「…それで、これはどういう事」 「だからー。春奈ちゃんが交通事故に遭ってー」 「交通事故!?丘から転げおちたのが交通事故!?」
激昂する俺の横で、九重が何とも言えぬ笑みを浮かべている。……先生に『春奈ちゃんが事故にあった』と聞いて、取った行動は勿論、近くの病院に向かうことだった。ただ俺は徒歩通学だし、バスもない。だが、先生が切羽詰った声音で言うもんだから、とても危ない状況なのだろうと焦る俺に、自転車通学の九重が二ケツさせてくれたのだ。しかし、近くの駐車場に自転車を止め息を切らせて病院に駆け込んできた俺が見たのは、支払いを終えて今にも帰宅しようとしている母さんと春奈ちゃんの姿だった。
事情を詳しく聞くと、そう重いものでもなかった。ピクニックの帰り、足を滑らせた春奈ちゃんが丘から転げ落ちて、足を捻ったというものだったらしい。いや、別に、重傷の方が良かったという訳ではない。だけど、あんなに急いで来たのに、その展開は、少し、胸に来るものがあった。無事で何よりなんだけど、でも、それだけでは納得できない何かがある。声を低くさせて呻く俺に母さんが頬を膨らませる。
「何よー、捻挫だって危ないでしょ。莢君ならまだしも、春奈ちゃんはまだ小学生なのよ」 「そうだけど、足捻っただけなら学校に『妹が危ないんですー!今病院なんですー!』って連絡する必要なんかないだろ!?そんだけ言われたら誰だって重い怪我負ったと思うから!」 「いやー、母さんもてんぱっててねえ。何しろ女の子だから」 「つかそれ以前に、何で携帯じゃなくて学校に連絡すんだよ!俺に直接言えないくらいかと思ったんだよばかあああ!」 「まあまあ…無事だったんだから言いじゃんか。僕も安心したよ」
顔を真っ赤にして怒鳴る俺の肩を、九重がぽんぽんと叩いた。
「…そうだけど。悪かったな、九重。今日は部活に出る予定だったのに」 「んや、良いよ。僕も勉強しないとまずいし、今日はこのまま帰って数学するわ」 「…ん。わかんないとこあったら教える」 「おう。じゃ、もう用ないみたいだし、僕は帰るわ」
そんな事を言う九重にありがとと呟いて、背中を見送る。あいつはあんな事言ったが、本当に悪い事をした。今日は張り切っていたのに。今度なにか奢ろうと考えながら母さんに声をかける。
「じゃあ、帰んの」 「そうね。もうお医者さんに診てもらったし、帰ろうか」 「うん」
春奈ちゃんが頷くのを確認して、俺は顔を上げる。…と、そこで、母さんの後ろに見慣れた姿を見つけた。見間違いようもない、冬花ちゃんだった。視線に気づいた母さんが、首を傾げ後ろを眺める。
「何、知り合いでもいるの?」 「あー、うん」
冬花ちゃんは、見知らぬ男の人に手をひかれていた。髪色が似ているし、もしかしたら、彼女の父親なのかもしれない。久々に見た冬花ちゃんの表情はいつもと違って見えて、少しだけ、疑問に思う。病院にいるってことは、怪我でもしたのか、それとも、病気を患ってしまったのだろうか。
「ちょっと、声かけてきてもいいかな」
心配に思ったので、そう母さんに声をかける。了承の言葉を得られたので、俺は駆け寄ろうと鞄を抱えなおして…服の裾が引っ張られていることに、気がついた。
「…春奈ちゃん?」 「……ん」
俺の服の裾を掴んでいたのは、当事者なのに今までずっと蚊帳の外にいた、春奈ちゃんだった。ピクニックだからとせいいっぱいのお洒落をした服は転んだせいか葉っぱがつぶれた色や土の色で汚れていて、裾を掴む手には絆創膏が貼られている。そうして、俺は、彼女の目を見た。不安な色を揺らめかせた春奈ちゃんの目に、俺はいつだったか、見覚えがあった。
「……」 「…わかった、今日はもう、帰ろうか」
俺達からすると、なんてことのない事故に思える。しかし、まだ幼い彼女にとっては、身がすくむような恐怖を感じたのだろう。震える手が、それを証明してくれる。怪我よりも彼女は、大きなショックを負った。兄としては、今にも泣きそうな妹を、放っておくわけにもいかない。俺はひょいと春奈ちゃんを抱きかかえた。事情を察して前方を歩く母さんに置いていかれないように、小走りで追いかける。
「莢君、」 「なに?」 「ありがと」
ぎゅうっ、と制服を掴む彼女に笑いかけて、一先ずは、大切なお姫様が無事で良かったと息をはいた。自分の表情なんて自分では見ることが出来ないけれど、春奈ちゃんの笑顔から、俺がちゃんと笑えているのだろうなと推測できた。
何よりも大切な
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