CLOWN×CLOWN


誤解×蜘蛛×新たな舞台


念によって可視化していたサーカス団の団長が姿を消して、ナッツは俺の腕の中で泣きじゃくった。

サーカス団に悲劇らしきものが起こったのがいつなのかは知らない。
だがおそらくそう短くはないその時から今までの間、こいつは一度も泣いていなかったのだろうと俺は思った。ダムが決壊したかのような涙はいつまで経ってもとどまることを知らない。

このクラウンはクラウンであるが故に悲しい≠ニいう感情すら誤魔化して、受動的ニヒリズムに身を委ねてきたのかもしれない。
なら今ここで笑顔を忘れて涙で顔を濡らしているこの道化は道化なんかじゃなくナッツというただの人間なのではないか。
そう思うと俺の中をなんとも言えない優越感が満たした。他の誰でもなくこの俺が、こいつの道化としてのあの高い高いプライドを引っぺがした。
それこそ俺が欲しかったものだ。どれだけ想っても求めても子供扱いしかされなかった俺が、ずっとずっと欲してやまなかったものだ。

俺は彼女を強く抱きしめた。
十年前から変わらない、愛しいという思いが褪せることなく俺を支配している。

「…寝たか」

しばらくして、ナッツはまだ時々肩を震わせながらも泣き疲れたのか再び眠りの世界へ落ちた。
三日も眠っていたというのにまだ眠れるとはと少し驚く。
まぁあの念獣が消えた時に、大幅に奪われていたオーラはちゃんとナッツ自身に戻ったようだから身体的には問題ないだろうが。普通に、泣く≠ニいう行為は疲れるんだろう。

「俺たちも、そうだったか…」

ナッツが消えたあの日…散々泣いて、やっぱり泣き疲れて眠ったような気がする。

十年も前のことだが、俺はナッツと過ごしたあの期間を鮮明に覚えている。
幸せというものを感じた日々は、後にも先にもあの頃だけだ。忘れられない。夢のようだった日々。

けれどナッツがいなくなったその瞬間、夢は急に覚めた。
それからしばらくのことを、俺はよく覚えていない。ただ、どいつもこいつも抜け殻のようだったと。それだけを覚えてる。同じ十年前でも、随分と記憶に差がある。

それほどに、俺にとって重要だった存在。
それが今…俺の腕の中にいる。

「…ナッツ…」
「団長!」

…げ。

「ナッツ姉起きたの?声が聞こえた気が―――」
「団長…何してるんだい」
「待て、抑えろ、ちゃんと理由はある」
「団長、ピエロ泣かしてるね」
「離れろよ団長…!」
「だから待て、違う、落ち着け」

わかってる、弁解の余地がどこにもないことぐらい。
ベッドの上の二人。濡れたナッツの顔。小さな体を抱きしめる俺。そして唯一俺を助けてくれそうな当の本人はというと、相変わらず夢の中。
どう見たって俺がナッツを無理やり―――って図にしか見えないのは知ってる。
だが、だからってこれ、黙ってるわけにはいかないだろう。

大人しくしてたら殺られる。

「団長…失望したぜ」
「何か言い残すことは?」
「だから待てってさっきから言ってるだろ」

とりあえず全員その殺気を仕舞え。
まずそこから話し合いを始めよう。

「問答無用」
「…マチ…」

…ああそうだな、わかってるって。
こいつらナッツのこととなると、一切自制が利かなくなるってことぐらい。
俺はスキルハンターを手にした。余裕こいてる場合じゃない。



***



「なんだ、そんなことがあったんだ」
「ならそうとさっさと言ってよ。そしたらあたしも無駄に力使わずに済んだのに」
「…俺は待てと何度も言ったはずだ」

なんとか団員たちを大人しくさせた頃にはお互いぼろぼろだった。ナッツは何事もなくベッドでぐっすり眠っている。あの騒動の中こんなに健やかに眠れるなんて、やっぱりこいつは大物だ。
にしてもなんだ、8対1って。
団員同士のマジ切れ禁止ってルールを、何度説明すれば覚えてくれるんだお前らは。

「ねぇ団長、じゃあナッツ姉旅団に入れようよ!」
「おお、それ俺も賛成だぜ団長」

シャルの提案にフィンクスが大きく頷いた。今蜘蛛には欠番が一つある。
…フリーのピエロ。いわば自由の身。どこに属するも全てナッツ自身が決める。
そして俺たちの誘いを、彼女は断らないだろう。盗賊団だとわかっていても、世に背いたことだと知っていても。彼女は笑って了承するだろう。そういう人だ。
しかし―――…

「あたしは反対だよそんなの」

そうマチが、憮然として答えた。

「ああ?」
「ナッツ姉、相当の念使いだと思うけど。何か問題あるの?」
「ハァ…フィンクスもシャルも、さりげなく後ろで頷いてたウボーもノブナガも、どいつもこいつも馬鹿じゃないの?」
「!ってめ―――」
「あんたら、師匠の替えが利くと思ってんのかい?」
「!」
「旅団メンバーは、いつでも替えの利く蜘蛛の足。あんたらは師匠を、そんなものにしたいわけ?」

あたしは絶対に嫌だね。
きっ!と睨みつけるマチに、シャルとフィンクスは何も言い返せなかった。
気まずげに視線を逸らし、己の発言を後悔している様子だ。
それでいい。俺はゆっくり口を開いた。

「…俺も、ナッツを旅団に入れるのは反対だ。というかそんなことは許さない」
「団長…」
「俺には、ナッツの替えになる人間なんてものがこの世に存在するとは思えない」

旅団に引き入れる―――
それは確かに、俺たちにナッツという存在を繋ぎとめるには手っ取り早い方法だ。
だが俺は、そんなものは必要ないと感じる。

「…心配しなくたって、ナッツはここにいるだろう」

なぁ?
そんな縛りがなくとも…彼女にはもう、あるべき場所などないのだから。

ピエロの役目は演目の間繋ぎ。
必要なのは、客の笑い。
だけどお前の悲劇の幕は、とっくに下りているはずだ。
間繋ぎも笑いも必要ない。
必要なのは、次の舞台の準備だけ。

「ゆっくり眠れよ、ナッツ」



―――さぁ…新たな舞台の準備は、整っただろうか。


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