変態注意報

リンが眠っていたあの一ヶ月の間、俺はなぜリンがこんな目に合わなくてはならなかったのかと、カツキのことやリンのこと、そして小柳一族のことを調べていた。

小柳一族の血継限界についてはたしかに以前リンが言っていた通り、どこをどう調べても何もわからないままだった。
そもそも里の重要機密は今のところリンが復元した分の資料と、あとはリンの頭の中にしかないのだから調べられる範囲も限られるが。

だけどわかったこともある。
リンが何故ああまでして小柳の名を守ろうとしていたのか不思議なくらい、小柳は闇が深い一族だということとか。

小柳一族はその頭脳や未知の血継限界の能力を活かして木の葉の政治顧問を代々務めた一族ではあるが、一族としての規模はそこまで大きくはない。
なぜなら小柳はその一族の血を薄めることは許されないとして、狭い一族間での交配を続ける形でその血を繋いでいた一族だからだ。
またその血が一族の外に出ることも決して許さなかったため、小柳一族に生まれた者が小柳の家を出ることはできなかったらしい。

血が近い者同士で子を設けることには当然リスクがある。
さらには惚れた腫れたもない関係の相手と、ただ血を絶やさないためにそれを強いられる女の苦しみがいかほどかなんて、俺には想像もつかないけれど……記録によれば、リンの母親はリンを産んだ時点の年齢が十八歳だが、父親は七十歳だ。もはやこの数字だけで地獄だろう。

また、リンは自分が小柳の悲劇の子だからこそ里の人たちから蔑まれてきたと思っているが、正しくはそうではない。
リンが悲劇の子だとされていること自体は事実だが、リンの誕生やリン個人には関係なく、そういった特殊な環境にあった小柳一族自体がそもそも蔑みの対象だったのだ。
だから小柳に権力があった頃は潜んでいたその蔑みの目が、小柳の衰退と同時に明るみに出ただけだというのが正しい。

先代たちが一族の繁栄と同時に募らせてきた、周囲の嫌悪や不信感を何の罪もない身に背負わされ、生き残りとして全ての嘲りを一人で受け止めるしか無かったリンのことは本当に可哀想だとは思う。
だけど、それでも……
正直リンが小柳の悪習に巻き込まれなくて良かったと、既に小柳が滅んでいてよかったと、俺はそう思ってしまう。



変態注意報 side シカマル



「二人で小柳の姓を名乗るのはやっぱりだめかな」


机に向かうリンがぽつりとそう零した時、俺はまたあの違和感を覚えた。

なぜリンは、そこまで小柳の名を守りたいのだろうか。

さすがに小柳の悪習について、リンが何も知らないなんてことはないはずだ。ならば可能な限り早急にその名を捨てたいとすら願ったとて不思議じゃないのに、リンの願いはずっとその逆だ。
悲劇と呼ばれる自分を脱したいだとか、周りを見返してやりたいだとか、そういうのもわからないではないけれど、大した矜恃もなければ自己評価も低いリンのことだ、この願いの本質はおそらくそれではないだろう。


「いいぜ、別に。リンがそうしたいなら」


リンとは逆に俺の方は特に奈良の名前に大した執着はない。
かといって親父や母ちゃんがそれを許すのかっていうのはまた別の話だが……俺自身にはリンの願いを叶えてやりたいという気持ちがあるのでそう答えた。

だがその俺の気持ちとは全く別の話として、リンのその願いの本質については突き詰める必要があるだろう。
それが一族としての責任感だとか一族への罪悪感だとかなら、そもそもそれはリンが背負うべきものではないと教えてやらなければならない。

だからこそ俺はリンに、一体何に縛られているのかと問いかけた。
リンは一瞬目を見張って、そのまま数秒固まった。
本人にはおそらく自覚がない、記憶を辿る時の深い翠色の目が微かに揺れる。
そして消え入りそうなぐらい小さな声で呟いた。



「お母さん」



……リンの口から親のことを聞くのは初めてだ。
昔からうちの母ちゃんを「お母様」と呼ぶリンが、自分の母親をなんて呼ぶのかすら今初めて知った。

母親との約束か何かがあるのか。それを守りたいという話なのか。
先祖がとか一族がとかじゃなくて、リンは俺が思っていたよりもずっと個人的な思いで、母親というただ一人の人のために動いていたのだろうか。
……リンらしいと言えばリンらしい。
けれど予想はしていなかった回答に、俺はその先の言葉を考えあぐねた。

しかしその間にリンは何やら勝手な自己完結をしたらしく、苦い顔で気まずそうに笑う。


「ありがとう、シカマル。シカマルの気持ちはすっごくうれしかった。でももういいんだ」
「……けど心残りはあるんだろ」


その心残りが晴れるかどうかはわからないが、一つ、この際確かめておくべき話がある。


「……少し話は変わるが、リン……お前はなんで自分が小柳の血継限界を受け継いでいないと思ってるんだ?」
「は……?え?だって実際何も出来ないし。人の心読んだりとか、未来予知したりとか……できたことないよ。頭の回転がめちゃくちゃ早い覚えもないし」


馬鹿だ馬鹿だとこれまで言ってきすぎただろうか。少し反省した。
何も出来ないなんて、そんなはずがないのにリンは本気でそう思い込んでいるらしい。


「じゃあ言い方を変える。なんでお前は、血継限界を継いでいないと一族から判断されたんだ?」
「わ、私が……翠の瞳を持っていなかったから……」


何故そんなことを聞くのか、と語るリンの目が少し怯えているように見えた。


「……わるい、嫌なこと思い出させて。けど最後まで聞いて欲しい」


ほとんど確信は得ているが間違いがあってはいけない。
俺は最終確認のためにその場にあった適当な紙に適当に思い浮かんだ字を書いて、リンの前に差し出した。


「……これを覚えろ」
「……は?」


覚えろと言った瞬間、リンの瞳が薄らと色を変えた。
それはよくよく見なければわからない、瞳の奥のほんの少しの違いで、しかもほんの一瞬の後には完全に元に戻っている。


「今覚えたの言ってみろ」
「えええ?まじで何……えーと……」


覚えた文章をすらすらと口にするその間、またリンの黒い瞳がほんの微かに翠を帯びた。
本当に、リンの目を見慣れた者がじっと見つめていなければ気づかない程の些細な違いではあるが、間違いないだろう。

瞳が色付くのは情報を取り込む時と呼び出す時だけ。鏡を見ながら読書をするわけもないだろうし、本人が気がついていないのも無理は無い。


「やっぱり思った通りだった」
「なにが……?」
「お前が持つその瞬間記憶能力……それこそが小柳の血継限界だ」


小柳一族が政治顧問として木の葉を支えてきた裏にあるのはおそらく、その血統からなる地頭の良さと、術によって溜め込んだ膨大な知識だ。
そしてあたかも読心術や未来予知ができるかのように振る舞い、畏怖の念を集めることで栄華を築いた。

血継限界の詳細を小柳一族が伏せていた理由もこれなら想像がつく。
単に未知の能力をやれ読心術だ未来予知だと想像させ、畏怖の対象とすることにメリットがあるのもそうだろうが、今回リンが最上カツキに目をつけられたように、そもそもこの術を他者に知られることはデメリットが大きいのだ。

しかし小柳が代々書庫の管理の任を預かっていたことからして、当時の火影あたりは当然能力については知っていたのだろう。
けれどそれは秘匿とされた。小柳一族を守るために。


「え……えええ!?これが!?小柳の血継限界!?」
「ああ。別にそんなにありえない話でもないだろ。通常のその血継限界の発現者が常時瞳の色が違うのに対して、お前は能力の使用時にのみ色が変わるような体質だった……それだけのことだ」


それだけのことが、ちゃんと血継限界を受け継いでいたはずのリンを“悲劇の子”にまでしてしまったのだが。

リンは血継限界を受け継いでいた。
生まれながらの悲劇などではなかった。
すべては事実無根の中傷。

血継限界の詳細が秘匿にされたのと同じことで、リンのこの事実は今後も公にはされないだろう。
それでも、自分が一族に汚名を着せた悲劇の子だと思い込んでいるリンの中の何かが変わることはあるんじゃないだろうか。


「……けど、やっぱり待って、おかしいよ」
「なにが?」
「私がそうやっていろいろ記憶できること……お母さんは知ってたもん」
「!」
「この記憶力が血継限界なら、同じように血継限界を持っていたお母さんは、私が出来損ないじゃないって、否定できたはずでしょ……?」


縋り付くようにリンが俺の服を掴んだ。


「わかってるなら言ってくれればよかったじゃん!自分はちゃんと小柳の後継を産んだんだって……そしたら私は、私たちは……!」
「……出来損ないだと、悲劇だと言われる方がまだましだと思ったんじゃないのか。娘に小柳一族としての業を背負わせ続けるよりも」


真実なんてわからない。
けれどリンの母親は、小柳一族の後継としてではなく、リンがリンとして生きていくためには、血継限界の公表など必要なしと判断したのではないだろうかと、そう思う。


「お母さんは小柳一族を守るつもりはなかったってこと……?」
「一族よりも、娘の方が大事だったんだろ」


呆然とするリンの体から力が抜けた。
これまでずっと信じてきたものが180度形を変えたのだ。いくらそれが母親の愛だとはいえ、簡単に受け入れられないのも無理はない。

どう声をかけたものかと悩んで、リンを抱き寄せようと手を伸ばす。
その時、リンの後ろの机上にある、ついさっきリンが念写したであろう資料が目に付いた。
他の文献や報告書なんかとは体裁が違う。
まるで日記みたいだと、ぼんやりそれの一行目を眺めて驚いた。


『〇月〇日
午前二時、娘が産まれた。
リンと名付ける。』



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