CLOWN×CLOWN


長男×約束×お別れ宣言


ちび達はみんな、あいつの強さを信じて疑わない。
だが俺はそうじゃねぇと思う。
俺にはあいつが、とても弱い人間に見える。

いや、特別弱いってわけじゃねぇ。
同じだ、他のどの人間とも。
同じように弱くて、同じように脆い。

完璧な人間なんているわきゃねぇんだ。

ただあいつは、その弱さを隠すのがうめぇだけ。
それによってあいつは、どんどん泥沼に沈んでく。
隠した弱さを晒せる場所を持たず。後戻りさえできやしねぇ。


このグループの一番の年長者として…
俺はそんなあいつの、少しでも寄りかかれる支えでありたかった。








「とりあえずは、いつも通りの準備運動始めて」

淡々と指示を出すこの日のナッツは、どっか機嫌が悪かった。
んなことは初めてだ。いつもあいつは、陽気であたたかい。
感情の無い言葉をしゃべり、苛立ちを露わにするようなことなんて今までなかった。

だからこそなんとなく誰もその理由が聞けなくて、ただ黙々と修行をこなす。
その間瓦礫の山の上に一人腰を落ち着けるナッツは、何枚ものコインを指の間でくるくると泳がせていた。

「おいシャル、マチ。お前らナッツのとこ行ってこいよ」
「え?」
「お前らが傍にいると、あいつなんかふにゃんってなんだろ」

自分じゃあいつをふにゃんっとはさせられないと自覚のあるフィンクス。
ウェイトをつけてのよくわかんねぇストレッチみたいなもんをしながら、こっそりチビ二人に話しかけた。

「やだよ」
「なんでだよ」
「…さっきししょーのそばいったけど、ししょーずっとうわのそらだった」
「おれらのはなしなんか、きこえないんだよ」

そう答える二人は少し拗ねた風だった。
こりゃナッツの奴、重症だな。

「なんなんだろうな」

俺の呟きに、全員が肩をすくめた。
…どいつもこいつも、ナッツの仕草を真似しやがって。



***



昼になって、本格的に戦闘の訓練に入った。
方法は簡単。ただナッツに攻撃をしかけるという、それだけのことだった。
自分が我流だから型だのなんだのそんなものはないと言って。それも、たぶん俺たちの性には合っていた。堅っ苦しいことも小難しいことも俺たちには向いていない。

ずっと思ってた通りナッツは強かったし、簡単な修行でもかなり身にはついたと思う。
誰一人、ナッツに攻撃が通用した奴ぁいなかった。全員避けられるかいなされるか。

同時に、ナッツの攻撃を一度として避けられた奴もいなかった。
ナッツより体格のある俺ですら投げ飛ばされたりもした。

おまけに俺たちが息を切らし始めた頃でも、あいつはいつも余裕だった。
遠い。そう感じる。まぁそうでなきゃ修行にはならねぇんだが…なんか悔しい。

「みんなちゅうもーく」
「?」

ぜーはーと俺たちが息を切らしている休憩時間。
やっぱり今日一日ずっと不機嫌なままだったナッツが、急にそうして全員の視線を集めた。

「ずっと悩んでたんだけど、ギリギリになってから言うよりはいいという考えにたどり着いたので…今からちょっと大事な話を始めます」
「大事な話?」

フランクリンが怪訝に聞き返す。ナッツは曖昧に笑って頷いた。
それに全員がなんとなく勘づく。いい話じゃないな、と。

「…僕たちのサーカスがここに来てから、もう随分日が経つ。流れ者の僕らは一か所に長く留まること自体早々ないし、こうゆうスラムだと、食料なんかの関係で余計それはできないことになってる。僕は食糧庫の状況なんて全然知らないから具体的なことは何もわからないけど、ここにいられる時間はもう…あまりないと思うんだ」

俺にもたれかかって息を整えていたシャルが、大きく息をのんだ。
ノブナガやフィンクスも、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてやがる。
そうだ、俺たちは…今のような時間が、これからもずっと続くような気がしてたが。んなことありえねぇんだ。

「僕もね、みんなとの生活が楽しくて、そんなことすっかり忘れてたんだけど…今朝、団長に言われたんだ。『急ぎなさい』って」
「いそぐ…?」
「たぶん、移動する支度を始めなさいってことなんだ。さすがに明日明後日の話ではないだろうけど…どうだろう、あと五日…いられたらいい方かな」
「五日…!?」
「たった五日で、いなくなってしまうの…?」
「…ちゃんとこれからの修行方法は教えて行くから、大丈夫だよ」

そう言ってナッツは、力なく笑った。表情を作ることは舞台に立つ人間として必須の技だとかなんだとか言ってたってのに。お前はそれでちゃんと笑ってるつもりなのかよ。
全員、何も言えずに固まっていた。そんな中、マチが突然勢いよく立ちあがった。

「いかないでよししょー…!」
「マチちゃん…」
「ここにいてよ!あたし、ししょーとおわかれなんてできない!やだ!」

涙を目に溜めながら、ナッツの膝をぽかぽかと殴るマチ。
浮かんでいた力ない笑みが、悲痛の表情に変わった。

しばらくしてクロロが、マチに向かってやめろと言った。
けどマチは「やだ」を連呼することも、痛くもかゆくもないだろう攻撃を繰り返すことも、止めなかった。ナッツは黙ってそれを受け止めている。

「…マチ」
「ししょー、さーかすとあたしたちのどっちがだいじ!?」
「マチ」
「ずっとあたしたちといっしょにいてよ!!」
「マチ、やめろ」

だって、とマチは俺を振り返った。だが俺と目が合うと一瞬怯む。
…たぶん俺が、思っていたよりも真剣な顔をしてたから。

けれどそれでもマチは、「だって」や「でも」を繰り返す。
顔は涙でぐちゃぐちゃで、言葉には嗚咽が混ざる。

―――その気持ちは、俺たちみんなよくわかってる。

だがな、マチ。
シャルでも、ナッツに縋りつくのは堪えてるんだ。
顔は大洪水のくせに、我慢してんだよ。

「だって、あたし、あたし…」
「…ごめんねマチちゃん」

ナッツはやさしく、マチの体を抱きしめた。

…たぶん、仕方ねぇんだろ。どうしようもねぇんだろ。
引き留めようが泣きつこうが、それはそいつを苦しめることにしかならねぇんだろ。

だってそれが…ナッツの不機嫌の理由だったんだぞ?
あの、あったけー太陽みたいなそいつを、お前の大好きなそいつを、困らせて、苛立たせて、悩ませた。

それほどの、ことだったんだ。

それでも、駄目なんだ。




***




「僕今までにも、行かないでって言われたことはあるんだ」

ちょっと荷物持ちを手伝ってほしい、と俺を呼んだナッツは唐突にそんなことを言った。

「でも泣かれたのは、初めてだった」

そう言うそいつの顔も、なんだか泣きそうで。俺は無意識に目を逸らした。
さっきマチに泣きつかれてからのこいつはなんか見てらんねぇ。
いつも宝石みてぇに輝いていた目は曇ってて、どっか遠くを見てる。
ものすごく疲れた後みてぇな、何かを失ったみてぇな、そんな顔。

「人を楽しませるのが仕事のくせに、最低だよね」
「…いや…」
「…僕は、何をすれば…正解なのかな」
「…俺に相談か?めずらしいな」
「はは、いや…相談ではないよ。ただの弱音だもん」
「弱音?」
「だって僕はどうしたって…ここに残る、って選択はできないんだ」
「………」

…ああ、俺らみんな知ってる。
お前は根っこからサーカスの道化。お前は、自らそれを捨てる選択なんかできねぇだろう。それがお前だ。
だから俺たちぁ言わねぇんじゃねぇか。
みんなほんとは言いてぇけどよ。お前を困らせるだけだってわかってるから。だから言わねぇんじゃねぇか。

行くなって。

「…ごめんね、よくわかんないんだ、自分でも」
「わからねぇ?」
「うん。あのさ…一つの場所にこんなに長く留まったのって初めてなんだ」
「そうなのか?」

っていうか長くっつったってそんな、何年もいるわけでもねぇってのに。
サーカスってのぁせっかちだな。

「期間はいつも団長の気まぐれで決まるんだけど…今回は特に長い。今までは長くても一カ月だったから。でも今回は…もうどれだけ経ったかな、正確にはわからないけどまぁ少なくとも一か月以上はいるよね」
「ああ」
「だからつまり…その…こんなにも、サーカスのみんな以外の人間と関わったことってなかったんだよね…それで…わからなくなるんだ…家族とおんなじぐらい"愛しい"と思うようになった人ができてしまった場合、自分はどうすればいいのか」
「―――!」
「選択肢なんてあるわけないのに…なんでかわからなくなる。もやもやする。そんな自分に、いらいらする」

サーカスのテントにむかって歩いていたナッツの足が止まった。
そして「ちょっと座ろうか」と先に適当な瓦礫の上に腰かける。
荷物は?って聞いたら黙って顔の前で手を振られた。

驚いた。
これは荷物持ちなんてのはただの方便で、たぶん…俺とこうして話をすることが目的だったんだ。

………なんで俺?

「おい…」
「…ああああ、ごめんね、愚痴がしたいわけじゃないんだ、うん。本題はそこじゃない」

突然頭を抱え始めたナッツに苦笑しながら、俺はその隣に腰かけた。
 
「…うん…このもやもやは、きっとしばらく晴れない。それはわかってるけど、さっき言った通り…僕はここを出る。もう二度と会えないかもしれない。でも運がよければ、いつの日か再会だってありえるかもしれない。でもそんなの、何もわからない。僕がここからいなくなること…それだけが、確実なこと」
「……ああ」

引き留められるのかもしれない。
さっき、そう一瞬思わないこともなかった。
だがそんなこた無駄だと、改めて知らされる。望みはない。

「…だからね、一番お兄ちゃんのウボォーくんに、一つお願いをしていいかな」

お兄ちゃん…な。なるほど。
今この場にいる人間に、俺が選ばれた理由か。

「…はっなんだよ、お願いってのぁ。何でも言え」
「あの…もし…もし、さ、将来みんなが力の使い方を誤るようなことがあったら。もし、みんなが己の力におごるようなことがあったら。その時は…手遅れにならない内に、止めてあげて」
「…ナッツ…?」
「そしてもし、それが手遅れで…その上そんな己に悔いるようなことがあった時。その時は…」

その時は?と聞き返した俺に、ナッツはどこか寂しげな笑みを返した。

「自分を責めるなと、伝えてあげて」

それが正解なのかは、わからないけど。わからないまま、僕は消えるけど。
そうナッツは続けた。

「恨むならあの時のコインを―――自分自身ではなく、あの時の運を恨めと」
「―――!」
「そう、教えてあげて。…本当は、僕を責めろって言えたら、一番格好いいんだけど。いくらそれが何年も先の話だとしても、たとえもう君たちに会うことがないとしても、やっぱり…」

君たちに嫌われちゃうのだけは嫌なんだ。

「想像しただけで泣きそうだ。だからね、恨むなら運だよ運」
「運、なぁ…」

それがイカサマの理由、か。

俺たちに、戦い方を教えることに決めた。
けどその責任を負うのが怖かった。
だから…逃げ道を作った。

「…やっぱり」
「ん?」

こいつぁ弱い。

けど。だけど。
俺ごときの加護やちんけな支えを欲しがるほど、馬鹿ではないし弱くもない。
ちゃんと逃げ道は用意されてて。はまった泥沼の底にだって、到底たどり着く気はない。
ずるいな、お前は。

弱ぇけど、やっぱ強ぇんだ。

「…僕はね、ものすごく無責任な形でここを去ることになってしまったから。とてもとても、不安なんだ。何がって、僕が大きく変えてしまった君たちの未来が」

俺は曖昧に笑った。
お前は心配をし過ぎだ。
お前に教わったこと全部、俺たちにとって悪いように働くわけなんてねぇってのに。
一体どこまでのことを考えてんだお前は。

「まぁ単純な話…笑って生きていてくれたら、それでいいんだけどね」
「!」
「さっきは、みんなが間違ったら止めてなんて綺麗事を言ったけど。本音を言うと…悪いことしようが何だろうが、いいんだ。それを職業にしたって、それでご飯食べたって、いいんだ。だって人生、仕方のないことっていっぱいあるもの。君たちがいつかこのスラムを出て、力を誇示するような生き方しかできなかったとしても…仕方ない。そんな世界を作った神様が悪い」
「そんなもんか」
「そんなものさ」

日が傾き始めた。
遠くから徐々に赤が広がって来る。

ああまた、一日が終わる。

「とりあえず、自分や僕を責めたくなるような状況が生まれなきゃ大丈夫。ウボォーくんのこれからの任務は、それを絶対阻止すること。よろしくね!」
「…俺たちがお前に教えてもらったことを後悔するなんてありえねぇから、安心しろ」

あと五日、か…
別れなんて今まで考えてもみなかったってのに。
俺たちはこれからどう過ごせばいい?

まだ終わるな、今日という日よ、まだ終わるな。
明日なんてこなくていい。

そこまで考えて、やっと気づいた。
弱いのはこいつじゃない。俺たちの方なんだ。

「…くそっ」


時間は止まらない。
今日という日は必ず終わる。
別れの日は、刻一刻と近づいてくる。


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