩くて何も聞こえない。どうせ、サーブ教えてくださいとかそんなとこだろ。…そう思ったら、本当にそう聞こえてきたから不思議だ。
おいかわさん、と俺の名前を呼ぶ声と、サーブ、の単語だけが雨の音に混じって聞こえる。飛雄の丸い大きな目がよく輝いていて、それで、良く分からないけど、なにかがぶつっと切れた。
滑る地面を踏みしめる。ばちゃっと泥が跳ねる音がして、足を濡らした。気持ちが悪い。突然俺が寄ってきたことに驚いて固まっている飛雄の無防備な腹に、拳を入れた。鈍い音と手に鈍い痛みが響いて、あーあやっちゃった、と脳に自分の声が響いた。目を見開いて腹を抱えてふらついた飛雄を引き倒して馬乗りになる。何が起こったかわからない様子の飛雄の顔面を、殴る。蛙が潰れたみたいな声がした。それに頭がかぁっと熱くなって、もう一度殴った。
うめき声に時折まじる、やめろ、の声にやけに興奮した。あと、俺の下でバタつく身体にも。まだ成長期も迎えていないのだろう幼い体は柔らかくて力も弱い。その飛雄を殴ることが、信じられないくらい気持ちよくて、止められない。なにかしらのリミッターが外れてるんだろうなと冷静に思った。
ふと見れば飛雄の顔は真っ赤に腫れ上がっていて、目の周りが青い。やめてください、と、か細い声。
あー、いたそう、かわいそう。でも、止められない。ごめんね。
心の中で謝りながらまた殴った。




「ッ!!」
起き上がると、見知らぬ部屋だった。寝息と秒針の音が交じる、見覚えのない暗い部屋を見渡して、やっとここが合宿所であることを思い出す。
夢であったことにほっと息を吐いて、胸のあたりに手を置く。心臓がバクバクしている。その手がじっとりと湿っているのは、部屋が蒸し暑いことだけが原因でないことはすぐにわかった。全身が嫌な汗にぬれていて、最悪だ。
心臓の音が収まるまで待っていたけど、収まってももう一度眠る気分にはなれなくて静かに部屋を出た。

便所の手洗い場の蛇口をひねって水を出す。勢い良く流れ出すそれに手を突っ込んだ。少し水はぬるいが、頭を冷静にするには十分だった。白い蛍光灯の灯りが眩しい。眩しさに一度目を閉じた。
(流石にアレはない…)
見た夢の内容を思い出す。いくら追い詰められているとはいえ、人を殴る夢を見るなんて。それは人としてどうなんだ。
じゃばじゃばと流れる水から手を引いて、蛇口を閉める。

ーーーーしかも、気持ちよかった、とか。

手から水気を切って、なおざりにTシャツで拭う。タオルとか持ってないから仕方ない。戻ってもう一度寝なおそう。
そう思って出口の方を向くと、ぬっと人影が現れた。その人影は、よりにもよって今一番会いたくない奴のものだった。
「ゲ…おいかわさん……」
飛雄は目を明かりの眩しさにか細めて俺を見るとそう言った。それに俺の口は勝手に動いた。
「ゲッてなに?お前先輩にそーゆー態度とっていいの?」
「…すいません」
飛雄が面倒くさそうに謝った。それに少しいらっとしたが、その額が汗ばんでいるのを見つけて、思わず聞く。
「なんかお前、汗かいてない?」
「…部屋、暑かったんで」
飛雄の返答の妙な間に、目を細める。ウソでしょ、と断定するようにいうと、飛雄が嫌そうな顔をした。言いな、と言外に含ませて飛雄を見つめると、飛雄はたどたどしく口を開いた。
「ゆめ、で、」
夢、と言う単語にどきりとする。不意に浮かび上がってくる感情を抑えて、ふぅん、となんでもないような声を出す。飛雄が目を逸らした。
「すげー、殴られて、」
言いながら、飛雄の手が腹のあたりに伸びる。それで、ぎゅうとそのシャツを掴んだ。
その瞬間、頭の中に夢の中の飛雄が浮かんだ。ぴりっと脳内が痺れる。
歪む顔と、まだ細いからだ。バタつく手足、赤い腫れ、呻き声。
肌が、ざわっとした。また、手が汗ばむ。じんと痺れるように重くなる。

もう一度、あの感覚を、

ぞわぞわする感覚を隠して、そう、と声を出す。飛雄に近づくと飛雄が少し後ろに下がった。逃げ出そうとする肩を掴む。飛雄が表情を凍らせた。にっこりと笑ってやる。俺もさ、人のこと殴る夢見たよ。顔を耳に近づけて吹き込むように言ってやる。飛雄の身体が強ばって、ぞくぞくした。

「同じだね。」

飛雄が顔を引きつらせる。その目が黒くて、吸い込まれそうで、これも夢だったらいいのに、と思った。


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