CLOWN×CLOWN


少年×ナイフ×勝てない運命


「そのタイプのナイフはそんな持ち方をすると危ないよ、ここはこう握って、この指はこっち」
「…なるほど」
「ねーねーナッツ姉ー!」
「はいはいちょっと待ってー」

ナッツは、自分の知る限りのいろいろを俺たちに教えてくれようとしている。
これからの修行方法や、段階の踏み方…そして修行のことだけじゃなく、いろんな国のこととか世界のこととかもたくさん。それはナッツ自身の生き方≠竍人生≠ニいうもので。それを俺たちに聞かせるナッツは、近頃ずっとなんだか焦っているし、不安がっている。

そんな道化は明日、ここを去る。








「みんな上手いねー、その調子なら完璧に会得できるのもすぐだよ。」
「あ、あたしも、ししょーみたいに強くなれる?」
「うん。マチちゃんは頑張りやさんだから大丈夫。」

くしゃくしゃっとマチの頭を撫でてナッツは笑った。
それに続いてシャルも「おれもー」なんて寄っていく。

遠くからでもよく見えたサーカスのあの派手なテントは、今朝畳まれた。鮮やかなストライプは姿を消し、あたりはナッツがやってくる前の風景にどんどん戻っていく。何とも言えない虚しさが心を占める。

「フェイくーん、テン≠ェ乱れてるよ気をつけてー」
「ナッツ、どうしてあなたにはみんなのオーラが見えてるの?」
「ああ、これはギョウ≠チて言ってね、オーラを目に集中させることでオーラが見えるようになるんだ。」
「…なんねーぞ」
「だってノブナガくん、それできてないから。まだちょっとみんなには難しいんじゃないかな。」

自分はナイフの手入れをしながら、俺たちの修行の様子を眺めているナッツ。
その様子はいたって普通で、明日にはもうこの光景は存在しないだなんて信じられない。

「ナッツ、明日は何時に出発すんだ?」
「ん?早朝に発つよ。いつもならたぶんみんなまだ寝てる時間だと思うけど…お見送りしてくれたら嬉しいな。」
「わかった。」

「…見送りなんてしない」

「…え?」

俺の言葉に全員が振り返った。
向けられるのは、戸惑う目と信じられないと語る目と、どこか期待に満ちた目。


「ナッツ、お前は行かせない」


考えた。
ずっとずっと、考えた。
これは考え尽くして、出した結果だ。

「クロロくん…?」

俺は今更、お前を手放したりなんかできない。

俺たちにはお前が必要だ。
こんだけ俺たちの中に入り込んでおいて…
簡単に出て行くなんてこと、許さない。

「ここに残れ」

俺が真剣だとわかったのか、ナッツは笑うでもなくまっすぐ俺を見つめ返してきた。
そしてその目で「ごめん」ともう何度も聞いたその言葉を紡ぐ。

「じゃあ力づくでも、止める」
「ちょっとクロロ、やめなさいよ!」
「クロロ、手伝うぜ」
「私もね」
「フィンクス、フェイタンまで!」
「お、おいお前ら…」

…もっと何人か乗ってくるかと思ったのにな。
わかってる。乗ってこない奴らは奴らで、考え抜いたんだ。

何をすることが正解か。何を優先するか。
俺が優先したのは…俺自身だ。

「力づくで、どうするの。僕に"ここに残ります"と神にでも誓わせるかい?」
「神なんて俺は信じてない」
「じゃあどうする?」
「手足の骨叩き折る」
「おお怖い」

本気で焦ってるのはパクやシャルたちの方で、ナッツは既にいつも通りの笑みを浮かべている。

"余裕"
その二文字がありありと見えて、腹立たしい。
しかしまぁそうだろうな。今の俺たちとナッツとじゃ実力の差は大きい。

でもまったく勝ち目がないわけでもないだろう?
俺は本気でお前を倒しにかかるけど、お前は絶対そうはできない。
本気で俺たちに攻撃なんて、お前にはできない。

「…じゃあ、今までの修行の成果でも見せてもらおうか」

まずフェイタンが走り出した。
けれど蹴りも拳も、いとも簡単に止められる。

続いてフィンクスが仕掛けても、まるで子猫がじゃれついているのをあしらうかのよう。
俺の攻撃もあっさりとかわされた。ナッツの余裕は一切崩れない。

何一つ掠りすらしないことに苛立ちが募り始め、俺たちの息はすぐに上がった。
駄目だ、甘かった。普通にやったところで勝てるわけがなかった。
何か考えないと。何か。

「おいお前ら、いい加減にしろ!無駄だってわかんだろーが!」
「じゃあお前はナッツがいなくなっていいのかノブナガ」
「っそれは…」
「ナッツを困らせないため。ナッツの気持ちを優先するため。そう考えて感情を抑えるお前らは大人だな。だがそんな考えは…後に後悔しか生まない」

ここで何かしないと。ここでどうにかしないと。
俺は一生後悔する。
…そうだここは、どんな手を使ってでも。

「なぁナッツ」
「何だい?」
「さっき神がどうとか言ったよな、お前は神を信じているのか?」
「そうだね…これといって信仰する宗教はないけど、神様はいると思う」
「…じゃあやっぱり、お前に誓いを立てさせてやる」
「?」

俺は走った。
そしてナッツを通り過ぎて…不思議そうな顔を向けるナッツの前で、先ほどそいつが置いたナイフを手に取った。

「やめてクロロ!ナッツ姉はぶきなんてつかってないのに、ひきょーだよ!」
「ばか、ただのナイフ持って戦うだけでナッツに勝てるようになるわけないだろ」
「クロロ、わかってんなら…」
「ああ」

だから俺は、戦うのをやめる。

――――ザクッ

「クロロ、くん…?何をしているんだい…?」
「見てわからないのか?死のうとしてるんだ」

首からナイフに。ナイフから手に。そして手から地面に。
俺の血がゆっくりと伝った。

「クロロ!?」

誰かが叫んだ。
でもそんなものどうでもいい。別に俺は本気で死ぬつもりはない。

「ナッツ、俺を殺したくなかったらここに残ると誓え」

当然こいつは誓うだろう。だから俺は絶対死なない。
わかりきってることだ。ナッツは絶対、俺の期待を裏切らない。

「…クロロくん、バカな真似はやめなさい」
「誓え」
「クロロくん」
「誓え」

ぐっとナイフをどんどん首に食い込ませる。血が更に溢れ出した。
ほら早く、誓うと言えよ。

俺が死んでしまうぞ?


「誓わないよ」
「!?」


…嘘だ。

「なん…で…」

俺が死んでもいいのか?
俺を殺す気なのか?

「クロロくん…死ぬ気なんて、ないんでしょう?」
「っ俺は本気だ!」

この血の量を見て、本気だと思わないのか?
ただの脅しのレベルじゃないだろ。

「君は死ねないよ」
「は…!?」
「君はもう、『ただ生きる』以外の生き方を見つけたんでしょ?」
「!」
「君には、これからの計画があるんだよね?」

一歩、一歩と。ゆっくりと近づいてくるナッツ。
俺は思わず後ずさりをしたが、すぐに背中が瓦礫の山にぶつかった。

「僕に修行を頼んできた時からだ。あの時から君の中には、既にある程度の未来のビジョンができていた。それが何かだとか具体的なことはわからないけど…君はずっと、僕をその未来への足がかりだと思っていたんだろう?」
「………」
「気付いてたよ、ちゃんと。君の気持ち。若干の後ろめたさを抱いてることも…知っていた」

ナッツの手が伸びる。
そして、俺の首に食い込んでいる刃に触れた。
 
「そんな後ろ暗さを抱えてまでも…目指したい生き方があったんじゃないのかい?」

ずるりと、俺の手からナイフが引き抜かれた。

「そういう子はね、死んだりなんかしない」

ナイフの代わりに、首にあてられたのは真っ白なハンカチ。すぐに血を吸って真っ赤になったそれに、ナッツは苦笑した。
そしてどこからともなく取り出した包帯を、俺の首に巻きつける。結構ぐっさりいったからそんな処置だけじゃ足りないのはわかりきってるのに。

「まったく…一応手入れしてる刃物でも破傷風とか怖いんだからね、無闇に傷なんか作っちゃいけないよ。てかこれ縫った方がいいかな…」
「っ…必死だったんだよ…!」
「…うん」
「行くな、ナッツ…行くな」
「………」
「誓え、ここにいると、誓え…!」

結局俺は、血まみれな手でナッツに縋りついた。

情けないとかそういう自尊心や羞恥心は、軽くかなぐり捨てた。
何でもいい。お前がいてくれるなら―――俺は何でもする。
足がかりにするためでも、利用するためでもない。

ただお前にいてほしい。

「…わかった」
「!?」
「でもここにいると決めるわけじゃない。ただ君に…チャンスをあげよう」

そう言ってナッツが取りだしたのは、一枚のコイン。

「裏なら、僕は明日からもずっとここに残る。表なら…予定通り、明日僕はここを去る」

ドキリとした。
それはフェイタンの時にも使ったんだろう。
あの時は確か―――

「じゃあ、投げるよ」

表しか描かれてなかったって―――

「さぁ、どーっちだ」
「………裏」
「…さて、どうだろう」

俺たち全員、見た。
そのコイン―――


「…ざん、ねん…表だ」


―――ちゃんと表も裏も、描かれていた。

本当にお前は、運に賭けたんだな。
ここで生きてもいいと、思ったんだな。


「っ………!」


なのに俺たちは、その運に勝てなかった。

嗚呼、これが運命というやつだろうか。



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