絶望×成長×やさしくて苦しい口づけ
強引に顎を持ち上げられ、唇を重ねられる。そして頑として閉じていた口も、信じられない力で両頬に圧力をかけられてこじ開けられた。
あまりの気持ち悪さに生理的な涙が滲んでくる。
僕は拳を振り上げた。だけどそれがヒソカの頬に叩き込まれようとした瞬間、手を捕まれて止められる。
ミシリ。圧力で骨が潰れる音がした。
僕は無我夢中になって膝を彼の脇腹にめり込ませた。そして、僕が放させたというより彼の気が済んだという感じでぱっと両手が離されて、僕は自由になる。さっと距離をとって乱れていた呼吸を整えた。
彼の方はというとさっきまでと何も変わらない笑顔で、じっとこちらを見ている。違うとこと言えばズボンの上からでも分かる股間の膨らみぐらいだろうか。
「んーどんな隠しネタがあるのかと思ったけど、やっぱり普通だなァ」
ヤるとすごいのかな?なんて言葉を吐くそいつが純粋に怖かった。
再び伸ばされた手を払いのけようにも、トランプの刺さった手も骨の潰れた手も、どちらももう使いものにはならない。
どうしようどうしようどうしよう。
「チル……」
だめだ、無駄だ、仮に歌わせることができたとしても、僕はもう耳を塞ぐことができないから歌を一緒に聴いてしまう。ライトがいれば僕が眠ってしまったとしても彼に運び出してもらえるが、体の小さなチルではそれは無理だ。
肩を捕まれてベッドに倒される。
近づいてきた顔を避けると今度は頬を叩かれた。
口内に血の味が広がる。そして彼の舌がその傷を舐めた。舌を噛み切ってやろうと構える。しかしそれを察したのか彼は顔を離し、ニタリと笑うと僕の内太ももを気持ち悪い手つきで撫で、首筋に噛み付いてきた。
「ひっ…」
「もう抵抗しないのかい?つまらないね」
裸で怯えていた、あの子供たちの気持ちが今痛いほどにわかる。
ただひたすらに怖い。指一本動かすことさえためらうほどに。
零れそうになる涙をぐっと堪え、流すものかと顔に力をこめる。それが今僕ができることの限界だった。
「……ん?何か聴こえるね」
「…?」
「歌、かな…」
「!」
チル?
いつの間に、一体どこに。姿が見えない。今まで僕の傍じゃないと出てこれなかったのに。
でも駄目なんだよチル、歌を聴くと僕まで眠ってしまうから。僕が目覚めるまでにライトが戻ってくればいいと思ってるのかな、あれは相当時間がかかると思うけど…
あ、もしかしたら僕らが寝てる間にクロロ君たちを呼びに行ってくれるつもりかな、そうだ、それがいい、
「チル、頼んだ…」
僕はゆっくりと眠りに落ちた。
目が覚めるとそこはふわふわの羽毛布団の上だった。
な、なんて快適なんだ。すごく気持ちいい。こんなに質の良い羽毛は初めて触った。
「うわ…もふもふ…きもちー」
「チルチル!」
「…ん?チル?」
なんと僕を包んでいた羽毛はチルのだった。
あれ、この子こんなにいっぱい羽毛蓄えてたっけ。確かにあの子の真っ白な羽はふわっふわで気持ちよかったけれども…せいぜい僕の顔を包むぐらいがやっとの大きさだったはず…
「チル…おっきくなったね」
「チル!」
よく見るとチルはあのちっちゃなチルではなくなっていた。
顔と胴体がセットになった丸っこい体してたくせに、にょきっと白鳥のような長い首が生えていて、背中は一人掛けソファ並の大きさがある。
彼女は僕をその背に乗せて悠々と空を飛んでいた。すごい。
「ライトの時と一緒だ…君らは急に成長期を迎えるんだね」
ちょっと切ない瞬間だ。我が子の急成長。ついてけない。
でも、
「…ありがとう、君のおかげで助かった」
「チルル」
こんな良い子に育ってくれて嬉しいよ。
君が居てくれて本当によかった。ぎゅっと首に抱きつこう…として、手が動かないことに気がついた。
痛い。すごく痛い。それに気づくと同時、いろんな感情がフラッシュバックした。
なんて、なんて恐ろしいところにいたんだろう。今更体がカタカタと震えてきた。
ヒソカは僕を殺すつもりだったんだろうか…わからない。あの行動すべてに、どんな目的があったのか。
少なくとも、僕の子供が好きという言葉を素直に受け取ったということはないんだろうなぁ。僕がどういう意味でそう答えたかぐらいわかっていたはずだ。あれは僕を困惑させるための手段。もしくは人質のつもりだったのだろうか。何にしてもほんといい趣味してる。
しばらくして戻った廃墟の前でチルは僕を降ろしてくれたけど、足に力が入らなくてその場で尻餅をついた。
心配そうに僕に顔を寄せるチルに、なんとか大丈夫だよとだけ告げる。
ぜんぜん大丈夫なんかじゃないのに。
「っ…」
むかつく、むかつく、むかつく。
もう一度道化に戻ろうとそう決めて、ここを笑顔で飛び出したのはつい数時間前のことのはずだ。
それが、こんな形で帰ってくることになるなんて。
「クロロ君…」
気がつけば彼の名前を呼んでいた。
「クロロ君…!」
次の瞬間、僕はぎゅっと誰かの腕に包まれる。
確認しなくたってわかる。僕の大好きな人の手だ。
「クロロ、君…クロロ君…!」
「ああ、大丈夫、無理に何も言わなくていい」
「僕が、もっかい道化になりたいなんて思ったのが、いけなかったのかな…僕はもう、望んじゃ、だめなのかな…」
「そんなことはない。お前はなんでも望めばいい。俺がなんでも叶えてやる」
クロロ君はやさしく僕の頭を撫でてくれた。
抱きしめ返したいのに、動いてくれない手が憎たらしい。
「…ヒソカか…」
僕の腕に刺さったままのトランプを見て気づいたらしい。少しクロロ君の瞳孔が開いた。
「これ、抜いてもいい?」
「うん…抜いて」
ずるりと引き抜かれた血まみれのトランプ。微かに見えた柄はたぶんハートのエースだった。
ぐしゃり。それがクロロ君の手の中で潰される。
僕は何故かその光景に安堵した。
「…悪かったナッツ…あいつはさっさと始末しておくべきだった」
「ううん、クロロ君は何も悪くないよ。団員同士のマジギレ禁止ってルール、僕好きだよ……ん」
唇が重なって、目を閉じた。
時折彼の舌が口内の傷を掠めるとぴりりとした痛みが走る。けれどそれは苦痛でもなんでもなく、すべての呼吸すら奪われるようなその息苦しさも、心地よかった。
しばらくして唇が離される。その時クロロ君は、とても悲しい顔をしていた。
「本当に、ごめん…」
やさしい子。
関わるなって前もって教えてくれてたのに関わってしまった僕を、一切責めないんだね。
クロロ君は団長さんだ。自ら決めたルールを自ら破ることはできない。
つまりこの子はヒソカのことをどうすることもできない。それが蜘蛛のためにならないから。
だから余計に、自分を責めてしまうんだろうね。本当に、君は何も悪くないのに。
「クロロ君」
「ん?」
「もっと」
僕は自ら彼にキスをした。
今日のことは、他のみんなには黙っておこう。
みんなやさしいから、みんなこのことに心を痛めてしまうだろう。ヒソカを殺そうとしてしまうかもしれない。それは駄目だ。ルール破りを犯させてしまうわけにはいかない。
このことは二人の胸に留めておこう。
それを告げると、クロロ君は眉間に皺を寄せたまま頷いた。
「…とりあえずマチに手当て、してもらうか」
「うん」
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