CLOWN×CLOWN


失望×申し出×幸せの物差し


ナッツが久しぶりにクラウンの格好をして笑っていたと、その日クロロが喜んでいた。
私からすれば、あなたのそんな笑顔だって久しぶりに見たわ。

その日結局なぜかナッツは怪我をして帰ってきたけど、理由は誰にも話してくれなかった。
みんなが心配していた中、クロロだけは違った。ナッツを気遣ってはいたけれど、どこか余裕が感じられた。
あれはたぶん理由を知っているし、それだけでもない。
気になって、ナッツがいない時にクロロに確かめてみた。


「なんだパクノダ」
「なんだかクロロ、嬉しそうね。なにかあったの?」
「なんだ、朝言っただろう、ナッツが今日笑ってくれたんだ。かわいらしかったぞ、お前にも見せたかった。…いや、やはり俺が独り占めしている方がいいな。すまない」
「…それで?他にもなにかあるんじゃない?」
「そんなことまでわかるのか?俺そんな顔に出てる?」
「ええ」
「まいったな…実はナッツ、俺にキスをおねだりしてきたんだ。こんなこと初めてだぞ」


自慢気な顔で予想だにしない回答をされて、私はしばし固まってしまった。
え、そんなこと…?この人…そんなことで、あんなに肉体的にも、おそらく精神的にも傷ついている彼女の横でずっとにやにやしていたの…?


「信じられない…」
「嘘じゃないぞ。本当の話だ」
「それは別に疑ってないわ…見損なったって話よ」


そもそもここを出て行ったナッツを、クロロが無理やり連れ戻してきたのがいけなかったのよ。
別れは辛いけれど、ナッツがどこかで幸せにしてくれていれば私はそれでよかった。
ナッツが私たち旅団のことで悩んでいるのも苦しんでいるのも知っていたから、わかっていて続けるのはこちらとしてもつらかった。

ナッツが苦しんでいることなんてクロロだってわかってるはず。盲目的にどんな私たちだって愛してくれるだろうなんて妄想はもう通じない。
それなのになんで、苦しみ続けるナッツを傍に置いて、あなたは笑ってるの。

ナッツが笑ったことに喜んでいるけど、そもそも笑顔を奪ったのは私たちよ。
キスをおねだりした?こんなところに閉じ込めて他者を排除し続けてきたんだから、他に縋れる相手もいなくて当たり前じゃない。


「ねぇクロロ、あなたどうしてナッツを傍においておくの?」
「は?」


もちろん私だって傍にいたい。だけどそれはナッツの幸せには繋がらない。ナッツはここにいる限り一生不幸だわ。私たちとは価値観が違いすぎる。
ナッツの幸せを思うなら、私たちは傍にいるべきじゃない。


「何言ってるんだ、そんなの俺がナッツを欲してるからに決まってる」


…ああそう、この人は盗賊としては最高だけど、男としては最低よ。



***



「私は他の生き方もできる。ここじゃない場所で、一緒に生きていきましょうナッツ」


簡単にナッツが了承するとは思わなかった。
だけど私は真剣だった。

エメラルドグリーンのカーテンがやさしく月明かりを映す彼女の部屋。
ベッドに腰掛ける彼女の前で、私は膝をついて懇願した。


「パクちゃん…?」
「たぶんマチもついてくるわ。男共はちょっと…難しいと思うけど…」


痛々しい包帯の巻かれたナッツの両手を軽く握って自分の額に押し付ける。
ここにいれば、きっとあなたをどんどん苦しめることになる。逃げてほしい。どうかあなたには幸せになってほしい。

けれどナッツの心は戸惑うばかりで、私の言葉に一切喜んではくれていなかった。


「パクちゃん急にどうしたの、落ち着いて。何かあった?今お茶いれるよ、ほら、ここに座って」
「わかるでしょうナッツ、あなたは私たちといるべきじゃない。このままここにいても、あなたは幸せにはなれないわ」
「…うん、それは、わかるよ」
「じゃあ…」
「けど僕には守らなきゃいけない子もいるし…それに…もうみんなを、クロロ君を、傷つけるのも嫌なんだ」


何も嘘は言っていない。心の底から、本心。
今も自分の幸せについてよりも、私やクロロのことばかり考えている。

ナッツの心を読んだのはこれが初めてだった。
わけもなく泣きそうになる。こんなにきれいで純真な心には触れたことがない。


「…せっかくの申し出なのにごめんね」
「っけどクロロは、ナッツのことなんて考えてないわ!自分のことしか考えてない!そんな人の為に…」
「え?そんなことはないよパクちゃん。クロロ君は僕のことも考えてくれてるよ」
「そんなこと…!」
「ほんとほんと。もちろん我儘が過ぎるところはあるし、結局のところ自分の思い通りにいかないと納得しないところはあるけど、それでも彼なりに考えてくれてたりするよ」
「そんなの…じゃあ結局、ナッツがずっと我慢しないといけないんじゃない…」


私ならもっとナッツのことを第一に考える。ナッツが笑顔でいられるようたくさん努力するし、ナッツがしてほしいことはなんでもするし、自分の我儘で振り回したりは決してしない。
私ならナッツを助けられる。我慢なんてしなくていいの。

説得しようと開きかけた口は、中途半端に止まってただ息を吐き出すだけになる。
ナッツの悲しみに染まりきったエメラルドの瞳が、私を射抜いていた。


「…どこにいたってそうだよ。離れてた間の二年間もそうだった。新聞、テレビ、噂話…君たちの姿はどこにいたって見えていた。拭い去れない気持ちが付いて回った。どこにいたって変わらないんだ。だから、いいんだよ」


鈍器で頭を殴られたかのような衝撃。
堪える間もなく、私の目から涙が零れ落ちた。ぽろぽろと次々に零れ、頬を濡らす。

私は今、クロロ一人が悪者であるかのように仕立てあげようとしていた。
けどそうじゃない、私たちが盗賊として手を染めたあの時点で、皆同罪。等しく彼女を苦しめる要因だったのだ。

これからここを抜け出そうと、私一人が変わろうと、彼女の中では何も変わらない。
もう手遅れなんだわ。クロロもそれをわかってる。だからこそ傍に置くのね。
遠ざけても傍に置いても同じなら…私も前者は選ばない。


「ごめんなさい…ナッツ…ごめんなさい…」


ナッツは私を抱きしめて背中をさすってくれた。
まだ幼かったあの頃と同じように。


「泣かないでパクちゃん。僕は君たちを恨んでないし、責めてもないよ。いつだって、君たちの笑顔を見ていたいから」


それは昔と変わらない、慈悲に満ちたあたたかな笑顔だった。
昨日までの、少し無理をした笑顔ではない。

元々は自分で奪ったものだとしても、いや奪ってしまったものだからこそ、再び与えられるとなんて嬉しいの。

今更になって今日のクロロの気持ちが痛いほどわかる。次は嬉しい涙が止まらない。




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