変態注意報

「それ……!」
とシカマルが驚きの表情で手にしたそれは、私の母の日記の写しと思われるものだった。

私が自分で写したものなのに、私もシカマル以上に驚いた。
書庫の中に埋もれていたのだろうか。他の資料と同じように手に取って、同じようにただページをめくって、見て、記憶して、それが何かなんて一切気にしないまま本棚に戻したのか。
念写したまさに今も。自分が何を写しているかなんてちっともわかっていなかった。
こんなものが私の中にあっただなんて。

分身たちも同じように念写していたそれをかき集めて繋げてみたところ、この日記の始まりは私が生まれたところからで、終わりはおそらく母が死ぬまでだった。
日付は飛び飛びで、毎日つけていた日記というわけではないらしい。

中身が気になるけど、身内……さらには故人とはいえ、人様の日記を読むなんて、やっぱり良くないだろうか。

「今更だな。一回読んでんだろ」
「……たしかに」

それもそうかと日記の一枚目を手に取った。
お母さん、ごめんなさい!


『〇月〇日
午前二時、娘が産まれた。
リンと名付ける。』

『〇月〇日
月の無い夜の空のような、深い海の底のようなリンの瞳を見て、あの人は深いため息をついた。
こんなに美しいのに。
本当に私に似なくてよかった。
この子だけは自由な世界へ連れってやりたい。』

『〇月〇日
ミコトさんがイタチくんとサスケくんを連れて会いに来てくれた。
サスケくんはリンと同い年だ。仲良くなれるといいな。』

『〇月〇日
絵本を読むリンの目が微かに翠に色づいているのに気がついた。
文字は読めないが絵についてはやはり事細かに記憶出来ているらしい。
あの人にバレないようにしなくては。』

『〇月〇日
悩んだ末に、リンに書庫の本を読むようにと伝えた。
一族のような生き方をしてほしいとは微塵も思わない。
ただ、やっぱりできることはさせてやりたいと思う。
知識を蓄えることは無駄ではない。
生きる選択肢を増やすことにも繋がる。
力の使い方を知った上で、それをどう使うかはリンの自由だ。』

『〇月〇日
リンが九尾に関する本を書庫から持ってきたので、うずまき家の人柱力の男の子について話してやった。
たしかリンと同い年のはずだよと話すと喜んで、じゃあその子と友達になると言った。
本当にそうなってくれるとうれしい。』


……ここまでの日記の母はとても幸せそうだった。
私たちに冷たかった一族のことには一切触れていない。
日記の中身は私の事ばかり。私が母の生活の中心だったのだとよくわかる。

だけどこの先から、日記の中身は徐々に不穏なものに変わっていった。


『〇月〇日
近頃変な風邪が流行っている。
リンにうつらないように気をつけないと。』

『〇月〇日
あの変な風邪のせいで大叔父様とハナヨ様が亡くなった。
母様も姉さんも風邪を引いて苦しそうにしている。薬を飲んでも一向に良くならない。
リンが元気なことだけが救いだ。』

『〇月〇日
あの風邪は木の葉の里全体で流行っているが、こんなに重症化しているのは私たち小柳一族の人間だけらしい。
今日はサエ婆様とジロウ様、母様が亡くなった。
リンはまだ人が亡くなることが理解できないみたいなので、みんなは眠っているのだと伝えた。』

『〇月〇日
今日は叔母様、ショウ吉様、ユズ姉さん、カンタ君、サチちゃんが亡くなった。
今やみんなが床に伏せ、元気なのはあの人とリンぐらいになってしまった。
ついに私も昨日から熱が下がらなくなってきた。
リンに寂しい思いをさせてしまっている。』

『〇月〇日
たかが風邪になぜバタバタと殺されていくのかと、あの人はずっと怒っている。
なぜなのかなんてわかりきっている。
一族は小柳の“今”を守ることに必死だったが、そんなものは進化を拒むことも同然だ。
同じ血を分け続けた私たちの体ではこの病気に勝つことが出来ない。それだけのことだ。
どうして理解できないのだろう。私たちはもうずっと間違っていたのだと。』


「小柳の人間が相次いで亡くなったのはこういう理由だったのか」

私の隣で日記を覗き込んでいたシカマルがそう呟いた。
私もこの頃はまだ幼かったから正確に理解していなかったけれど、一族は淘汰されるべくして淘汰されたということだろう。
なんとも言えない気持ちで母の文章を噛み締めていれば、この後の母の日記にも私の感想と同じことが書いていた。


『〇月〇日
あの人が亡くなって、小柳は木の葉の政治顧問を解任された。後継はいない。役職そのものがなくなるようだ。里にとってもあの人はもはや目の上のたんこぶだったのだろう。
やっとひとつの悪習が終わった。
私たちは滅ぶべくして滅ぶのだ。』

『〇月〇日
起き上がれない日が増えてきた。
風邪をうつしてはいけないのでリンとはもう数日会っていない。会いたい。苦しい。』


「お母さん……」

読むのが苦しい。思い出の中の母は私に弱さなんて見せなかった。強いあの人が『苦しい』とわざわざ書き残すその気持ちを想像するとこの先を読むことが躊躇われた。
唇を噛んで俯くと、シカマルが手を握ってくれた。

「大丈夫だ、読んでみろ。これはお前にあてた日記だったんだ」
「え……?」

シカマルはもう私よりも先を読んだみたいだ。
「安心しろ」と促されて、私はまた怖々と手元の紙へ視線を戻した。


『〇月〇日
みんな寝ちゃったよと、閉まったままの襖の前でリンが寂しそうに言った。
いつ起きるのかなと泣くので、リンが大人になる頃かなと伝えたら余計に泣いてしまった。』

『〇月〇日
リンのためにももう少し生きたかったけれど、限界が近い。
最後にリンへ手紙を残す。』


母は私に読ませるために、これを書庫に置いておいたのか。
もう随分前に手に取っていたはずなのに、ちゃんと読んでなくてごめん。
震える手をシカマルに支えてもらいながら、自ら写したその先を読む。


『リンへ

今これを読んでいるあなたは何歳になりましたか?
天使のようにかわいいリンのことだから、きっと素敵な女性になっているんだろうね。
そんなあなたも見てみたかったな。

お母さんやみんながいなくなってしまって、リンにはきっととても寂しい思いをさせたよね。ずっと傍にいてあげられなくてごめんね。

けどお母さんは、これでよかったとも思うのです。
リンには辛い思いをさせたかもしれないけれど、おかげで小柳の数々の悪習にあなたを巻き込まずに済んだ。
お母さんはそれがとてもうれしい。

お母さん自身の人生に後悔はありません。
この人生でなければ、あなたに出会えなかったから。私はこれでよかった。
でもね、あなたには一族に縛られない人生を歩んで欲しいとずっと思っていました。

政治ができなくたって構わない。
頭が良くなくたっていい。
忍でなくたっていい。
小柳でなくていい。
リンというただ一人の女の子として、
血筋や家柄に関係なく友人を作って、恋をして、夢を見て、自由に生きてほしい。
それだけがお母さんの願いです。

勝手ばかり言うお母さんを許してね。
イケメンを捕まえたら墓前に紹介しに来てください。
体に気をつけて。

リン、愛してる。

お母さんより』


最初は綺麗だった字が後半になるにつれてどんどん殴り書きのようになっていて、書き間違えた字を墨で塗りつぶした跡が増えていて……
書き直す余裕も、最後までまともに筆を持つ余裕すらも既にこの時の母にはなかったのだと思うと心が痛くて辛くて、だけど何よりも私の幸せを願ってくれる母の愛は嬉しくて切なくて、私の中の何もかもがぐちゃぐちゃになった。

最後は残った小さなスペースになんとかできるだけの言葉を残そうとしている母が、その状況で尚イケメンを見たがっているところもずるい。
悲しいし幸せだしおもしろいしなんて、一体どうしたらいいの。


「いい母ちゃんだな」


シカマルがそう言って、蹲って泣きじゃくる私の背を撫でる。
うん、と返したいのにそれすら言葉にならない。

母の思いは一族になんてなかった。
母は可哀想な人などではなかった。

母の言葉はずっと私の中にあったのに、随分と遠回りをしてしまったようだ。
空の上でやきもきさせただろうか。

今度シカマルを連れて会いに行くよ。
とびっきりのイケメンだよ。羨ましいでしょ。



◇◇



母の日記の写しは結局この後処分した。もうこれを残しておく必要はない。
私の中にはたしかにあるし、今の私ならまたいつでも、頭の中で読み直すこともできるから。

「シカマルありがとう」
「ん?」
「私、シカマルがいなかったらきっとなんにも気づかないままだった。何も知らないまま、でかいコンプレックスと後悔と、罪悪感を抱えて一生生きていくとこだった」

もう捨てられる。私を縛っていた何もかも。
大好きな母が背中を押してくれるんだ、捨てない方がバチが当たる。

「私……本当はずっと、奈良リンを名乗るのが夢だった!私のこと、お嫁さんにしてくれる?」

気が早いと馬鹿にされるだろうかと思ったけど、シカマルはこちらが息を飲むほどにやさしく微笑んでいた。
「もちろんだ」と返ってきた声にはほんの少し湿度があって、私の胸をきゅんと締め付ける。

こんな返事をもらえる日が本当にくるなんて。
幸せすぎてどうにかなりそう。

どれだけ無碍にされても辛くても諦めなくてよかった。
散々友人たちには馬鹿にされてきた私の努力だって、間違ってなかったってことだよね。

そうだよ。
集めた抜け毛の数だけ愛が育ったの。
ゴミ箱を漁った回数だけ想いが深まったの。
作った人形たちはシカマルを想っていた時間そのものだし。
部屋に忍び込んでいた時間もお風呂を覗いた時間も、きっと私を人として成長させたね。

ここにたどり着くためにはきっと全部必要だったんだ。
無駄だったことなんて何一つないんだ!


「私……いいお嫁さんになるためにこれからもがんばるね……!」
「花嫁修業か?」
「うん!まずは捨てちゃった分のコレクションの補充だね!シカマルから生み出されたものはもう何一つ無駄にしない。髪の毛一本見逃さないから。人形もこれまで以上にひと針ひと針丁寧に、心を込めて作るよ。実は等身代シカマル傀儡人形を作るっていう夢もあるんだ。カンクロウさんに弟子入りしなきゃ。あ〜俄然漲ってきた!仕事なんかしてる場合じゃない!今日はもう切り上げて帰らない!?」
「草葉の陰で母ちゃん泣いてんぞ」


なんで!!!


「ハァ。お前を嫁にする前に、まずは真人間にしなきゃな」
「だめだよ、それじゃあシカマルが好きな私じゃなくなっちゃう」
「俺はどんなお前でも好きだよ」

さらっと伝えられた重大告白。私はノックアウト寸前だ。
くそっ、騙されないぞ、そんなこと言って私の花嫁修業の邪魔をする気だな!
本当にどんな私でも好きなら大人しく使用済みティッシュを差し出せ!

「なんで怒ってるんだよ」
「お、怒ってない」
「顔真っ赤だぞ」
「鼻血出そうなの我慢してる」
「あほか」

シカマルが悪い顔をして笑った。
そして私がそれに見蕩れている僅かな時間に、ちゅっと軽いリップ音を立てつつ唇にキスを落として顔を背ける。


「……今日は飯でも食って帰るか」


自分からキスしてきたくせに、シカマルまで真っ赤になっている。

結局鼻血は我慢できなかった。



半永久機関変態
(ね、もう一回して?)
(……その鼻血が止まったらな)


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