▽ everyday
心愛の一日は、日の出の少し後に侍女に揺り起こされるところから始まる。
戦国時代の人間は寝るのも起きるのも早い。
夜遅くに寝て朝は遅刻ギリギリの時間に母親に叩き起されるという現代っ子生活を送ってきていた心愛は、ここへやってきて数日が経った今でもまだ一人では起きられない。
「姫様。姫様。お目を覚ましてくださいまし」
「ん〜あとちょっと…」
「なりませぬ。もうすぐ朝餉の準備も整います故」
「う〜…」
女中や家臣たちは、心愛のことを姫様と呼ぶ。城主の養女となればそれは当たり前なのだが、その呼び方にも彼女は慣れない。そこで普通に呼び捨てで心愛と呼んでくれと言ったら、ものすごい勢いで首を横に振られた。滅相もございませんと。今まで何の変哲もない平凡な人生を歩んできた彼女からすれば、少々心苦しいものがある。
そして起こしに来た侍女に着物を着せてもらい、朝食の席へと向かう。
今日は心愛の大好きな黄色の着物を着せてもらって、彼女はご機嫌だ。ここのシンボルカラーが青なためか、青色の着物を着せられることが多いから。
「Good morning my kitty.」
「ぐっどもーにんぐまいだでぃー」
心愛は養父である政宗とともに食事をとる。
先ほどの会話はすでに二人の間では毎度おなじみの朝の挨拶なのだが、周りからしてみれば不自然な光景でしかない。
なんだこの親子、と言った感じだ。
「こじゅーろー。このほうれんそうのおひたしおいしいよ」
「そりゃよかった。心愛が昨日頑張って収穫を手伝ってくれたおかげだな」
もちろん心愛は、あの日以来小十郎をおじちゃんなどと呼んではいない。
まだ二十九歳の彼に、おじちゃんは少々可哀想だ。
それに顔は怖いが彼は真面目でやさしい人間。建前などではなく、仲良くしたいと思っている。だから周りの人間同様、政宗の養女である自分に対して謙ろうとする彼には、普通に接してくれと頼み込んだ。
心愛にとっちゃどちらかといえばこちらの彼の方が父親としては似つかわしい。
「じゃあ残さずしっかり食えよ」
「はーい」
朝食を食べ終わると、政宗は政務のために部屋へと戻る。
食べるのが遅い心愛は、いつも侍女とともにその場へ残されてしまう。
一緒に食べようと言っても、身分がどーたらで彼女たちは自分を見守っているだけ。少し寂しい。
「いつもごめんなさい。またせちゃって」
見た目は三歳児でも、中身は十六歳。人の礼儀として侍女たちにそう声をかけるが、何と言っても見た目三歳児。
幼子だとは思えないその気配りに、彼女たちはいつも目を丸くさせられる。
朝食の後はすぐに暇になる。することがない。
ゲームも漫画も存在しないこの世界。現代っ子にとってはやはり退屈。
女中たちの手伝いをしようと思っても、この小さな体では何もできない。むしろ邪魔になる。
ということで昨日と同じく今日も、縁側に座ってぼーっと時間を潰す。
「よっ心愛ちゃん。今日もまた元気に暇そうだね」
「うん、ひま。なるなるあそぼう」
声をかけてきたのは、なるなること伊達成実。
最初はその呼び方を嫌がっていた成実も、もう何も言わなくなっている。心愛をちゃん付けで呼ぶ唯一の人間だ。
「何して遊ぶの?」
「う〜ん、なにしよっか」
中身は十六歳。本当の三歳児が喜ぶような遊びなどつまらない。
かといってこの体じゃ大したこともできない。故に、いつも何をしようか悩まされる。
「あ、そうだ。俺心愛ちゃんに本用意したんだよ。はい」
「本?………ん〜…よめない」
和綴じをされた本は、もちろん現代の活字が並んでるわけじゃない。
くにゃくにゃとしたどこが字の切れ目なのかもわからないような文を読む教養など、彼女にはない。
「え、嘘。心愛ちゃん読み書きできたんじゃないの?」
「かくのはかんたんなのしかできない。よむのはぜんぜんできない」
「…読めないのにどうやって書けるようになったの」
「…こんじょうで」
根性でどうにかなるわけないだろう。
自分で言っててつっこみたくなった。
だがこの成実という男は、そんなこと一切気にしない。「そっかー」と笑って流してくれた。
「じゃあどうしよっかなこれ…」
「せっかくよういしてくれたんなら、ちょうだい。がんばってかいどくできるようになるから」
「解読って…。まぁ、はい。がんばってね」
誰かに字を習うことにしよう。本を受け取ってそう決めた。そうすれば、これから日々の時間潰しにもなる。
そして成実は、それからもう少し会話を交わした後、鍛錬に行ってくるからと言って去っていった。
――――また一人になった。
再びぼーっとして時間を潰す。
「心愛様。部屋にいらっしゃらないと思ったら、やはりここでしたか」
「あ、きたさん。うん、だってへやにいてもひまだから」
優雅な佇まいでこちらへ歩いてきた美人は、政宗の乳母であり小十郎の姉である片倉喜多。
いつもさん付けなど必要ないと言われるが、心愛は喜多さんと呼び続けている。別に距離を置こうとしているわけではない。大人の女性として慕っているから、呼び捨てにする気になどなれないのだ。
「そうですか。今日は良い天気ですし、日向ぼっこもよろしいですね」
「うん。で、きたさんはどうしたの?わたしのことさがしてたんでしょ?」
「ええ。心愛様にこれをと思いまして」
そう言って彼女が懐から取り出したのはきれいな柄の千代紙。
いつも暇を持て余している心愛のために持って来てくれたのだろう。
赤、黄、青と色とりどりの紙を受け取って、彼女は素直に喜んだ。
「ありがとう!きたさんだいすき!」
「喜んでいたただけてよかったです」
心愛がぎゅうっと抱きつくと、喜多はあらあらうふふと微笑む。
内心、はしたないですよと注意するべきか悩んでいるのだが、この状況が嬉しくないというわけではないので黙っているのだ。
心愛はこの女中頭が好きだ。大人の女性とはこうゆうものだろうと思っている。
そうして慕ってくる心愛を、喜多もまた可愛がっている。割と厳しい性格な喜多も、この小さな姫には甘々だ。
だが女中頭という仕事は忙しい。いつまでも少女の相手をしているわけにもいかず、
今日のおやつは京のお饅頭ですよと告げてから去っていった。
戦国時代は昼食を食べない。だから朝食の後は、おやつの時間まで心愛の予定なんて何もない。
スケジュールに食べることしか組み込まれていない日々。我ながら情けなさすぎる。
あーあ。おやつの時間まであとどれぐらいかな…
再び、ぼーっと時間を潰した。
「Hey little girl.」
「あ!まさむね!みてみて、これ!なるなるがくれたの!」
政務の休憩中なのか、無理にサボってきたのか、養父がゆっくりとやってきた。
はしゃぎながら本を見せると、ふっと鼻で笑われる。酷い。
そして政宗はそのまま心愛の隣に腰かけた。
「お前字読めねぇんじゃなかったか?んなもんもらってどうすんだ」
「いいの!わたしはうれしいんだから!なんでそんなひねくれたことばっかりいうかなぁばかむねは」
「ばかむねって言うんじゃねぇよ。捨てるぞ」
「とちゅうでおせわなげだしちゃだめなんですよー」
心愛は他の人間がいない時には、政宗のことを父と呼ばない。
ゲームキャラだとかそうゆうのを無しにしても、三つしか違わない人間を素で父と呼ぶなどさすがに無理がある。
父上だとかダディーだとかと呼ぶのは人前だけ。要するに猫かぶり。
政宗は建前でしか父扱いされないことが不服なようだが、心愛にそれを直すつもりはない。
「あと、きたさんはちよがみくれた!」
隣に置いていたその束を持ち上げて言うと、またふっと鼻で笑われた。酷い。
軽く落ち込むと、ぽんと頭に手が置かれる。
驚いて見上げると小さく笑った政宗の顔があった。
「ま、よかったじゃねぇか。ならオレからもpresentやるよ。」
「え?」
そう言って、頭に置かれていた手が離れて行った。
そこに残ったのは小さな違和感。そっとそこに触れてみる。チリンと音が鳴った。
どうやら簪を挿してもらったようだ。
「まさむね…みえない」
鏡を持ち合わせていないため、せっかく挿してもらったその簪を見ることができない。
だがつけてもらったものを自分で引き抜く気にはなれず、政宗にそう言う。
「Oh…sorry.ほら」
またチリンと音がなる。
引き抜かれたそれは、青い玉簪。二つ、小さな黄色い鈴が揺れている。
「かわいい…ありがとう」
「Your welcome.にしても…お前ほんと子供らしくない反応するな。ガキなら普通、嬉しかったら騒ぎ出すもんじゃねぇのか?」
「にんげん、ほんとうにうれしいときはおちついてるもんだよ」
「…お前本当にガキか?」
「わたしはれでぃーだってなんかいもいってるじゃん」
もちろん政宗はその言葉を流す。
どうみても三歳児。レディーには程遠い。
「もっかいさしてよまさむね」
政宗の方へ顔を向けて自分の頭を指差す。要求を受けた養父は、小さな簪をその髪に挿しこんだ。
心愛からそれを見ることはできないが、手で自分の頭に触れそこに簪があるのを確認するとにっこり笑った。
「にあう?」
「あぁ。cuteだぜ」
心愛の日々は、今日も平和。
「きょうのおやつはおまんじゅうっていってたよ。いっしょにたべにいこう」
「OK」
そして、何気に満喫中。
(このかんざし、まさむねがえらんでくれたの?)
(Of cource)
(…えへへへへ)
(なんだよ気色悪ぃ)
(きしょくわるいとかいうな)
prev /
next