CLOWN×CLOWN


見習い×記憶×泣けない泣き虫


サーカスに拾われた僕。

最初の頃は、雑用係として働いていた僕。
いつしか、クラウンとしての技を見よう見真似で覚え始めた僕。

道化見習いに、なった僕。

『うわああああん!』

そんな僕は、テントの裏で一人泣きじゃくるのが、日課だった。


『おやおや、どうしたんだいナッツ。何を泣いてるの』
『!団長…』
『何があったんだい?言ってごらん?』

僕は意地っぱり。でも泣き虫。
だからみんなの前では絶対泣かないけど、いっつも一人ではわんわん泣いてた。

それは例えば、いじめっこ団員の悪戯に対してだったり。
上手くいかない道化見習いの修行に対してだったり。
転々とする街々やスラムで出会った友達との別れに対してだったり。
事あるごとに一人膝を抱える僕は、泣くという行為に慣れた子供でもあった。

『…今日も、失敗した。玉から落ちた』
『失敗したから、泣いてるの?』
『…うん…』
『ナッツ、失敗を糧にできないようじゃクラウンには……いや、この先何もできないよ』
『………』

わかってるけど。知ってるけど。
僕は意地っ張りの、負けず嫌いだから。
泣いてしまう。
きっとそんな僕には、クラウンなんて向いてなかった。

『ナッツ、教えてあげよう。舞台の上で泣いていいのは、ピエロだけだよ。ナッツ、君はピエロじゃない。クラウンだ。…僕が何を言いたいか、わかるかい?』
『…ピエロは涙の意味を知っているけど、クラウンはそれを知らない。悲しいことなんて何も考えずに、笑うだけ』
『うん。君はクラウンになれる、才能ある子だ。だから自信を持ちなさい。君なら、引退後の僕の代わりだってできる』
『ほんと?』
『ああ。もうちょっと先の話になるだろうけどね』

思えばあれは、あの人がくれたやさしい嘘。
意地っ張りで負けず嫌いで泣き虫な、とことんクラウンには向いてない僕への。

―――その嘘を本当にするために、僕は必死になった。

『だからナッツ、泣くのはおやめ。毎日毎日、一人で頬を濡らすのは寂しいだろう?笑って生きる方がね、人生はきっと楽しいよ。僕はいつだって、君の笑顔を見ていたい』
『…僕がいつも泣いてたの、知ってたの?』
『みんな知ってるよ。そしてみんな、それを辛いと思ってる。クラウンだけじゃなく、サーカスは団員みんな、人を笑顔にするのが仕事なんだからね』
『………』
『君の泣き顔なんて、誰も見たくないんだ』
『…わかった』

ずっと泣いちゃ駄目とは言わないよ。
ただね、今いるこの舞台の上に立ち続けたいのなら、涙を見せてはいけないよ。

『次に泣くのは、舞台を降りてからにしなさい』

本当に辛いことがあった時にまで、涙をため込むのはいけない。
だからその時は、泣きなさい。思う存分。その涙が枯れるまで。

そして次の舞台へ乗った時。幕が上がった時。
その時は、再び笑顔で立ちなさい。

『つまりね、』

新しい舞台のためになら、いくらでも泣いていいから。
大事なリセットボタンは、それまでとっておいて。

『―――はい!』

意地っ張りで負けず嫌いで泣き虫な僕は、その日に消えた。

失敗してみせて、笑われて、笑う。
僕はクラウンになった。














「―――!ナッツ!おい聞いてんのか?!」
「へっ!?え、何?」

突然ジンさんに肩を揺すられ、僕は眼を瞬かせた。

「…聞いてなかったな」
「え、いや、ごめんぼーっとしてた。えーっと…何?」
「話の途中でよくぼーっとなんかできるな」
「ごめんなさい」
「…答え辛ぇこと聞いたみてぇだな…悪かった」
「…えーと…何聞かれたんだっけ?」
「………」
「ごめんなさい」
「…お前に家族はいるのかって聞いたんだよ」
「ああ、」

そっかそんな話だったっけ、とどこか霞がかった頭で考える。
あれ、なんで僕こんなにぼーっとしてるんだろう。
でもなんだか幸せな気分だ。さっき一瞬、団長の顔が見えた気がする。

「家族…」
「言いたくねぇならいいんだ」
「家族は…」
「…おいナッツ」

団長、ニ―ナ、アンジェリカ、シロ、ニック、マリヤ、トム、クルト、ココ、フィリップ、ジェリーにナージャ…

―――家族なら…





***





特に意味はなかった。
ただ、独りぼっちで放浪する道化について、少し興味が出ただけだ。

「お前、家族はいねぇのか?」
「え?」
「………」
「………」
「…………」
「…………」
「…………?」

そこで奴はフリーズした。
透き通るようなエメラルドを空気中に晒しながら。おい目ぇ乾くぞ、とそんな言葉もどうやら届いていない。

幸せな一般家庭があるような人間じゃないだろうとは思っていたが、予想していた以上にそれは触れちゃいけない部分だったらしい。
悪いことをした。これは気軽にしていい質問じゃなかった。

「悪い、やっぱ何でもねぇよ」
「………」
「…ナッツ?」

一向に瞬き一つしないそいつに違和感を覚える。
なんだ、これ、ちょっとあぶねぇんじゃねぇのか。

「ナッツ」
「………」
「ナッツ、おいしっかりしろ」
「………」
「ナッツ!聞いてんのか!?」
「―――へっ!?」

肩を掴んで揺すりながら叫んでやると、ナッツはやっと戻ってきた。
それまでの分を取り戻すかのようにしきりに瞬きをしている。
はぁ、と俺は小さくため息をついた。

「家族は…」
「おいナッツ…」

いねぇんだろう。無理しなくていい。
お前はあえて独りを選ぶような人間じゃない。
独りでいるしかなかったんだな。

「…いるよ、たくさん」
「…!そうなのか…?」

こくりと、ナッツは俺に笑顔を見せながら頷いた。

「大好きで大好きで大好きなみんながさ。…今は、会えないんだけどね」
「…会えない?」
「うん。でも僕が同じ舞台で待ってればね、きっとまた会えるんだ」

…やっぱり、こいつに家族なんて存在はいない。
そう気付いた。

泣かずにいたら∞元気でいたら∞待っていたら
―――また会える。

そう考えることで子供は、人の死を受け入れることを拒否する。
それは自己催眠の一種であり、脆く弱い、自己防衛の手段である。
希望を胸に抱き続けることで、自分を守ろうとする…
それはつまり、『死』に捕らわれている証拠だ。

「…あのな、ナッツ…」
「本当だよ?だって僕はまだ、リセットボタンを押してないんだ」
「は?」

何の話だ一体。

「あのね、まだ幕は下りてないんだ」
「幕?」
「うん、そう。みんなプロだもの。幕の上がってる舞台をほったらかしにしたまま、帰って来ないような人間じゃない。だから…大丈夫」

…まったく話がわからねぇ。
大丈夫なんて顔もしてねぇ。わかってんのかこいつは。
普段からなんかおかしい奴だが、今日は特におかしい。
そんな主人が心配になったのか、ライトもいつの間にか出てきてナッツに擦り寄っている。

不安定。

改めて、こいつにはそんな言葉がぴったり当てはまると感じた。
そして、ふと以前考えたことが頭をよぎる。

「ナッツ…ライトがお前の前に初めて現れた時のこと、覚えてるか?」
「え?」
「怖いとか寂しいとか、何か人が恋しくなるような…そんなことを思ったんじゃないのか?」
「…どうゆうこと?」
「ライトは、それに反応して生まれたんじゃねぇのかと思ったんだよ。そいつはお前の心に敏感だろ。それはお前の『感情』もしくは『深層心理』そのものがそいつを作り出したからなんじゃ…」
「……へぇ」

…当たりか?

ナッツの反応からして、あながち俺の考えは遠くはないらしい。
ならナッツ…
お前が独りになったのは、そう遠い過去の話ってわけじゃねぇんだな?
つい最近。ほんの数日前。
独りぼっちのピエロが望んだのは、傍にいてくれる『誰か』
そして生まれたのが、意思を持った念獣。新たな命。

…そこまで大きな思いがありながら…
こいつ自身は、それに気付いていない。

「ナッツ」
「…何?」
「死んだ人間には、もう二度と会えない」

悲しみを押し殺し過ぎて。
その大きさに、目を逸らし過ぎて。

いつしかどこかに置いてきた。

喉元過ぎれば熱さ忘れる、か?冗談じゃない。
そんな簡単なもんじゃねぇんだよ。

「そうだね」
「………は?」

……………。

「え?今なんつった?」
「そうだねって」
「何が?」
「?死んだ人間にはもう二度と会えないってやつ」
「…はぁ」
「だから、そうだねって」

知ってるよそんなことぐらい。

そう言って笑うそいつは、わかってて言っているのかわかってなんかいないのか。
どちらにしても…

重症だ。

「それが、どうしたの?」

泣けない子供。
俺はそれを、初めて見た。
可哀想な奴だと思う。なんとかしてやりたいと思う。

だけどなんとなく、わかるんだ。


きっと俺には何もしてやれない。


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