侍×紳士×キライなあいつ
俺はどうにも、あのナッツというピエロが苦手だった。
いい人≠フ代名詞になれそうな奴で、他の連中はみんなそいつが気に入ってる。
だが俺はあいつを受け付けない。
人に笑われる、道化という職業。
夢見がちで浮ついた台詞。
ピエロのくせに紳士ぶる振る舞い。
どれも、嫌いだ。
「ノブナガくん、それパクちゃんの分だから食べちゃ駄目。」
「んだよ、いねぇあいつが悪いんだろ?はやいもん勝ちだ。」
「違う」
一つ残ったパンに伸ばした俺の手は、パシンと叩き落された。
確か昨日も似たようなことがあった。昨日はシャルの分だったか。
「ノブナガくん、男はいつだってレディにはやさしくしなきゃならないんだよ。」
「レディ、ねぇ…」
「そう。早い者勝ちって言葉の前に、まず"レディーファースト"っていう言葉を覚えた方がいい。」
「へーへー」
ノブナガ叱られてやんのーと誰かが馬鹿にしてきた。
それも俺は「けっ」と適当に悪態ついて流すだけ。
面倒だった。
ナッツの話を聞くのも、ナッツ信者と化している連中の相手をするのも。
「あ!パク、あのねーノブナガがパクのぶんのパンたべようとしてたんだけど、ナッツ姉がまもってくれてたよ!」
「おかげでこいつは"レディーファースト"を覚えたらしいぜ、がはははは!」
「今日からノブナガは紳士になるね」
「あら、ありがとうナッツ。ノブナガ、よかったわね」
…なんでこいつらは、こんなペテン紳士が好きなんだ。
まったくもってわからない。
はっきり言ってウザい。
ナッツも、お前らも。
なんでお前らはピエロなんかを慕う?
あんだけ人に馬鹿にされてもへらへらしてるような奴を、どうして慕える?
俺はイラついて仕方ない。わざとミスをしてわざと笑われる、そんなピエロの姿に。
そしてそんなふざけた職を、誇らしげにしているナッツの姿に。
なんかこう…いつも胃のあたりがむかむかする。
「前から思ってたが…ナッツって女が好きなのか?」
ああさらにむかむかしてきた。
近頃フィンクスの、ナッツを見る目が変わった。
まぁ所謂、そういう目だ。
それも甚だ理解できない。女っ気なんざ欠片もねぇピエロに、何故?
以前「正気か」と真面目に問いたくなったが、寸前で留まった。
正気だ、と真剣に返されたら俺はもうどうしたらいいかわからないからだ。
とはいえ、ナッツがそれに気付いている様子はまったくないが…
「女が好き…?いや、別に好き嫌いに性別のこだわりはないけど…」
「ならちゃんと男に惚れんのか!?」
へ?と、ナッツは間の抜けたツラを浮かべた。
それから、「え」とか「う」とかの言葉にならない言葉を発しながら一気にキョドりだす。察するに、こりゃ苦手な類の話なんだろう。
笑顔を浮かべようとしたが失敗して、ものすごい顔に出来上がっていた。
「さ、さぁ…どうなんだろ。女性にも男性にもそういう興味を抱いたことはないから、わからないな。」
「男経験はないのか」
「ぶーっ!!」
そのクロロの台詞が止めだった。
自業自得とばかりに水噴射の被害にあったクロロの顔を慌てて拭いながら、「子供の台詞じゃない」とナッツはため息交じりに呟く。
もう今では、そんなことにすらいちいち腹が立つ。
馬鹿にされてもやっぱり何とも思ってなさそうなところとか、"子供"っていう存在に自分の理想を抱き過ぎなところとか、それでもそれを押し付けることはせずただ溜息だけで済ますところとか。
…末期だ。
苦手どころじゃない。
俺はかなり、このピエロが嫌いらしい。
***
「ノブナガくん、君は剣が使えるの?!」
「ま、まぁ…少しだけな」
いつもの修行の合間、ずっと前に拾ってから持ち物にしている刀を一人で振るっているとナッツがそう声を掛けてきた。
それもどこか目をきらきらさせながら楽しそうに。
「刀っていうんだっけ、その型の剣は。ノブナガくんって東洋風の顔と名前だとは思ってたけど、やっぱりジャパン出身?」
「じゃぱん?いや、しらねぇな。物ごころついた頃からここにいたしよ。」
「そうかーでもうん、ジャパンだと思うな。刀、似合ってるよ。」
…なんで。
なんで俺にそんなことを言うんだと思った。
なんで俺に、そんな自然に笑顔を向けるんだ。
ナッツは勘のいい人間だ。
俺がナッツを嫌っているということぐらい気付いているだろう。
なのになんで離れようとはしないんだ。
「ならいっそ、そのジャパンとやらのスタイルを完璧に身につけさせてみたらどうだ。」
「!クロロくん。なになに、ジャパニーズスタイルに興味があるかい?」
「別に」
「……あ、ノブナガくん君のその修行、少し見ててもいい?邪魔はしないから。」
「…好きにしろよ」
俺の返事に満足げに笑うと、ナッツは傍の瓦礫の山に腰掛けた(何故かクロロも一緒に)。
…修行といっても、俺がするのは素振りだけ。見たところで何があるわけでもない。
「刀は重いからね。振るだけでも筋力トレーニングになるから、いいと思うよ。」
「…で、お前の方は何してんだそれ」
「あ、別に気にしないで。新技開発中なんだ。」
いや、ありえない方向に体を曲げてありえないところから顔出してる人間が傍にいて、気にしない方向でいれる人間なんていないと思う。…そいつの隣のクロロは除いて。
なんでお前はそんな気持ちの悪い物体が隣にいて普通に無関心でいられるんだ…!
…俺も見習おう。
「お、あ、できた!ちょ、見て見て見て」
修行の邪魔はしないんじゃなかったのか。
そう言おうと振り向くと、「ほぎゃあ!!」とか奇声を上げながら、あの奇妙なポーズのまま瓦礫の山から転がり落ちているそいつを目の当たりにするはめになった。
どうやら、くにゃんくにゃんになった末ありえないところ(股の間)から出していた頭が、元に戻らなくなったらしい。
「…ぶ、ぶふー!な、何してんだおめぇ!ははははは!」
俺は腹を抱えて笑った。
こいつが素で失敗をするところなんて初めて見た。
「い、いたー…やっちゃった…」
「大丈夫か?ナッツ」
「あ、ありがとうクロロくん…」
「ひ、ひー!かはは、はは、ふ、腹筋が割れる…!」
「…よかったね」
散々笑った後、しばらくして俺はようやく落ち着いた。
今日は、ナッツが今まで見せたどんな芸よりもおもしろかった。
ああもうこいつの傍じゃ修行に集中できねぇ。
そう思って、俺は出したままだった刀を鞘に戻した。
その際、やっぱり俺はまだ落ち着きを取り戻せていなかったのか不覚にも、鞘と鍔の間に指を詰めてしまった。
「いって!」
「ぷっ」
ナッツの失敗にはまったく笑わなかったクロロに笑われた。畜生。
なんとか股の間から頭を救出したナッツはというと、「あーあ」と零しながら布を一枚取り出して、すっと自然な動作でとった俺の指にその布を巻きつけた。
…詰めた時に、おまけに刃の背で切ったらしい。血が滴っていた。
「…笑いたきゃ笑えよ」
「へ?」
「人の失敗散々笑っといて、かっこわりぃじゃねぇか」
わかってる。
別にナッツは笑いを堪えてるわけでもないし、笑う気なんてさらさらないだろう。
だが何故か俺の口からは、そんな台詞が漏れ出した。
「…君は可笑しなことを言うね」
俺の指に布を巻き終わると、ナッツは微笑みながら俺の頭を撫でた。
チビ達によくするそれ。
俺がされたのは、初めてだった。
「僕は紳士だもの。人の失敗を笑うなんてこと、絶対しない」
「…?」
なんだ、それ。
「ピエロのくせに、紳士とか…」
「おや、ピエロのくせにとは何事か。道化っていうのは一番、紳士というものを体現しているんだよ?」
「どういう意味?」
「質問で返そう。クロロくん、紳士とはどういう人間のことを言うんだと思う?」
「…礼儀正しいとか女にやさしいとか?」
「うーん、それも間違いではないけど、僕の欲しい答えではないかな」
「じゃあ何」
「僕は、ユーモアやウィットに富んだ人を指すと思っている」
「「は?」」
つまり道化だ、と自分を指さすナッツを、俺は馬鹿だと思った。
「意味がわかんねぇ」
「本来"紳士"というのは、英国貴族のことを指すんだ。彼らは社会に奉仕するのが宿命であり、人との関わりもとても大切にする。ボランティア精神も旺盛だ。常に人を楽しませることを考え、一方でそれを強要されもした。」
一般人とは違うユーモアを、ウィットを、必要としたんだ。
もちろん、礼儀正しくすることも人に親切にすることも大切だし、それを紳士と呼ぶのも間違いじゃない。
でも僕はこの、人々を笑顔にさせる方法を常に模索するという紳士の生き方に、一番感銘を受けた。
「今では、地位なんかは関係なしに、紳士的振る舞いをする人のことを"紳士"と呼ぶようになっている。その"紳士的"の意味を、僕は人を楽しませる≠ノ決めた。つまり紳士とは、ユーモアとウィットに富んだ楽しい人≠セ」
「…なんか、自分が"紳士"になりたいから作ったこじつけみてぇだ」
「これは幼い頃に僕が勝手に作った自論だからね。どう思ってくれても構わないよ」
肩をすくめるそいつは、人にその自論が理解されないことをわかっているらしい。
だが俺は本当の『紳士』というものに会ったことがないし、正直言うとそれがどんな人間なのかっていう具体的イメージもない。
なら俺がこれから思う"紳士"はその自論でいいと思った。
つまり、目の前のコイツだ。
「えっと、僕は何が言いたかったんだっけ…あ、そうそう。つまり僕は紳士だから。人を楽しませるために生きている僕が、君を馬鹿にしたりなんかしないよ。」
「でもナッツは、自分の失敗を人に笑わせるんじゃないか。客をみんな"紳士"じゃなくさせてる。」
「それでいいんだよ。僕は世界中の人間が"紳士"であればいいなんて思っていない。」
むしろ本当の"紳士"は、世界に僕だけでいい。
そう言ってナッツはニヤリと笑った。
それは、子供が何か悪戯をする時の顔だと思った。
「じゃないと僕の存在が光らない。数多ある存在の中の一つ、なんてまっぴらごめんだ。ショーの前はみんなLedies and Gentlemen≠ナも、お帰りの際にはBoys and Girls≠ウ」
僕のせいでね。
「…お前も、そんなきったねーこと考えるんだな」
「君は僕を何だと思ってるんだい。僕は神聖な生き物でも根っからの善人でもないよ。道化も紳士も、所詮は人間だ。そりゃあ汚いことも考えるに決まってる。」
「マチやシャルは、お前が何の穢れもないいい人≠セと思ってるぜ?」
「子供であるが故のフィルターがかかってるんだよね。というか君も、そんな風に思っていたクチだろう?」
見透かすように楽しげに歪んだ口元。
クロロの手を引きながら「ひきつづき修行頑張れ」と言って去っていく背中を、俺は黙って見送った。
俺は…今日初めて、あのピエロの人間味を見た気がした。
人に笑われる、道化という職業。
夢見がちで浮ついた台詞。
ピエロのくせに紳士ぶる振る舞い。
気に入らなかったはずのそれが、今はすごく真っ当なものに思える。
人に笑われているんじゃない。
あくまで、あいつは人を笑わせていたんだ。
自分のために。
夢見がちで浮ついていると思っていた台詞も、あいつは意図して行っていた。
現実を見てないわけじゃないんだ。
あいつは世界が自分の理想通りじゃないことを知っている。
紳士ぶっていると思っていた振る舞いも、至極当然のことだった。
あいつは本当の"紳士"なんだから。
俺はかなり、あのピエロが嫌いだった。
人間味を感じない、きれい過ぎるいい人≠ノ畏怖を感じていたんだ。
得体の知れない仙人か何かだとでも思っていたのか。
だけどそうじゃない。
あいつは俺達となんら変わりない人間だ。
俺の目にも、"子供であるが故のフィルター"がかかっていただけ。
そしてそのフィルターに気づけないまま、違和感を抱いていただけ。
『嫌いだった』
だった≠ヘつまり、過去形だ。
だから今は……
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