■ むかしのはなし


「おにーさんは、だれですか?」

道場の真ん中で一人、木刀を振るっていた青年に向かって少女がそう尋ねた。
その気配に気がついていなかった青年は驚きながらそちらを振り返る。そして見覚えのない少女にこう言い返した。

「おめーこそ誰だ」

まだ五つになるかどうかという少女にとる態度ではない。少女は、質問をしたのは自分ではなかったかと思いながらも律儀に答えた。

「美結です。六歳です。おにーさんは?」
「…土方十四郎だ」
「とーしろーさんは、どちらさまですか?いさおにいさんのおともだち?」
「勲兄さん…?お前、あの人の妹なのか?」
「…………」

子供は急に黙った。土方は訝しげにそれを見る。今日で道場を訪れるのは何度目かになるが、こんな子供は今まで見たことなかったし、子供がにいさんと呼んだその人から妹がいるなんて話も聞いたことがない。そういや門人に生意気なクソガキがいたが、ああいう類のガキだろうか。

「おおトシ、来てたのか。ん?美結、お前もいたのか。どうした?暗い顔して。トシにいじめられたか?」
「…俺ぁんなことしてねぇ。てか何だよそのガキ」
「ん?美結、お前自己紹介しなかったのか?トシ、こいつは俺の妹だ。仲良くしてやってくれ」
「…………」

やっぱ妹なのか。そうわかると土方は美結への興味を一気になくした。内気そうな子供だし、今まで姿を見なかったのも、人見知りか何かをするせいで隠れていたのかもしれない。

「よ、よろしくおねがいします」
「…………」

ガキは苦手だ。よろしくなんかしたくない。

「ははは、そんな顔をしてくれるな。この子は昨日我が家に来たばかりでな、まだまだ不安も多いんだよ。早くたくさん知り合いを作ってやりたいんだ」
「昨日来たばかり?なんだ、離れて暮らしてたのか?」
「ああ…まあな」

なるほどわけありか。
先ほど子供が素直に近藤勲の妹だと言えなかった理由はここらへんにあるのかもしれないと土方は思った。
けれど土方にとってはそんなこと、昨日の天気ほどにどうでもいい。どこの子供にどんな不幸が訪れていようが、知ったこっちゃない。
土方は黙って素振りを再開した。

「…おいガキ」
「…ガキじゃないです。美結です。なんですか?」
「…美結はガキのくせになんで敬語なんか使うんだ」
「?けーご?ですか?」
「そういう『です』『ます』ってしゃべり方だ」
「んー?わたし、こうやってしゃべるようにおしえられました」
「誰に?」
「おかあさまと、おとうさまに」
「…ここの親父さんはそんなこと言うような人じゃねぇだろう」
「トシ」

土方が不振そうな顔をすると、近藤が宥めるように土方の名を呼んだ。
『わけあり』の部分に踏み込んでしまったのだろう。

「…今日からお前、敬語やめろ」
「え?」
「子供がそんな律儀な言葉使う必要なんかねぇや」
「でも…」
「いいな?」
「は、はい」
「はいじゃなくて」
「わ、わかった…………です」
「…もうちょいがんばれ」


美結はその時初めて、困ったようにだが笑って見せた。




 
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