変態注意報

無事今度は記憶をぶっ飛ばすことなく回復した私に与えられた任務は、相変わらず蔵書の復元作業だった。
それもそうか、まだ途中だったんだから。終わるまでやるに決まってる。

そしてこれまでサポート役をしてくれていたカツキさんの代わりは、シカマルが務めることになった。

たぶん大出世だから喜ばしいことだけど、シカマルはすんごく面倒くさそうにしている。
最初の数日こそ「初の共同作業」に浮かれる私にもやさしいシカマルだったが、何人ものシカマルを念写しているうちにいつもの怒りんぼに戻ってしまった。
「真面目にやれっつってんだろ」とキレたシカマルが殴った水分身が解けて、周囲の紙を水浸しにした事件があってからは特に監視の目が厳しい。割とシカマルが悪いのに。責任転嫁だ。

真剣にやってるはずなのに、気づけばシカマルのことを考えてしまってシカマルを写してしまう。
カツキさんとの時の方がまだ割り切って作業ができていた。
シカマルと一緒に仕事ができるのはうれしいけど、正直一番一緒になっちゃいけない組み合わせだったかもしれない。



変態注意報 side リン



「ハッ!またやっちまった!」
「またかてめぇ。おいやめろ、俺を念写した紙をそっと懐に仕舞うな」
「だって捨てるのはもったいないじゃん!これ劣化に強い超高級紙だよ」
「じゃあそもそもその超高級紙を何枚も何枚も無駄にすんじゃねぇ。捨てとくからよこせ」
「やだ!ダメ!家に飾るの!」
「家って俺ん家だろうが!ふざけんな自分の家に自分の裸の絵が飾られる俺の身にもなってみろ!」
「ああ〜〜〜〜〜!」


奪い取られた上裸のシカマルは目の前でびりびりに破り捨てられた。
けち……ちん○ん出てないんだから別にいいじゃん……

私はがっくり肩を落としながら仕方なく作業を再開した。
シカマルの言った通り私は相変わらず奈良家に居候し続けている。
出て行けと言われない限り居座るつもりだ。シカマルと一つ屋根の下なんて美味しいシチュエーションを私自ら手放すわけもない。
一度はアパートを契約して奈良家を出たこともあったが、それもカツキさんに知らず知らず洗脳されていた結果だろう。
本来の私はそんな殊勝なことはしない。遠慮なんてしてたらシカマルと脱衣所でばったりラッキースケベをするチャンスなんていつまで経ってもやってこないのだ。
しかも今の私はれっきとした「シカマルの彼女」なんだから、むしろ今出ていく方が不自然なぐらいだと思っている。知らんけど。


「おい、集中しろよ。またミスんぞ」
「はーい……」
「ったく、こんなことで大丈夫なのか……?内容の正誤なんて俺にはわからないのに、本当にお前が作ったこの紙をこのまま里の機密として保管していいものなのか?」
「見たものをそのまま出してるだけだから、間違えて別のものを出すことはあったとしても、中身自体を間違えるようなことはないよ。……どう考えたって私が考えるような文章にもなってないでしょ」
「まぁ、それはそうだけど」


これが機密を紙で保管するのは如何なものか、みたいな話になるのなら大いに賛成ではある。
紙の保管はあらゆる面において困難とリスクが乗っかかる。
私の頭の中にはあるしもう当分それで良くないかとも思うが、やっぱりそれはそれで良くないらしい。


「あ、ていうかさ!」
「ん?」
「書庫のこと、ありがとうね。言うの忘れてた」
「おう。まぁ実質管理すんのはお前だろ。任せた」
「……!う、うん。もちろん!」


……私が未だに家にいるのを当たり前に許容していたり、私が奈良家の人間として書庫の管理を続けることを当然としていたりと、シカマルは私がこのまま奈良家の一員になることをまったく疑っていない。

もちろんそれはすごくうれしいし、幸せな事だ。ずっとシカマルのお嫁さんになりたいと思っていたんだから。

だけど人間って欲張りなもので、一つ願いが叶うとついあれもこれもと願ってしまう。
とっくに諦めたはずの願いすら蘇ってしまうぐらい。
私の場合のそれは「二人で小柳の姓を名乗るのはやっぱりだめかな」である。
だめに決まってるのに。

今進めている復元作業は公にはされない仕事だ。知っているのは里の上層部と極一部の上忍のみ。
蔵書は表上、あの火事ですべて失われたものとして処理される。
それはもちろん私が蔵書の中身を記憶しているという情報自体を隠すためだ。私が歩く書庫であると世間に知られないように。

つまり私がこの仕事をどれだけ頑張ったところで、世間からそれを評価される日は来ない。

小柳を終わらせることに対する償いをずっとしてきたはずだったのに、少しでも小柳の名誉を守ろうとしてきたはずだったのに、最後の最後で私は“小柳が里の機密を全部ポカにした”という特大泥団子を先人たちの顔に塗ったくった。
ここまでの汚名をちょっとやそっとのことで返上するのは難しいだろう。
私が奈良の姓を名乗るようになるまでのあと数年でどれだけ足掻いたところで、所詮無駄な足掻きなのは火を見るより明らかだ。
奈良リンの響きにはずっと憧れていたのに……小柳一族を本当にこのまま、悲劇の一族のままで終わらせてしまっていいのかと、私の中の母と父の面影が問いかけてくる。

力もつけた。術も磨いた。上忍という地位も手に入れた。
今までいまいち使いどころがわかっていなかった瞬間記憶についても、やっと少しずつ汎用性を高められるようになってきた。
蓄えた記憶は私の中で今までずっとそういう『画』でしかなかったのだけど、記憶喪失を脱したあの日から急に『画』の中の『文字』を頭の中から探し出して読めるようになったのだ。
慣れていない分まだ多少時間はかかるものの、画から文字へ、文字から情報へ変換することで、私はただの人では持ちきれない『知』を手に入れることができる。

やっとだ。やっとここまできた。
……だけど、もう間に合わない。



「いいぜ、別に。リンがそうしたいなら。けどそうなったら書庫はどうする?」
「……え?あ、ごめんぼーっとしてた!何の話?」
「何の話って……二人で小柳の姓を名乗っちゃダメかってやつだけど」
「へ……ぇぇえええ!?私それ口に出してた!?てか、それにシカマル、いいぜって言ったの!?いいぜ?いや、よくないでしょ!!」


言ったつもりも言うつもりもなかったからテンパりすぎて椅子から落ちた。
ついでに水分身も全員落ちて衝撃で消え去った。また床が水浸しだ。この作業と水分身は相性が悪い。

てか、いや、いやいやいや、奈良家の長男が、何言ってんの……!超優秀で超しごできなシカマルは、これからもっともっと大活躍して奈良家を引っ張っていくんだよ。
お父様もお母様も絶対それを望んでるし、悲劇の一族への婿入りなんてそんな、なんのメリットもないようなことしたって悲しませるだけよ。


「……お前がカツキと小柳の復興を目指すって言い出した時に、俺も少しは考えたんだ」
「え……」
「俺にだって、別にそういう道はあるんじゃないかって。奈良家は俺の家だけじゃねぇし、俺が継がなくたって奈良の名前は絶えやしねぇ。婿入りって形になりゃあ奈良家のあの山への出入りはどうなんのかとか、俺の子に影術の相伝は出来んのかとか、まぁいろいろめんどくせぇことはあるけど……けど、お前がどうしても小柳の名前を絶やしたくねぇって言うなら仕方ねぇし、めんどくせーけどなんとかしてやるよ」


開いた口が塞がらなかった。
そんなにめんどくせぇのに何とかしてくれる気があるんだ。てかそんなこと考えてくれてたんだ。
感動で胸が詰まった。
シカマルが小柳を継いでくれるなら、それはシカマルに近づいた当初の私の思惑通りで、小柳一族にとってこれ以上の未来は無い。

シカマルは必ず今よりもっと、この里にとって重要な頭脳になる。皆が尊敬し、羨望する、里になくてはならない人になる。
そんな人が小柳でいてくれるなら、小柳の名はまた昔と同じく、権力と知力の象徴となれるだろう。
正真正銘、私は小柳の悲劇を終わらせることが出来る。


「……けど一つだけ聞かせてくれ。なんでお前は、そんなにも小柳に拘るんだ。お前は一体何に縛られてんだ?」


え……自分の名前に拘るのはそんなに変なこと?
名前を残さなければと思うのは、その名を悲劇だなんて嘲る世間の目を変えたいと思うのは、何かおかしなこと?

……いや、それ自体は当然おかしなことではないはずだ。
だけどシカマルからすればおかしいんだろうな。
権力にも政治にも興味がなくて、プライドなんてあってないようなものしかなくて、シカマルさえいればそれでいいと思っている女が一方で、もう滅びかけている一族の名前に固執するのはたしかに違和感があるかもしれない。

あくまで私の意思だから、縛られているなんて認識はなかったけれど。私が一族復興に拘る理由があるとすればそれは……
最後の最後まで小柳一族の未来を案じて死んでいった父の気持ちに、報いなければと責め立ててくる私の中の使命感だろうか。

……いや、ちがう。そんな高尚なものじゃない。
私を愛さなかった父に恩を感じるほど、私はできた人間じゃない。
一族の大人たちはみんな私に冷たかった。私は誰のことも好きじゃなかった。
ただ一人。一人だけだ。私がその恩に報いたいと思うのは。


「……お母さん」


私に唯一愛をくれた人。
私に読書を教えてくれた人。
私みたいな出来損ないを産んでしまった故に一族から蔑まれた人。
若くて綺麗で、強くて不憫で、とても……可哀想な人。

小柳の血継限界について、詳細は不明だけれど瞳術との結びつきを一族内外の情報が共に示唆している。
血継限界を受け継いだ者には、生まれながらに深い翠の瞳が備わっているそうだ。
それが優秀な小柳の証。

だから、神様がただ無為に墨を一滴ずつ零しただけのような黒い瞳の私は、生まれたその時から劣等品だった。

私は数年子宝に恵まれなかった一族にやっとこさ授かった待望の赤子で、さらには父と母が翠の目だったので、きっと子も翠に違いないと、それはそれは期待されていたそうだ。

だけど結果はこの通り。

しかも私が生まれてからまた数年、どこにも子どもは生まれなかった。
その時点で小柳は既に衰退の一途だったのだが、そこへ追い打ちを掛けたのが当時の流行病だ。
私には叔父も叔母も従兄弟も腹違いの兄弟もその他親族ももちろん大勢いたのだが、数年経たずにみんなその流行病で相次いで床に伏せ、あっという間に逝った。
一族の人間のほとんどがばたばた倒れる中、私がそれにかからなかったのはただ運が良かっただけ。……まぁ、見ようによっては運が悪かったとも言えるんだろうけど。

生まれながらの劣等品だからと言って、幸い私が一族間で虐待にあったりするようなことはなかった。
が、かといって大事にされたわけでもなかった。
親戚の爺さんだと思っていたらそれが父だった、なんてことがあったぐらい父すらも私には無関心だった。

母だけだ。
母だけがそんな私を愛してくれた。

幼い頃に亡くなった母との思い出と呼べるものはほとんどないが、覚えていることはいくつかある。


『リン、どれだけ時間がかかってもいいから、書庫にある蔵書には一通り全部目を通しておきなさい』


母の膝の上で、私は本の読み方を教わった。
いや、読み方なんてもんじゃない。その頃の幼い私にはまだ文字なんてこれっぽっちも読めなかった。
教わったのは本の“覚え方”だ。
これがいつか、私の助けになるかもしれないからと。


『まだ文字は読めなくてもいい。ただ覚えようと思って、頁をめくりなさい。ほら、しっかり開いて。端から端まで見たら、次の頁』
『おかあさん、これおもしろくない』
『そうね、今は何が書いてあるかなんて何もわからないだろうしおもしろくないわよね。でもね、リンもいつかはわかるようになるの。そうすればそれがあなたの武器になる』
『ぶき……?』
『ええ。こんなことで偉そうにしたり人を騙したりするような人たちのことは、お母さんも嫌いだけどね……。それでも、力はなんでも扱い方次第だから』


母の言葉の意味は当時の私にはまるでわからなかった。なんなら今も分からない。
ただ蔵書を読めばお母さんは喜ぶのかと、それだけが私の中に残った。
だから私はお母さんが死んだ後も書庫にある資料を全て‘’見た”。
読む努力はすっ飛ばしてただただすべてを網膜に写す作業だけをして、読んだ気になって満足していた。

実際それが今役立ってはいるわけだけど、もちろんこんな状況を想定したわけもないだろう。
母はきっと私のこの特殊な記憶力に一縷の望みをかけて、小柳の未来を託したのだ。

私を無償の愛で包んでくれた母だけど、ただ優しいだけの人というわけでもなかった。
いつも凛と背筋を伸ばした母の心には真っ直ぐな芯があって、理不尽を跳ね除けようとする強い目をしていた。

そんな母が今の私を見ればきっとがっかりするだろう。
小柳の名を守ろうとしないどころか、悲劇と呼ばれる一族のままで終わらせようとして。

……いや、けど、シカマルは小柳の名を継いでも別にいいって言ってるもんね。
じゃあいいのかな。このまま二人でがんばってみてもいいのかな。そしたらお母さんはきっと喜んでくれるよね。

だけど奈良家の人達には、恩を仇で返すことになる。
シカマルはどう考えたって一族の期待の星だ。そんなのをかっさらったりしたら私は一生恨まれるかもしれない。
お母様にもお父様にもあんなによくしてもらって、本当の娘のように愛してもらったのに。

もしかしたらシカマルは全てを捨てて小柳を名乗る覚悟だってあるのかもしれないけど……よく考えたら私の方にそんな覚悟がないや。
悲劇は悲劇で幕引きだ。


「……ありがとう、シカマル。シカマルの気持ちはすっごくうれしかった。でももういいんだ。大丈夫。小柳の名を継いだところで誰もいい思いをしないことなんてわかってるし。
小柳を名乗ることでもしかしたら将来、私たちの子どもにも嫌な思いをさせることがあるかもしれないし」


ずっと床に座り込んだままだったけど、なんとか立ち上がって椅子に座り直した。
さて、じゃあこの話はここでおしまい。……としたかったけど、なんだかシカマルの方が納得していなさそうで。


「けど心残りはあるんだろ」
「…………」
「……少し話は変わるが、リン……お前はなんで自分が小柳の血継限界を受け継いでいないと思ってるんだ?」
「は……?え?だって実際何も出来ないし。人の心読んだりとか、未来予知したりとか……できたことないよ。頭の回転がめちゃくちゃ早い覚えもないし」
「じゃあ言い方を変える。なんでお前は、血継限界を継いでいないと一族から判断されたんだ?」
「わ、私が……翠の瞳を持っていなかったから……」


何?何の話?今その話って何か関係ある?
丁度あの私たち母子を蔑む人達の目を思い出したところだったから、そんなことはないとわかっているのに、シカマルはそんな目はしていないのに、まるで責められているかのような心地がしてほんの少しだけ息苦しい。


「……わるい、嫌なこと思い出させて。けど最後まで聞いて欲しい」


自分の椅子から立ち上がって歩み寄ってきたシカマルが私の目の前で屈んで、ぐいと押し付けるように私の前髪をおでこの上にかき上げた。


「……これを覚えろ」
「……は?」


でこキスでもされるのかとちょっと期待したのに、真面目な顔で何か字が綴られたぺら紙一枚を突きつけられたもんだから拍子抜けしちゃった。
しかも一瞬でその紙は除けられて、次は「今覚えたの言ってみろ」とか言われるもんだから何か訓練でもされてる気分になってきた。


「えーと……“忍はどんな状況においても感情を表に出すべからず 任務を第一とし何事にも涙を見せぬ心を持つべし”……え?今私、心を殺せ的なセルフ説教させられてる感じ?」
「ちげぇ。確認しただけだ。お前に術を使わせたかっただけで、内容は別に何でも良かった。ちなみに今のは別に俺が考えた文章でもなんでもねぇ。忍の心得第二十五項だ」


そう言うとシカマルは私のおでこから手を離した。
私は乱れた前髪を整えつつ首を傾げる。
今のは記憶した画の情報を読み上げただけで、術なんて何も使った覚えはないんだけど。


「やっぱり思った通りだった」
「なにが……?」


自分の椅子に戻ったシカマルだが、今度はそれを私のすぐ近くに持ってきて膝を突き合わせて座った。
そして緊張気味な息を一つ吐いたかと思うと、真っ直ぐに私の目を見てこう言った。


「お前が持つその瞬間記憶能力……それこそが小柳の血継限界だ」



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